五木寛之さん(左)とタブレット純さん(右)(撮影:大河内禎)

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令和の今も、聴く人の心を揺さぶる昭和歌謡。作詞家としての顔を持つ五木寛之さんと、歌手であり昭和歌謡の研究家でもあるタブレット純さんの人生のそばにも、いつも歌謡曲があったといいます(構成:北村文代 撮影:大河内禎)

【写真】今、昭和という言葉が、ちょっと軽薄に上滑りしている感じがするんですよ

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時代を創るエネルギーがあった

五木 タブレットさんとちゃんと対談するのは2回目ですよね。

タブレット 初めてお目にかかったときは、憧れと緊張で心臓がバクバクしていました。ラジオ日本で放送中の番組『タブレット純 音楽の黄金時代』にご出演いただき、本当にありがとうございます。夢のようでした。

五木 あのときは僕も楽しかった。自分で作詞したのに忘れていたような曲を探し出して紹介してくださる、鋭い感覚と熱心な探求心に感動しました。タブレットさんは、昭和歌謡をむさぼるように聴いてるだけじゃなくて、歌ってもいるから、言葉にリアリティがあるんだよね。

タブレット そう言っていただけると、うれしいです。実はこの対談の前に、先生の作詞作品集『歌いながら歩いてきた』のブックレットを読ませていただきました。琴線にふれるものばかりで、びっくりしたんです。

五木 タブレットさんと僕はどれくらい違うのかしら。年齢を聞いちゃいけないのかな。(笑)

タブレット 昭和49年生まれなので、51歳です。

五木 じゃ、僕と40歳以上違うわけだ。

タブレット はい。

五木 それはそれは。僕から見れば、青春歌手ですね(笑)。こんなに世代の違う昔の話を聞いてくださるとは奇特な。(笑)

タブレット 古いものが好きなので楽しいです。先生が「放浪の時代」と呼んでいるレコード業界にいらした20〜30代の頃は、作家デビューなさる前ですよね。

五木 そう。当時のレコード会社には、いろいろな人間が入り交じっていた。歌手のタブレットさんには、音楽業界の面白さもやるせなさも十分わかってもらえると思うんだけど。

タブレット 共感と言うとおこがましいんですが、放浪時代のお話は胸に迫ってきます。

五木 当時の芸能界は、ある意味別世界でしたからね。その世界を体験したことは、自分にとって大きな収穫になってる。

タブレット あらためて、NHK『ラジオ深夜便』内のコーナー、「五木寛之のラジオ千夜一話」で先生が取り上げられてきた曲も全部聴いてきました。やはり歌の力と言いますか、時代を創るエネルギーを感じるんです。

五木 なるほど。歌には、人をいい気持ちにさせるだけではなく、聴く人の心を一つにして、ある方向に導いていく力があるんだ。たとえば戦時中、軍歌のほかに国民歌謡というのが流行した。これは、本当に大きな力を持っていました。

タブレット 「明日はお立ちか」みたいな軍国歌謡を聴くと、静かな闘志が体の底から湧き出てくるような感覚になります。

五木 実際に力があったと思う。若い兵士たちは出撃前夜に、みんなで「同期の桜」を大声で歌って自分を鼓舞したり。

タブレット その歌に自分の感情を預けて、迷いやためらいを消し去っていたのでしょうか。

五木 かつて、イスラム学者の五十嵐一(ひとし)さんは、「明治維新は短調(マイナー)でやってきた」と言っています。たしかに官軍が歌い行進していた「宮さん宮さん(トンヤレ節)」など、時代を創るエネルギーでした。

モスクワで見た軍隊の行進曲は、ロシア民謡の「ともしび」だったし、「インターナショナル」は、革命歌謡ですね。〈いざ出撃〉というとき、元気な明るい歌ではなく、センチメンタルでマイナーな曲が歌われるところが面白いよね。

