「全部、あなたのためにやったのよ」亡母が500万円投じた実家の末路。片道5時間の帰省を繰り返す52歳息子、年間50万円の支出に「母の愛が重い」
ありがたいはずの親心。先祖代々の土地や家を守り、継いでいくことが子の幸せだと信じた親と、負担に感じる子世代。ある親子のケースから、不動産相続の難しさについて考えていきます。
遠隔地の「先祖代々の土地」という重圧
東京都内のIT企業に勤務する萩本聡さん(52歳・仮名)は、現在、横浜市内のマンションで家族3人と暮らしています。萩本さんの九州の実家は、東京から航空便とバスを乗り継いで片道5時間を要する、地方都市の郊外に位置しています。
3年前に亡くなった母親の萩本和子さん(享年82歳・仮名)は、生前、この家と土地の維持に強い執着を見せていました。和子さんは夫に先立たれた後、自身の老後資金から約500万円を支出し、外壁の塗装や水回りの全面リフォームを実施しました。当時、萩本さんはすでに横浜に拠点を置いており、将来的に実家へ戻る意思がないことを明確に伝えていました。
しかし、和子さんは「この家はお前のために守ってきた。先祖代々の土地を守るのは長男であるお前の務めだ」と主張し、萩本さんの意見を聞き入れませんでした。その際、和子さんは「全部、あなたのためにやったのよ。お前が困らないように準備したのだから」という言葉を繰り返しました。
現在、萩本さんは半年に一度、有給休暇を利用して実家の管理に赴いています。往復の航空運賃と宿泊費、現地での移動費を合わせると、一度の訪問で10万円以上の出費となります。
主な作業は、家屋の通風や庭の除草、屋根の損壊確認です。雪深い地域であるため、冬場は業者に除雪を依頼しなければならず、その費用も加算されます。萩本さんは、現在の心境を次のように述べています。
「母の価値観では、土地を守ることが使命であり、私への愛情でした。しかし、飛行機の距離にある家を管理し続けるのは、物理的にも経済的にも限界があります。生前、何度説明しても『あなたのため』と一蹴されて……」
萩本さんが現地の不動産業者に売却を相談したところ、過疎化の影響で買い手がつかず、査定額はリフォーム費用を大幅に下回る150万円でした。さらに、建物を解体して更地にするには、遠隔地ゆえの人件費高騰もあり、約250万円の費用が必要と見積もられました。
一方で、所有を継続する限り、固定資産税や火災保険料、遠征費用、冬場の管理費などで年間約50万円のコストが発生しています。
「手放すにも持ち出しが必要で、持ち続ければ資金が削られていく。母がリフォームに投じた500万円があれば、どれほど私の娘の教育費や、母自身の介護サービスの充実に充てられたかと考えてしまいます」
価値観のズレが招く「負動産」化と相続放棄の現実
総務省『令和5年住宅・土地統計調査』によると、全国の空き家数は約900万戸に達し、総住宅数に占める割合は13.8%と過去最高を更新しました。このうち、賃貸・売却用や二次的住宅を除いた、将来的な活用が見込まれにくい「その他の住宅」は385万戸に上り、全空き家の4割以上を占めています。
同調査では、こうした空き家の取得経緯について「相続」が主要な要因のひとつだと報告されており、居住実態のない遠隔地の家屋を引き継ぐことが、空き家増加の背景にある実態が浮き彫りになっています。
さらに、不動産を所有することのリスクを避け、権利そのものを手放す動きも急増しています。
最高裁判所『司法統計(令和6年度)』によると、相続放棄の受理件数は全国で30万8,753件に達しました。20年前の2003年時点では約12万6,000件であったことと比較すると、20年間で2倍以上に増加している計算になります。
これは、親世代が信じていた「土地や家屋は確実な資産である」という価値観が崩壊し、子世代にとっては維持管理コストや処分費用の負担が資産価値を上回る、「負動産」と認識されていることを示唆しています。
萩本さんが吐露した「手放すにも持ち出しが必要で、持ち続ければ資金が削られていく」という状況は、現在の日本における相続が抱える根深い矛盾を象徴しています。
