「志村、うしろ」をノベライズする
テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より
「志村、うしろー!」
そう呼ばれた気がして、振り向いた。
振り返った志村けんの視界に、師走の商店街が映った。
冬の午後の、微かに黄金色の混じる光線が、連なる軒先を照らしていた。
まばらな人通りに、声の主は見当たらず、気まずさを誤魔化すように、肩をすくめる。
クリスマスにはまだ間があるものの、店先のスピーカーからは鈴の音が流れていた。
オモチャ屋の前でサンタクロースへの注文品を検討する子供たちを眺めながら、志村は己を振り返った。
「志村、うしろー!」
かつては日本中の子供たちが、舞台上の志村にそう声を掛けた。
伝説の名番組「8時だョ!全員集合」でのコント中、志村の背後に怖ろしいモンスターやお化けが現れるたびに、客席の子供たちからは「志村、うしろー!」の声が飛んだ。
それは当初、志村の身を案じた子供たちからの、純粋なアドバイスであったが、やがて定型化し、番組の名物となった。
あの頃の子供たちは、もういくつになっただろう。
とっくに大人になって、オモチャ屋の前にいる子供の親になっているかもしれない。
いや、その子供でさえ成人しているかもしれない。
過ぎ去りし日の遠さに、あらためて感慨を深くした。
志村は子供が、嫌いではない。
独身を通す生き様から、一部では子供嫌いなのではという誤解を招いているが、かつての子供たちが志村を愛したように、志村もまた子供を愛している。
父親に、なりかけたことも、ある。
当時はドリフの全盛期、「志村、うしろー!」の声がもっとも激しく舞台を飛び交っていた頃である。子供たちの掛け声の中に、澄んだ女性の声が混じっていた。
「志村さん、うしろー!」
突然のさん付けに、コントも忘れて振り返った。客席最前列の隅に、花柄のワンピースが咲いていた。
収録後、微かな期待を抱きながら劇場を出ると、通用口の脇に見覚えのある花柄が佇んでいた。コメディアンから一転プレイボーイの顔をつくり、悠然と歩み寄ったが、視線を隣りに移し落胆した。
その手は小学生の男の子につながれていた。
女は「息子が大ファンで…」とはにかみながら、「思わず私まで、声出してちゃって」と赤面した。
透き通る白い肌が、花柄のように色づいた。
手渡された包みのリボンには、連絡先の書かれたメッセージが挟まれていた。
男女の関係になるのに、時間は掛からなかった。
別れた夫はどうしようもないヤクザ者で、外に女をつくり、彼女にも子供にもすぐに手を上げたらしい。とうとう我慢できずに叩きだしてやったのよと得意気に語られた。
最初はコブ付きのファンと付き合うのも面白かろうという、多少悪趣味な心情もあったが、気がつけば志村の方が、惹かれていた。
仮面を取った道化師は、たいてい孤独で、情けないほど繊細である。
関係を深めるほど、彼女の勝ち気で天真爛漫な性格に、魅了された。
ただ、彼女の息子とはぎこちない関係が続いた。
もともと大ファンだからこそ、憧れの志村けんが、母親と関係を深めていくのを複雑な思いで見つめていたに違いない。ブラウン管の存在が現実味を増すにつれ、それは生身の男に変わり、暴力的だった父親に重なっていった。
繊細な志村は、そのことを敏感に察知していた。
子供たちの声援がいまの自分をつくったのだ。幼い心の微妙な機微を理解できないはずはない。また厳格な家庭に育った志村にとっても、父親はどこか得体のしれない、畏怖すべき存在であった。少年の気持ちは痛いほど分かった。
どうにか打ち解けたいと、親子を遊園地に誘った。
そこまで深入りしてしまったことに、志村自身驚いたが、自分の気持ちを確かめたくもあった。
少年はいつものように母親の背中に隠れていたが、テレビとは違った志村の優しさに触れ、次第に心を許していった。
メリーゴーランドで無邪気に笑う少年を見つめながら、女が言った。
「本当に久しぶり、あの子のあんな楽しそうな顔…」
触れた指先が自然と絡み合った。涙ぐむ彼女の気配が伝わった。
ーいきなり小学生の父親か。それも俺らしいな。
