女性の首を絞め、死体にワイセツしても反省なし…「わしの腰から下は獣」7人を強姦殺害した“殺人鬼の末路”(昭和21年の事件)
〈「裏山に裸の女性死体」有名寺でいったい何が⋯【若い女性7人を強姦・殺害】妊婦まで襲った“凶悪犯の正体”(昭和21年の事件)〉から続く
戦後の混乱に乗じ、食糧や仕事を餌に若い女性を山林へ誘い出しては襲い続けた凶悪犯・小平義雄。逮捕後、男は「ただ犯りたいだけ」「腰から下は獣ですよ」と異様な供述を繰り返した。裁判で明かされたおぞましい犯行の全貌とは? そして小平のその後とは⋯⋯。
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鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

写真はイメージ ©getty
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最初の犯行
25日、宮崎さんが再びボイラー室を訪れる。なんでも、今夜の列車で母の疎開先に向かい、そこで養生することになったので報告に来たのだという。小平のことを優しい人間と思ったのだろう。それから小平は彼女と一緒に食事し、いったん女子寮の自室に引き上げた宮崎さんの後を追い、部屋を訪ねる。彼女は何の不信感も抱かず、小平を室内に招き入れた。
何時の列車に乗るのかなど、他愛もない会話を交わしながら機会を伺い、周囲に人けがないことを確認したうえで、ストレートに性交渉を頼んだ。「おじさん! 冗談は言わないでよ」と拒む宮崎さん。途端に小平は頭に血を上らせ、逃げる宮崎さんの首を絞める。ほどなく彼女が気絶したため、煙草をふかしながら覚醒するのを待った。
宮崎さんは目を覚ますと観念したのか、自ら衣服を脱いだ。躊躇なく強姦し殺害。遺体は中庭の防空壕に捨てた。事件はすぐに発覚したものの、憲兵隊が別の男に嫌疑をかけたタイミングを見計らい、小平は退職。そのまま行方をくらます。
第二の犯行は1ヶ月後の6月22日。栃木県の東武鉄道栃木駅で、「頭を束髪にして、綺麗なモンペをはき、一見大家の奥さんふうの器量のいい女」(後の小平の証言)の主婦・石井ヨリさん(同30歳)を見かけ、声をかけた。
30歳女性を山林に連れ込み⋯
「バスで往復すれば東京には今夜中に帰れる農家が知り合いですので、そこに行って米を買いませんか」
石井さんは小平の申し出を信じて疑わず、ぜひ案内してほしいと応じた。2人してバスに乗り、同県上都賀郡の真名子停留所で下車。近道があるからと石井さんを真名子村の山林に連れ込む。が、少し歩いたところで彼女が怪しみ、引き返そうとした。小平は後ろから飛びかかり、石井さんを投げ倒し顔を殴ってから強姦に及ぶ。
途中で彼女が性的に反応してきたため、そのまま翌朝4時まで体を貪った後、首を絞めて殺害。現金70円と腕時計を奪い、遺体は近くの堀の中に投棄した(遺体は9月10日に発見)。
第三の犯行
3週間後の7月12日、小平は妻子の疎開先に向かうため渋谷駅で切符を買う行列に並ぶ。そのすぐ後ろに事務員の中村光子さん(同22歳)が並んでいた。雑談を交わすうち劣情を催し、例によって、電車で1時間ほど行ったあたりに何でも買える農家があると誘う。
買い出しの金がないという彼女に自分が立て替えてあげると小平。中村さんは恐縮しながらも、嬉しそうに申し出を受け入れた。ちなみに、前日の7月11日から日本は主食の配給が1割減らされ、1人1日2合1勺となっていた。国民の誰もが終始腹ペコだった。
渋谷から浅草に出て、東武線に乗り換え金ヶ崎駅で電車を降りる。そして、またも近道があるからと、前回の犯行現場にほど近い上都賀郡清洲村の山林に誘い込む。
