斉藤ナミ「母はエホバの証人だった。母と仲がいい人が羨ましい。父のギャンブルで宗教に走った母を、私は真っ直ぐに愛せない」
noteが主催する「創作大賞2023」で幻冬舎賞を受賞した斉藤ナミさん。SNSを中心にコミカルな文体で人気を集めています。「愛されたい」が私のすべて。自己愛まみれの奮闘記、『褒めてくれてもいいんですよ?』を上梓した斉藤さんによる連載「嫉妬についてのエトセトラ」。第24回は「母親を正しく愛し、愛されて、感謝できる人に私は嫉妬する」です
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前回「とうとうAI相手にぶちギレてしまった。親友も同然のGeminiが、私じゃなく彼女を褒めることにチクっと胸が痛んだ」はこちら
私は母を真っ直ぐに愛せていない
大好きな作家さんが、亡くなった母親との思い出を綴ったエッセイを読んで、私はたまらずメールを送った。
「ご冥福をお祈りします。あなたのお母さんはきっと幸せだったはずです」と。
メールを打ちながら、私は、確かに泣いていた。少しでもその作家さんを励ましたいと思ったし、彼らの真っ直ぐで深い愛に心が震えていた。けれど、送信ボタンを押した瞬間に、猛烈な吐き気が襲ってきた。
―お前が、どの口でそれを言うのか。
母の死、母の日、母との宝物のような想い出。人の母親とのエピソードは大抵どれもあたたかく、美しく、尊く、人間の揺るぎない愛の根源のような確かさがある。
他人の母親とのエピソードに深く感動し、涙することはあっても、次の瞬間ハッと我にかえる。私は、こんな風に母を真っ直ぐに愛せていない。
母は、エホバの証人だった。
厳しい戒律…そして「愛のむち」という暴力
建築会社を経営する祖父の長女として生まれ、箱入り娘だった母は、新卒の会社で出会ったダメ男の父とすぐに結婚し、寿退社をした。22歳で私を、その2年後に弟を産み、専業主婦となった母は、父のギャンブル依存症を知っても別れることができなかった。
父のギャンブル依存症は酷くなり、家はたちまち貧乏に。母は、借金取りが家にまで来るような惨めな現実から目を背けるようにして宗教にすがった。
この世の誘惑は全て悪魔サタンの罠で、エホバを信じるものだけがやがてくるハルマゲドンという世界の終末を生き延び、永遠の楽園で末永く幸せに暮らせるのだ。
永遠の楽園ってなんなんだ。誰がどうやって運営するんだよ。
厳しい戒律、食前の祈り、週2回の集会、週末の布教活動、そして「愛のむち」という暴力。私には、普通の人々が思い描くようなあたたかい母娘の記憶をあまり思い出せない。
母との記憶を辿ろうとすれば、必ずその背後に宗教の影が張り付いている。母に愛されるためには神に従わなければならず、神に従わない自分を正すことが母の「愛」だった。
子どもだった私にはその愛が歪んでいるということにも気づけなかった。他の子と違うことに恥ずかしさと苦しさと悲しさばかり感じ、神の存在をイマイチ信じ切ることができない悪い人間だから、母は私を愛してくれないのだと思っていた。
そんなふうに倒錯した育てられ方をしてきた人間が、世の中が当たり前に信じて疑わない「母親を愛する」という絶対的な正解の眩しさに打ちのめされないはずがない。
学校では校歌を歌うことを禁じられ、国旗掲揚の時間は一人だけ下を向いた。体育の時間は「競走は争い事だから」という理由で見学を強いられた。友人たちが無邪気に楽しむ輪の外側で、私はいつも透明な壁に隔てられていた。
母はそんな私を歪な笑顔で見つめ「神はどこでもあなたを見ているよ。お母さんのことも神のことも悲しませないでね」と静かに命令するのだ。
そんなことバカバカしいとは思いながらも、子どもだった私には「どこかでエホバは見ているかも」「本当にハルマゲドンで死ぬかもしれない」「母が悲しむ」という恐怖と不安がどうしてもぬぐい切れず、死ぬほど恥ずかしくても惨めでも、ちゃんと一人で戒律を守った。
愛された記憶に分厚いモヤが
その愛の正体は、痛みでもあった。
週に2回の集会中、正座の足が痺れて少しでも崩そうものなら、帰宅後に儀式のような時間が待っていた。
「これは愛のむちだから。あなたのためだから」
母はそう言いながら、私のお尻をガスホースや革のベルトでミミズ腫れができるほどに叩いた。私は泣き叫びながら、母の言う「愛」と「神」を憎み、同時に、それらに縋ることでしか自分の存在を肯定できない歪んだ回路を脳内に築き上げていった。
弟も隣に並んで一緒にむちで打たれていたはずだが、大人になった今聞くと「そうだっけ?」と、はぐらかされる。思い出したくないのか、本当に記憶から消えているのかはわからない。