志村は胸で、つぶやいた。
夕暮れにはすっかり打ち解け合い、両側から少年を挟む三人の姿は、誰が見ても幸福な家族そのものであった。
もっとも周囲に気づかれぬよう、志村は帽子を目深に被り、コートの襟で口元を隠していた。いくら心を決めたとはいえ、余計なスキャンダルは避けたかった。
駐車場で親子に待つように言い、少年へのプレゼントを買うため、車道の向かいにある土産屋に向かった。
背後から、少年の叫び声が届いた。
「志村!うしろー!」
振り返った志村の眼球を、眩いヘッドライトが射抜いた。
次に意識を取り戻したとき、志村は病院の個室にいた。
若いマネージャーが心配げに、顔をのぞき込んだ。
幸い怪我は軽い打撲程度で、意識を失ったのは後ろ向きに転倒した際の、脳震盪によるものだった。今週の収録にも問題なく臨めるという。
すぐさま親子の所在を訊いたが、マネージャーは困惑気味に表情を曇らせた。
おおよその察しはついた。
いまや子供たちから絶大な人気を誇る志村けんが、バツイチの子持ちと熱愛となれば、世間的なイメージダウンは避けられまい。それを危惧した事務所側が、なんらかの処置を下したのは明らかだった。
事務所とは折りを見て話をつけるつもりだったが、最悪の状況で発覚してしまった。
数日後、白い便箋に数行の、別れの手紙が届いた。
事務所の用意した手切れ金は、彼女の方から断ったらしい。
地方公演の打ち上げで、不意にいかりや長介からそんな話を聞かされた志村は、ただ「そうですか」と、目を伏せることしかできなかった。
踏切の警報機がけたたましく鳴り響き、電車が冷たい風を巻き上げる。
通り過ぎた電車の向こうに、ひと組の親子が立っていた。
小学生の男の子と手をつないだ若い母親は、どこかあの女に似ていた。
遮断機が上がり、親子とすれ違う。
その直後、再び声が、志村を呼んだ。
「志村さん、うしろー!」
それはたしかに、あの女の声だった。
しかし、志村は振り返らない。
志村は過去(うしろ)を、振り向かない。
遠い追憶を背中に残して、志村は師走の街を、後にした。
NOVELIZE OR DIE 第二十回
「志村、うしろー!」
そう呼ばれた気がして、振り向いた。
振り返った志村けんの視界に、師走の商店街が映った。
冬の午後の、微かに黄金色の混じる光線が、連なる軒先を照らしていた。
まばらな人通りに、声の主は見当たらず、気まずさを誤魔化すように、肩をすくめる。
クリスマスにはまだ間があるものの、店先のスピーカーからは鈴の音が流れていた。
オモチャ屋の前でサンタクロースへの注文品を検討する子供たちを眺めながら、志村は己を振り返った。
かつては日本中の子供たちが、舞台上の志村にそう声を掛けた。
伝説の名番組「8時だョ!全員集合」でのコント中、志村の背後に怖ろしいモンスターやお化けが現れるたびに、客席の子供たちからは「志村、うしろー!」の声が飛んだ。
それは当初、志村の身を案じた子供たちからの、純粋なアドバイスであったが、やがて定型化し、番組の名物となった。
あの頃の子供たちは、もういくつになっただろう。
とっくに大人になって、オモチャ屋の前にいる子供の親になっているかもしれない。
いや、その子供でさえ成人しているかもしれない。
過ぎ去りし日の遠さに、あらためて感慨を深くした。
志村は子供が、嫌いではない。
独身を通す生き様から、一部では子供嫌いなのではという誤解を招いているが、かつての子供たちが志村を愛したように、志村もまた子供を愛している。
父親に、なりかけたことも、ある。
☆
当時はドリフの全盛期、「志村、うしろー!」の声がもっとも激しく舞台を飛び交っていた頃である。子供たちの掛け声の中に、澄んだ女性の声が混じっていた。
「志村さん、うしろー!」
突然のさん付けに、コントも忘れて振り返った。客席最前列の隅に、花柄のワンピースが咲いていた。
収録後、微かな期待を抱きながら劇場を出ると、通用口の脇に見覚えのある花柄が佇んでいた。コメディアンから一転プレイボーイの顔をつくり、悠然と歩み寄ったが、視線を隣りに移し落胆した。
その手は小学生の男の子につながれていた。