タブレット ぼくは切ない響きのマイナーなメロディが好きで、それを聴くと元気が出るので、すごくよくわかります。悲しいとき、寂しいとき、慰めてくれるのは、悲しい歌なんですよね。


「昭和歌謡がいいなと思ったきっかけは、父が車で水原弘さんの曲を流していたことです。彼の『絶唱 最後の録音盤』というアルバムが、どこに行くときもかかっていました」(タブレットさん)

つらい浮世の澱を洗い流してくれる

五木 タブレットさんはお若いのに、なんでそんなに古い歌謡曲が好きなんだろうね。雑誌の企画で、読者に「あなたの好きな昭和歌謡」の投稿を募ったら、青春時代に流行した歌や両親が好きで歌っていた曲がずいぶんたくさんあがりましたね。

大体、歌と個人の体験なり、実体験なりはつながっているんだけれど、タブレットさんの場合は、ちょっと違うよね。

タブレット ぼくは幼稚園の頃から、周囲との違和感を覚えていました。女の子と間違われたり、運動神経が悪いので体育が苦手だったり。いろいろなことが積み重なり、学校に行きたくなかったんです。

現実の風に吹かれたくない一心で、小学生の頃から古書店に通い、相撲や野球の雑誌のバックナンバーを探していました。好きな音楽やスポーツは過去のものばかりで。

五木 それが一つの分野になってるところが凄い。今は、インターネットやゲームにはまる子どもが多いらしいけれど、タブレットさんは、渋い、レトロ趣味だったんだね。

タブレット 当時は自分のようなマニアックな人間がほかにも存在していることを知らず、疎外感がありました。自分は変人というか変態というか……。一人で歌謡曲を聴いて調べて楽しんでいる、完全に世捨て人状態だったと思います。

五木 でも今は歌手として、また歌謡曲考証家として大活躍して一翼をなしている。ご家族も歌がお好きだったんですか?

タブレット 昭和歌謡がいいなと思ったきっかけは、父が車で水原弘さんの曲を流していたことです。彼の『絶唱 最後の録音盤』というアルバムが、どこに行くときもかかっていました。

その頃、街にホーロー看板がまだあって、水原さんの看板を見つけると父が、「これはあの人の歌だよ。酒飲みすぎて血を吐いて死んだんだ」。なんでそんな話を子どもに聞かせるんだと思いますよね(笑)。

でも、結局その話が頭にこびりつき、彼の歌も心に刺さり……。そこからはまったような気がします。

五木 僕もあの歌は好きだな。ところでタブレットさんとコーラスグループの「和田弘とマヒナスターズ」との出会いは?

タブレット 小学校6年の頃、ラジオで流れてきた幻想的な歌声にしびれまして。卒業アルバムにも、好きな芸能人は「マヒナスターズ」と書きました。

五木 そして、その憧れのコーラスグループのメンバーになってしまうのだから、あなたは強運の持ち主だよね。(笑)

タブレット 自分でも信じられませんでした。2002年、ぼくがマヒナスターズのメンバーだった日高利昭さんのイベントに参加した流れで、日高さんが主宰していたカラオケ教室に通い始めたんです。その頃、グループの低音担当の人が抜けてしまったので、急遽補う必要があり、ぼくが呼び出されました。

五木 いきなり大舞台に。

タブレット 人前に立つこと自体が苦手なのに舞台に上がったものですから、素面(しらふ)ではできませんでした。10年くらいはお酒を飲んでごまかしていたんです。

五木 うーん、わかるなあ(笑)。僕の学生時代は、昼間はデモに行って革命歌を歌い、夜は中野あたりのトリスバーでムード歌謡にどっぷりつかって酔いつぶれる、という青春でした。

あなたがマヒナスターズに加わって、そういう時代の片鱗に実際にふれているというのは、今後の人生のものすごく大きな資産だと思います。

あの時代のムードコーラスは、センチメンタルな感情だけではなく、つらい浮世の澱(おり)を、そっと包んで、洗い流してくれる情感みたいなものがあったんだ。

<後編につづく>