小学生のときから性犯罪を繰り返し、それを止めなかった母親――。やがて男は、8人を殺害する凶悪犯へと変貌する。

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 なぜ「息子の暴走」は放置されたのか? 昭和46年に起きた連続殺人の原点に迫る。鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


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8人を強姦殺人した「甘ったれた男」

 1971年(昭和46年)春、群馬県一帯で127人もの若い女性が、最新のスポーツカーに乗りベレー帽を被り、ルパシカ(ロシアの民族衣装の一種であるブラウス状の上衣)を着た自称画家の男にナンパされ、車に乗った30数人のうち、16歳〜21歳の女性8人が殺害される事件が起きた。

 目撃証言から逮捕されたのは当時36歳の無職、大久保清。親から甘やかされ育った大久保は小学生高学年のころより猥褻行為を働き、強姦事件を起こすこと3回。刑務所を出所後、欲望のおもむくまま次々と女性をレイプし、都合の悪い相手は容赦なく命を奪う悪魔だった。

 古今東西、大量殺人を犯す者は往々にして成育歴に問題があり、大久保の場合も両親の影響が大きい。

 1935年(昭和10年)、大久保は群馬県高崎市八幡村(現・同市市南八幡地区)で8人兄弟姉妹の三男として生まれた。国鉄の機関士だった父は女癖が悪く、近所の娘に手を出すこともしばしば。

 後に二男の妻をも寝取り離婚に追い込んでいる。一方、母は無口で無愛想だった二男を極端に嫌い、口先達者な大久保を溺愛、「ボクちゃん」と呼び、わがまま放題に育てた(「ボクちゃん」の呼称は逮捕時まで続いた)。

幼女を麦畑に連れ込み⋯

 最初に猥褻行為を働いたのは1946年、小学6年生のとき。幼女を麦畑に連れ込んで、下半身をむき出しにして性器に石を詰め込んだ。

 被害者の親が抗議すると、母親は謝罪するどころか「ボクちゃんがそんなことをするはずがない。その時間にボクちゃんは家で一緒だった」と開き直り、被害女児が「ボクちゃんにやられた」と言っても「子供のお医者さんごっこよ。目くじらたてるな」と息子をかばった。

 八幡中学校卒業後、しばらく実家の農作業を手伝い、1954年に県立高崎商業高校定時制の分校に入学するも、出席が少なく授業料も未納のままだったため6ヶ月後に除籍に。

 その後、東京都板橋区の電気店に住み込みで働いていた際、近所の銭湯の女風呂を覗いているところを現行犯で捕まり店を解雇された。

 1953年4月、八幡村に戻り自宅で「清光電器商会」というラジオ修理販売店を開業するが、客とのトラブルから売り上げが落ち、同業者から部品を8回にわたり万引き。

 父親が損害を全て弁償したことによって示談が成立し、不起訴処分となる。

 1955年7月12日、20歳のとき、初の強姦事件を起こす。

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「女は魔物と言うからの。女に経験のない若いボクちゃんが騙されるんも、無理はないて」ーー母親も強姦をとがめず、男の暴走は止まらない。

 ついに一線を超えた事態に⋯

「女は魔物だから」母親からもしつけられず8人を強姦殺害⋯小6から「わいせつ犯罪」をやめられなかった“36歳男の末路”(昭和46年の事件)〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))