女は「息子が大ファンで…」とはにかみながら、「思わず私まで、声出してちゃって」と赤面した。
透き通る白い肌が、花柄のように色づいた。
手渡された包みのリボンには、連絡先の書かれたメッセージが挟まれていた。
男女の関係になるのに、時間は掛からなかった。
別れた夫はどうしようもないヤクザ者で、外に女をつくり、彼女にも子供にもすぐに手を上げたらしい。とうとう我慢できずに叩きだしてやったのよと得意気に語られた。
最初はコブ付きのファンと付き合うのも面白かろうという、多少悪趣味な心情もあったが、気がつけば志村の方が、惹かれていた。
仮面を取った道化師は、たいてい孤独で、情けないほど繊細である。
関係を深めるほど、彼女の勝ち気で天真爛漫な性格に、魅了された。
ただ、彼女の息子とはぎこちない関係が続いた。
もともと大ファンだからこそ、憧れの志村けんが、母親と関係を深めていくのを複雑な思いで見つめていたに違いない。ブラウン管の存在が現実味を増すにつれ、それは生身の男に変わり、暴力的だった父親に重なっていった。
繊細な志村は、そのことを敏感に察知していた。
子供たちの声援がいまの自分をつくったのだ。幼い心の微妙な機微を理解できないはずはない。また厳格な家庭に育った志村にとっても、父親はどこか得体のしれない、畏怖すべき存在であった。少年の気持ちは痛いほど分かった。
どうにか打ち解けたいと、親子を遊園地に誘った。
そこまで深入りしてしまったことに、志村自身驚いたが、自分の気持ちを確かめたくもあった。
少年はいつものように母親の背中に隠れていたが、テレビとは違った志村の優しさに触れ、次第に心を許していった。
メリーゴーランドで無邪気に笑う少年を見つめながら、女が言った。
「本当に久しぶり、あの子のあんな楽しそうな顔…」
触れた指先が自然と絡み合った。涙ぐむ彼女の気配が伝わった。
ーいきなり小学生の父親か。それも俺らしいな。
志村は胸で、つぶやいた。
夕暮れにはすっかり打ち解け合い、両側から少年を挟む三人の姿は、誰が見ても幸福な家族そのものであった。
もっとも周囲に気づかれぬよう、志村は帽子を目深に被り、コートの襟で口元を隠していた。いくら心を決めたとはいえ、余計なスキャンダルは避けたかった。
駐車場で親子に待つように言い、少年へのプレゼントを買うため、車道の向かいにある土産屋に向かった。
背後から、少年の叫び声が届いた。
「志村!うしろー!」
振り返った志村の眼球を、眩いヘッドライトが射抜いた。
次に意識を取り戻したとき、志村は病院の個室にいた。
若いマネージャーが心配げに、顔をのぞき込んだ。
幸い怪我は軽い打撲程度で、意識を失ったのは後ろ向きに転倒した際の、脳震盪によるものだった。今週の収録にも問題なく臨めるという。
すぐさま親子の所在を訊いたが、マネージャーは困惑気味に表情を曇らせた。
おおよその察しはついた。
いまや子供たちから絶大な人気を誇る志村けんが、バツイチの子持ちと熱愛となれば、世間的なイメージダウンは避けられまい。それを危惧した事務所側が、なんらかの処置を下したのは明らかだった。
事務所とは折りを見て話をつけるつもりだったが、最悪の状況で発覚してしまった。
数日後、白い便箋に数行の、別れの手紙が届いた。
事務所の用意した手切れ金は、彼女の方から断ったらしい。
地方公演の打ち上げで、不意にいかりや長介からそんな話を聞かされた志村は、ただ「そうですか」と、目を伏せることしかできなかった。
☆
踏切の警報機がけたたましく鳴り響き、電車が冷たい風を巻き上げる。
通り過ぎた電車の向こうに、ひと組の親子が立っていた。
小学生の男の子と手をつないだ若い母親は、どこかあの女に似ていた。
遮断機が上がり、親子とすれ違う。
その直後、再び声が、志村を呼んだ。
「志村さん、うしろー!」
それはたしかに、あの女の声だった。
しかし、志村は振り返らない。
志村は過去(うしろ)を、振り向かない。
遠い追憶を背中に残して、志村は師走の街を、後にした。
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