この記事をまとめると

■アメリカには通称「25年ルール」と呼ばれる特例があることはよく知られている

■「25年ルール」は当初は正規輸入車を守るために制定されたものであった

■アメリカの「25年ルール」は、日本の自動車文化にとって功罪両面を併せもつ

良質な日本の中古車がどんどん海外へ

 日本の街から、かつての名車たちが続々と姿を消している。日産スカイラインGT-RにA80トヨタ・スープラ、そして三菱ランサー エボリューション……。こうした国産スポーツカーの中古車価格が以前の数倍から十倍以上にまで跳ね上がり、一般的なクルマ好きには手が届かない「高嶺の花」となって久しい。その背景にある最大の要因が、アメリカ合衆国における輸入規制の特例、通称「25年ルール」だ。

 いまやクルマ好きの間でよく知られているこのルールだが、そもそもなぜ、何のために、どのような歴史を経て成立したのか? その裏側には、かつての米国における「並行輸入車ブーム」と、それに対抗した正規インポーターによるロビー活動という、生々しい経済戦争の歴史が刻まれている。

 まずはこのルールを整理しておこう。アメリカでは通常、右ハンドル車や、米国内の安全基準や排ガス規制を満たさない車両の輸入と登録はきわめて困難だ。しかし「製造から25年を経過した車両」に関してはクラシックカー(歴史的価値のある車両)として認められ、これらの厳しい規制がすべて免除される。これが通称「25年ルール」である。この期間が経過した瞬間、それまでは輸入が禁じられていたJDM(日本国内専用モデル)も、合法的にアメリカの公道を走れるようになるのだ。

 このルールの起源をたどると、1980年代のアメリカに突き当たる。当時、アメリカでは「グレーマーケット」と呼ばれる並行輸入車市場が爆発的に拡大していた。ドル高の影響もあり、欧州(主にドイツ)で販売されているメルセデス・ベンツやBMW、ポルシェなどを、正規輸入元を通さずに並行輸入する業者が急増したのだ。当時のアメリカ仕様車は厳しい排ガス規制や独自の安全基準(5マイルバンパーなど)のため、本国仕様に比べて出力が低く、デザイン性も損なわれている場合が多かったからだ。

「本場の、より高性能で美しい欧州車に乗りたい」と願う富裕層は、欧州からの並行輸入車を買い求めた。1985年には約6万台以上の車両が、このルートでアメリカへ上陸したといわれている。

 そんな事態を苦々しく思っていたのが、「メルセデス・ベンツUSA」をはじめとする、米国内の正規輸入元だった。並行輸入車は正規ディーラーの売上を奪うだけでなく、メーカーが関与しない形でのリコール対応や、保証の問題を引き起こすリスクがあった。

 そこで、メルセデス・ベンツUSAを中心に強力なロビー活動が展開された。彼らは議会に対し「並行輸入車はアメリカの安全基準を満たしておらず、国民の安全を脅かす」という論理を展開。その結果、1988年に制定されたのが、「1988年輸入車両安全コンプライアンス法(Imported Vehicle Safety Compliance Act of 1988)」である。この法律により、米国の安全基準を満たさない車両の輸入は事実上不可能となり、いわゆるグレーマーケットは壊滅的な打撃を受けた。

 だが、すべての車両を一律に排除することは、自動車文化を愛するコレクターや愛好家からの強い反発も招いた。そこで、「歴史的な価値がある名車まで排除するのは行き過ぎである」という声に応える形で、一定の救済措置が設けられた。

 その際に設定されたのが、「製造から25年」という期間である。25年も経過していれば、それはもはや最新の安全基準を競う「商品」ではなく、歴史的な「収集品」とみなされる。そんな妥協点こそが、現在のJDMブームを引き起こしている25年ルールの正体なのだ。

アメリカの法律が日本の中古車市場に与えた影響が大きすぎた

 通称「25年ルール」の制度自体は1980年代末に確立されていたが、なぜいまになって、これほどまでに騒がれているのか? それは、日本のスポーツカー黄金期である1990年代のモデルが、続々と「25年」の縛りから解き放たれつつあるからだ。

 1989年登場のR32型日産スカイラインGT-Rをはじめとする1990年代の日本製スポーツカーは、世界的に見てもきわめて高い技術力と耐久性を誇っていた。そしてアメリカの若者の一部は、映画『ワイルド・スピード』シリーズや、ゲーム『グランツーリスモ』などの影響から、それらジャパニーズスポーツカーに憧れを抱きながら成長した。

 そんな彼らがちょうど経済力を身につけたタイミングで、憧れのJDMたちが25年ルールによって「合法化」された。となれば需要が爆発し、供給(日本国内の中古車在庫)が減り、そして日本における中古車価格が高騰するというのは、ある意味当然の帰結だった。

 アメリカの「25年ルール」は、日本の自動車文化にとって功罪両面を併せもっているように思える。「光」の側面としては、ジャパニーズスポーツカーが世界で正当に評価され、クラシックカーとしての地位を確立したことが挙げられる。かつてはスクラップにされていたような中古車が海を渡り、アメリカ人のオーナーによって大切にレストアされながら余生を過ごすというのは、なかなか素敵なことではある。

 その一方で、「影」の側面はそれなりに深刻だ。国内の優良な個体が海外へ流出し、中古車価格が異常なまでに高騰したことで、日本国内の若者が自国の絶版名車に触れる機会が奪われてしまったのだ。また、盗難被害の急増も無視できない問題かもしれない。アメリカ国内にて高値で売却することを目論んだ窃盗グループにとって、25年ルール対象車は「換金性がきわめて高い獲物」に見えているはずだ。

 現在は1990年代後半から2000年代初頭の車両、すなわちR34日産スカイラインGT-RやS15日産シルビアなどが次々と解禁を迎え、アメリカにおけるJDMの市場はさらに過熱しているようだ。しかし、アメリカ国内でも変化の兆しはある。環境意識の高まりや、将来的なガソリン車の規制議論が進むなかで、クラシックな車両の取り扱いがいつまでも現在のまま維持される保証はない。また、あまりの過熱ぶりに、輸入手続きの厳格化を求める声もゼロではないようだ。

「25年ルール」は、もともとはアメリカ国内の業界利益を守るための参入障壁として作られた法律だった。それが四半世紀以上を経て皮肉にも、地球の裏側にある日本のスポーツカー人気を爆発させる導火線となったことに、歴史の皮肉を感じずにはいられない。

 とはいえ歴史の皮肉に対して苦笑いしてばかりもいられない。今後は「往年のジャパニーズスポーツカー」という貴重な文化遺産をいかに守り、いかに次世代へつないでいけるかを、真剣に考えてみる必要はあるだろう。