エンジニアから「寿司職人」になった私が”入店初日”から味わった洗礼…「技術」以前に立ちはだかった壁
寿司職人になる。そう聞くと、多くの人はまず技術を習得する難しさを想像するだろう。魚をきれいにさばけるか。握りをうまく形にできるか。ネタの目利きができるか。
私もそう思っていた。IT企業で5年働いたあと、寿司の世界に飛び込んだとき、最大の敵は技術だと覚悟していた。しかし実際に最初にぶつかったのは、もっと手前にある壁だった。
寿司学校に通い始めて数日で、下半身がまともに動かなくなる。現場に入れば、朝の仕込みから夜の閉店まで神経をすり減らしながら立ち続ける日々。周囲からは「どうせすぐ辞めるだろう」という視線を浴びながら、自分の居場所をゼロから作る葛藤。
振り返ると、壁は大きく4つあった。「体」「人間関係」「技術」「メンタル」。そしてそのどれもが、別の種類の難しさを持っていた。
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1つ目の壁:「体」 腰痛、手荒れ…不調が不調を呼ぶ
最初に直面したのは、体の異変だった。しかも、働き始めるよりも前に。
未経験でいきなり現場に入るのは難しいと考え、私はまず、魚のさばき方や握りの基礎を短期集中で学ぶ寿司学校に通った。寿司学校では朝8時から夕方16時まで、休憩を挟みつつも基本的に立ちっぱなしで魚をさばき、握りの練習を繰り返す。
通い始めて3日目の朝、ベッドから起き上がろうとしたとき、ふくらはぎが突っ張って足がうまく動かなかった。IT企業の5年間、基本的にはデスクワーク中心で座りっぱなしだった体に、連日の立ち仕事は想像以上のダメージを与えた。
足の裏、ふくらはぎ、太もも、腰。横になっても抜けない重さが、翌朝そのまま残る。3週間ほどかけて立ち仕事そのものには何とか慣れたが、この体への負荷は現場に入ってからが本番だった。
寿司屋の1日は長い。朝9時には出勤し、営業前に仕込み。1日あたり100人分以上のネタを用意しなければならず、穴子だけでも30匹以上を一人でさばく。様々な魚のウロコを取り、頭と内臓を落とし、血や汚れを洗い流して三枚におろす。それが終われば昆布締めや酢締めなどの仕事を重ね、営業に向けた細かいセッティングまでを90分の中に収める。
11時からランチ営業、15時に終えたら急いで片付けて昼休憩。16時から夜の準備を始め、17時にディナー営業がスタートする。ディナーは3回転。握っても握っても終わりが見えず、だんだん何をしているのかよくわからなくなることもある。22時に閉店してから掃除、在庫管理、発注を済ませ、ガス栓のチェックをしてようやく店を出る。
その間、座れるのは昼の休憩でまかないを食べるわずかな時間くらいだ。
不調は次々とやってきた。
無理な姿勢と力仕事からくる腰痛。魚の棘による指の腫れ。水仕事による激しい手荒れ。
営業の最中、動きながら5分でまかないを食べきるなど食生活が激変し、腸内環境が崩れて皮膚炎や不定愁訴にも悩まされた。
そしてなによりきつかったのは、これらが単発で終わらないことだった。
手荒れが悪化すると、包丁を握るたびに痛む。痛みをかばうと握りのフォームが崩れ、先輩に注意される。焦って力むと、さらに手荒れが悪化する。
疲労が回復しきらないまま翌日の営業が始まり、蓄積した疲れが新しい不調を呼ぶ。眠りが浅くなり、免疫が落ち、治りかけていた傷がまた開く。朝起きたとき、前日の疲れが2割くらい残っている。それが毎日少しずつ積み重なっていく感覚。一度この悪循環に入ると、自力で抜け出すのが難しかった。
ホワイトカラーの仕事にも疲労はある。締め切り前の追い込みや、終わらない会議の連続で消耗した経験は誰にでもあるだろう。しかし、頭脳労働の疲れと現場労働の疲れは質が違う。筋肉の痛み、関節の違和感、慢性的なだるさ。これらは気力でどうにかなるものではなく、物理的に体が悲鳴を上げている状態だ。
実際に体験してみて初めて、長年現場に立ち続けている職人がいかにすごいかを思い知った。90歳を超えて現役で握り続ける職人の話を以前耳にしたとき、「すごいな」とは思ったが、実感はなかった。自分の体が悲鳴を上げる日々の中で、あの「すごいな」の意味がようやくわかった。
2つ目の壁:「人間関係」 よそ者スタートからの信頼獲得
私が入った店は、都心のターミナル駅の商業ビルに入っている中高級の寿司屋だった。企業が運営しており、月8日の休みや社会保険など最低限の労働条件はそろっていた。個人経営の店に比べれば、かなり恵まれた環境だったと思う。
しかし、いざ中に入ってみると、オフィスとはコミュニケーションのスタイルがまるで違った。