とりあえず、正面から口説いてみた。当然のように拒絶されると態度を豹変させ、彼女の履いていたゴム長靴の先を右足で踏んで、右手で喉を突き、倒れかかったところを前から割り込んで関係を迫る。悲鳴をあげながら体を揺する中村さんの尻の辺りを2、3回激しく殴る。ようやく大人しくなったところで性交。射精を終えたところで、なんと彼女が小刀を取り出した。
小平は動揺しながらも必死に小刀をもぎ取り、彼女の巻いていた細紐を首に二重に巻き、馬乗りになって絞殺。遺体を近くの堀の中に捨てた後、現金40円と腕時計を奪い逃走した。後の証言によれば、逃げる途中、空に米軍のグラマン機が10機編成で飛んでいたそうだ。
骨化した状態で見つかった21歳女性
第4の犯行はそれからわずか3日後の7月15日。今度は池袋駅で出会った出版社勤務の紺藤和子さん(同21歳)が犠牲となる。防空頭巾にモンペ姿、細面、きゃしゃな四肢。
小平好みの女性で、彼女もまた切符を買う列に並んでいるところで、声をかけられた。
「買い出しに行かれるなら、私もこれから入間郡(埼玉県)の知り合いの農家にイモを買いに行くので、良かったらご一緒しませんか」
空腹を抱えていた紺藤さんは喜んで誘いに応じ、2人して武蔵野鉄道に乗り込む。その途中、小平は彼女にイモではなく米が買えると持ちかけた。米の誘惑には勝てない。
2人は清瀬駅で降り、国道を4キロほど歩いた後、小平の案内に従って東京都北多摩郡清瀬村(現・清瀬市)の雑木林に入る。
小平はすぐに牙をむいた。言うことを聞かないと殺すと脅しながら首を絞め、下半身を覆っていた衣服を剥ぎ取り、強姦し殺害。現金60円と下駄1足を奪い現場を後にする。
紺藤さんの遺体は4ヶ月後の11月5日、白骨化した状態で見つかった。
1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、14日に日本は降伏を要求する連合国のポツダム宣言を受諾。
15日正午、ラジオから天皇陛下による玉音放送が流れる。
当時、小平は妻子の疎開先である富山の不二越鋼材東富士製鋼所で守衛の仕事に就いていたが、9月21日に退社。富山の薬をかき集め東京で一儲けを企む。
しかし、薬は思うほど売れず、憂さ晴らしも兼ね、また動き出す。昭和天皇がマッカーサー元帥をアメリカ大使館に訪問した翌日の同月28日、東京駅で友人を待っていた出版社経理事務員の松下ヨシ江さん(同21歳)に声をかけ、食料を餌に前回と同じ北多摩郡清瀬村の雑木林に誘い込んだ。
異常な雰囲気を察し帰ろうとする松下さんを脅し、衣服が濡れるのを嫌がった彼女を「籠かつぎ」と呼ばれる体位で強姦する。
が、行為の最中、すぐ側で栗拾いをしている子供の声が耳に入ったため、慌てて声が出ないように松下さんの首を絞めて殺害。息をしなくなったのを確認してから、改めて屍姦に及び、現金300円と、彼女が物々交換のために持って来ていた縮緬洋服を奪い逃走した(松下さんの遺体は11月5日に発見されている)。
収まらない男の衝動
その後、小平は富山に戻り、妻の弟が経営する運送会社を手伝った後、親子3人で上京。渋谷区羽沢町(現・同区広尾三丁目)に居を定める。しかし、性の衝動は収まることを知らない。
年の瀬の12月29日、小平は栃木へ買い出しに行くため東武鉄道浅草雷門駅に向かった。そこで見かけたのが、母の疎開先である日光に行こうとしていた馬場寛子さん(同19歳)。
いつものように、米が安く買える農家があると声をかけ、第二、第三の犯行場所にほど近い上都賀郡西方村の山中に誘い込む。
暗くなったから帰ろうと言いだした馬場さんを殴りつけ強姦し、彼女のマフラーで首を絞めて殺害した。
終わりのとき
鬼畜な犯行が終わりを迎えるのは1946年(昭和21年)8月17日。この日の午前9時ごろ、東京・芝の増上寺境内の裏山の草むらから全裸の女性の死体が発見された。
首に手拭いのようなものが巻きつけられていたことから他殺と思われ、警察がさらに付近一帯を調べたところ、15時過ぎに現場から10数メートル先の草むらからも半ば白骨化した女性の死体も見つかった。