上下関係はかなり強い。先輩や役職者の言うことは基本的に絶対で、フラットな関係とは程遠い。体育会系というより、もっと硬い空気がある。指示には即応が求められ、気合いと根性は当然の前提。一方で気の弱い人に対しては圧をかけるようなやりとりも普通に起きていた。
そんな中で、異業種から来た人間は「よそ者」として扱われる。
入店初日。当然できることはほとんどないので、掃除や片づけ、バックヤードの手伝いを命じられる。周囲からすれば、よくわからないキャリアを経てきた20代後半の、得体の知れない男が突然やってきたわけだ。品定めする視線を、初日からはっきりと感じた。ロッカーを案内されたとき、先輩同士が小声で何か言い合って笑っているのが見えた。聞き取れなかったが、自分のことだろうとわかった。
飲食業はもともと離職率が高く、人が定着しない前提で現場が回っている。そこに会社員あがりの人間がやってきても、「どうせすぐ辞めるだろう」と見られるのは自然なことだ。最初の数日間、名前ではなく「新人」としか呼ばれなかったことを、今でも覚えている。
会社員の世界では、仕事はある程度、説明と合意で動く。やるべきことの理由を聞けば教えてもらえるし、能力や成果で評価される。少なくともそういう建前がある。
しかし、職人の現場では評価の順番が違った。
最初に見られるのは、能力の高さではない。「この人に仕事を任せて大丈夫か」という信用だ。言われたことをすぐやるか。返事はちゃんとするか。余計な口を叩かないか。逃げずにそこに立っていられるか。
朝の仕込みで、確認のつもりで指示を復唱したら「聞いてるなら動け」と言われた。会社では丁寧さとされる行動が、ここでは鈍さに映る。包丁の持ち方を見て、先輩が何も言わずに自分の担当分を取り上げたこともあった。「任せられない」という無言の判断。説明はない。
もちろん、能力が不要なわけではない。最終的には、忙しい現場でどれだけ戦力になれるかがものを言う。しかし、異業種から入った人間は、その能力を見てもらう前に、「こいつは信頼できるのか」という最初の関門を通らなければならないのだ。
この現場では、丁寧に説明を受けてから段階的に任されるとは限らない。むしろ前触れなく試され、その場でどう反応するかまで含めて見られている。問われているのは技術そのものだけではなく、逃げずに受けるかどうかだ。
入店初日の夕方、営業が落ち着いた頃に突然大将に呼び出された。「余ったシャリで握って見せてみろ」。
まさか来るとは思っていなかったタイミングだったが、慌てて10貫ほど握った。寿司学校を卒業してからも毎日練習は続けていたので、最低限のものは握れたはずだった。しかし、実際の現場からどう評価されるのか。悪い予感がした。
ところが大将はそれを見て一言、「よし、明日から3番手に入ってテーブルの握りを担当しろ」。
正直、嬉しさより恐怖のほうが先に来た。まだ店のメニューも段取りも、何もわかっていない。しかし、ここでごちゃごちゃ言えばチャンスは消える。とりあえず威勢よく返事をした。
後で聞くと、ちょうど店舗拡大のタイミングで人手が足りず、使えそうな人間がいれば即戦力として育てたいという事情があったらしい。幸運に恵まれたのは間違いない。しかし同時に思うのは、あの場面で試されていたのは、握りの技術だけではなかったということだ。突然言われて、尻込みせず受けるかどうか。四の五の言わず手を動かすかどうか。その反応そのものが、信用審査の一部だったのだろう。
振り返ってみれば、この現場では至るところにそうした「試し」が埋まっていた。握りだけではない。仕込みで「これやっておけ」と突然渡される仕事。昼の営業中に「こっちに来い」と飛んでくる指示。どれも丁寧な説明は付いてこない。戸惑ったまま固まるか、わからないなりに動くか。その一つひとつの反応を、周囲はよく見ていた。
そんな無茶振りにも、勇気を出して対応し続けていると少し反応が変わる瞬間がある。
入店して3週間ほど経ったある日、先輩が初めて名前で呼んでくれた。「新人」でも「おい」でもなく、名前で。それだけのことが、驚くほど嬉しかった。まだ何も認められたわけではない。けれど、少なくとも「どうせすぐ辞める人間」ではなくなった気がした。
ただ、それはまだ入口だった。本当にきつかったのは、その先に待っていた技術とメンタルの壁だった。
つづく後編記事〈「毎日辞めたかった」エンジニアから「寿司職人」になった私が味わった“地獄”…「ホワイトカラーの経験」は活きたのか〉では、異業種から寿司職人へ転身するさい立ちはだかった「技術」「メンタル」の壁の中身や、その乗り越え方について詳述する。
【つづきを読む】「毎日辞めたかった」エンジニアから「寿司職人」になった私が味わった”地獄”…「ホワイトカラーの経験」は活きたのか