白骨遺体の身許はわからなかったが、最初に発見された女性は、相撲の行司として有名な式守伊三郎(後の24代木村庄之助。本名:緑川義。1901−1973)の三女・柳子さん(同17歳)であると判明。
伊三郎の夫人から8月6日に行方不明届が出ており、新聞記事を見た夫人が警察に連絡、遺体を確認し、娘に間違いないと断言した。さらに、母親は娘を殺害したのは「小平」という男だと言う。
小平と柳子さんが知り合ったのは1ヶ月前の7月10日ごろのこと。品川駅構内で小平が彼女に声をかけたところ、就職口を探しているという。小平は下心を隠しながら力になることを約束し、再び会って話をする日を取り決める。このとき2人は住所を交換し、柳子さんはそれを家族にも知らせていた。
その後、彼女は病気になり約束の日に出かけられなかった。すると、小平が家を訪ねてきた。せっかく良い仕事を斡旋しようと思っていたのに約束の日に現れなかったので心配になって訪ねることにした、自分は進駐軍に勤めているので、軍兵舎で柳子さんが働けるようにする腹積もりだったという。前記したように、実際にそのころ小平は芝高浜町のランドリー兵舎で雑役夫を務めており、母親はすっかり信頼してしまう。
そして、病気が治った8月6日、小平と柳子さんは品川駅で午前10時に会う約束を取り交わす。が、夜になっても彼女は自宅に戻らない。心配になった母親は教えられた住所に小平を訪ねた。小平によればその日も長らく待ったものの柳子さんは姿を現さなかったそうで、母親は引き上げるしかなかった。
「そりゃあ酷いものだった」ついに男が口を開いた
こうした経緯を知った警察は遺体発見から2日後の8月19日、小平(同41歳)を愛宕署に連行。同時に家宅捜索を実施し、柳子さんの持ち物であったパラソルを発見した。小平が犯行を自供するのは翌日のことだ。
供述によると、柳子さんは8月6日午前10時、約束どおり品川駅東口に現れた。小平は巧みに嘘をつく。今日は米軍兵舎に出入りする証明書がない。丸の内のアメリカンクラブで紹介状をもらってあげるから、その前に腹ごしらえをしよう。
2人して増上寺境内の裏山で弁当を並んで食べるうち、小平は豹変し関係を迫る。嫌がる柳子さんの横っ面をひっぱ叩き、問答無用で下着を脱がせたうえで強姦。その後、彼女の首を絞めて殺害したのだという。柳子さんの首が太かったので10分くらいは力を抜かず、そのせいか彼女の死顔は黒ずみ、「そりゃあ酷いものだった」と取調官に小平は言ってのけたそうだ。
増上寺でもう一つの遺体も発見されたことから、警察は余罪も厳しく追及する。小平は、この別の遺体については関与を否定したものの、これまで未解決となっていた一連の強姦殺人について徐々に話し始め、己の犯行を自慢げに語った。
自慢げに語った「犯行方法」
――狙った女は一人として失敗したことがない。女はきちんとした身なりと優しい口を聞けば、たいてい信用するもので、皆やすやすと付いてきた。そして犯し、殺す。女の顔面を殴り、黙らせる。頸部を絞める。右手を前に、左手を後にして、両手で女の体を少し上に持ち上げる。2、3分待つ。
女が鼻水を垂らし、糞尿を垂れ流す。そうして仮死状態にしてから犯す。あえて目を覚ますまで待つときもある。失禁に気づいた女に服を脱ぐように命じ、肉体に付着した糞尿を拭き取ってやる。抵抗などない。言いなりだった。女の両足を開かせて、その中心部に男根を突き刺し、犯す。“その瞬間”がなんともいえない。
殺しが目的ではない。殺すこと自体に興味はないし、殺す瞬間は厭いやなものだ。ただ犯りたいだけなのだ。性欲がむらむらと湧いてきて、おさまりがつかなくなるだけのことである。しかし、殺してから犯すこともある。
その瞬間は女性の生死にかかわらずやって来る。その瞬間において「殺されてもいいと思う」し、「日本刀で後ろから首を斬られても構わない」くらいなんともいえない──
「わしは人面獣心です。腰から下は獣ですよ」
裁判は逮捕から半年後の1947年3月3日、東京地方裁判所で始まった。早朝から傍聴者たちが押し寄せ、開廷1時間半前には350枚の傍聴券は全て出尽くす。
小平は黒の背広に紺のオーバー、深く編み笠をかぶり、新聞社のフラッシュの中をくぐりつつ入廷。
被告席で編み笠を脱ぎ、神妙な顔で着席した。検察の起訴事実は10件の強姦殺害と30件の婦女暴行。
このうち小平は渋谷区の元東横百貨店別館地下室で17歳の女性が殺害された事件(1945年11月1日)、芝区(現・港区)の運送会社廃自動車置き場で国民学校高等科2年の女子生徒(同15歳)が殺害された事件、緑柳子さんの遺体が見つかった同じ増上寺で絞殺体で発見された17、18歳の身元不明の女性の計3件については「覚えがありません」と否認したものの、それ以外の起訴内容については素直に認め、「戦争のときはわしよりむごいことをした連中を知っていますが、平和なときにわしだけひどいことをした者はいないと思います。全く人間のすることじゃありません。わしは人面獣心です。腰から下は獣ですよ」と語った。
裁判所でくだされた罰は⋯
同年6月18日の判決は死刑。東京高裁も控訴を棄却し(1948年2月27日)、最終的に最高裁が上告を退けたことで、同年11月16日、小平の死刑が確定する。
判決直後は粗暴な態度が目立った小平だったが、面会に来た妻が自責の念を抱いて号泣したことや、教誨師との交流を深め、しだいに改心。1949年秋に身柄を東京拘置所から死刑執行装置のある宮城刑務所に移され、処刑日を迎える。
同年10月5日。この朝、小平は午前6時に起床。朝飯を食べた後、そぼ降る秋雨を眺め、教誨師に「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と語った。9時半、教誨堂で刑務所長に宣告を告げられ、饅頭を「うまい、うまい」と食べ、タバコの「ひかり」をゆっくりと吹かした後、教誨師の読経に静かに頭を下げ、被害者たちの冥福を祈念。
その後、妻に宛てた便箋2枚に「自分は荘厳な気持ちですべてを清算し、静かな気持ちで死んで行きます。長い間、お世話になった人々によろしくお伝え下さい。家族の者もどうぞ天命を完うしてください」とする遺書と「亡きみ霊、赦し給へし過去の罪、今日を最後に深く果てなん」という被害者への謝罪の念を込めた辞世の歌を残してから処刑台に立った。
9時50分絞首刑執行。10時2分絶命。享年44だった。小平が逮捕された3ヶ月後の1946年11月13日、大宮駅へ買い出しに来ていた女性が埼玉県入間郡霞ヶ関村(現・川越市)の山林に連れ出され絞殺される事件が起きた。
第二の小平事件
1ヶ月後の12月21日には同じく大宮駅へ買い出しに来た女性が茨城県猿島郡五霞村(現・五霞町)の山林で絞殺。
翌1947年1月21日には、またも大宮駅へ買い出しに来た女性がタバコ購入の斡旋を持ちかけられた後、埼玉県北足立郡馬宮村(現・さいたま市西区)の山林で絞殺体となって発見される事件が発生した。
言葉巧みに若い女性に就職口の斡旋を持ちかけ、山林に誘い出した上で殺害するという犯行手口から後に「第二小平事件」と呼ばれる一連の事件は、小平が強姦を目的にしていたのに対して金品奪取が動機だった。
警察が同一犯とみて捜査を開始したところ、大宮駅周辺で買い出しの女性に就職先斡旋など甘い言葉をかけている不審な男が浮上。
犯人の正体は⋯
人相・体格から無職の38歳男性(姓名不明)を割り出し、1947年3月15日に殺人罪で逮捕した。その後の自供で5件の殺人事件が発覚、自宅から被害女性の所持品が確認されたが、検察は3件の殺人罪で起訴し、1950年2月3日に死刑が確定した(処刑日不明)。
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