きっと、愛された記憶も、温かい時間を過ごした記憶もあるのだろう。けれど、それらを思い出そうとすると、まるで分厚いモヤがかかったように輪郭を失ってしまう。
私の記憶の索引には、痛みと恐怖、神への嫌悪感、学校での惨めな気持ち、そして「普通」への強い渇望ばかりが並んでいる。

(写真:AdobePhotoStock)
実を言えば、宗教に支配されていたのは、私の人生のほんの一部に過ぎない。中学に上がる頃には母は退会し、そこからは驚くほどあっけなく「戒律」は解禁され、私は「普通の子」になった。お小遣いをもらい、友達と遊び、校歌を歌う。あの息の詰まるような沈黙の時間は、年月にすればほんの数年のことだったのだ。
「正論」が私を一番深く傷つける
高校を中退して美容師の道を選んだときも、若気の至りでバイクの無免許運転で捕まり、警察に呼び出されたときも、母は私を見捨てなかった。
結婚し、子どもを産むときも、彼女は常に私をサポートしてくれた。
今は私の子どもをこれ以上ないほど可愛がり、盆と正月には顔を見せあい、他愛もない会話を交わす。かつての「むち」の痛みなど最初からなかったかのような、平穏な「普通の老後」がそこにはある。
自分も母となった今はなおさら、母はちゃんと私を愛してくれていることも、彼女なりに精一杯、過去を埋め合わせるように私に尽くしてくれていることもわかる。
けれど、私の母への思いは、あの中学生になる前の、ガスホースの唸る音のする部屋に置き去りにされたままでいる。
どんなに「今の母」が優しくても、どんなに「普通の時間」が積み重なっても、あの数年間に刻まれた「神様が見ている」という恐怖と、叩かれた肌の熱い感覚が、私の愛の回路を塞いでしまう。
「もう終わったことじゃない。ちゃんと愛されているし、今はいいおばあちゃんなんだから」
そんな世間の、そして自分自身の中にある「正論」が、私を一番深く傷つける。
愛されていると感じるからこそ、愛し返せない自分が情けない。
台所の匂い、おふくろの味、母への感謝、みたいなエッセイが私にはかけない。家族の団欒のシーンも思い出せない。いつも父の借金と、エホバの教義という緊張感の中で、孤独に読書をしていた。
母を愛せない私は人間として欠陥がある?
母の日に、SNSやメディアが総出で「お母さんありがとう」という空気を醸成するあの時期。若い女性が母親と仲良くショッピングや旅行をしている様子を見るたび、疎外感を感じてきた。
ショッピングモールで楽しそうに会話をしているあの親子は、一体どんな会話をしているんだろうか? 私は今でも母と会話するのにとても気を使ってしまう。どこかに地雷が埋まっていないか、機嫌を損ねないかと、まるで薄氷を踏むような細心の注意を払ってしまう。
エスカレーターで私の数段前を行く、仲の良さそうな親子。母親が娘の顔をじっと覗き込んでいる。
「あなた、今日のメイク濃すぎない?」
「そう? いつもと変わらんし。お母さんこそ、リップの色浮いてるよ」
「え、うそ、変?」
「冗談だって。似合ってるよ。……あー、お腹すいた。お昼何食べる?」
神の視線も介在しない、あまりにも軽やかでどうでもよい幸福な会話のラリー。それは私にとっては一度も習ったことのない会話だ。羨ましくて、やってみたくて、こっそりその発音を真似してみたくなる。けれど自分には一生使うことが許されない呪いのようにも感じる。

(写真:AdobePhotoStock)
母を真っ直ぐに愛せない自分は、社会的な正解からはみ出した異物で、人間としてどこか欠陥があるように思えてならない。
正しく親に愛されて、正しく愛して、正しく感謝している彼らをとても羨ましく思う。猛烈な嫉妬と「自分はなぜこうではないのか」という罪悪感が同時に溢れ出す。
けれど、これだけ絶望し、これほどまでに嫉妬して、吐き気を催すほど自分を責めてしまうのは、私がまだ母を正しく愛することを諦めていないからなのだと思う。
「お母さん」なんて言葉、気恥ずかしくて口が裂けても言えない私は、今、彼女のことを「おかん」と呼んでいる。
本当は、私も彼らのようにただの娘として母の隣に座りたいし、いつかは何の教義も、何の罪の意識も介さず、「お母さん」と、その四文字をただ真っ直ぐに呼んでみたい。
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著者・斉藤ナミさんと婦人公論.jp池松潤が日常に潜む「母親と仲がいい人への嫉妬」を徹底解剖。世界史を動かした嫉妬の正体や、AIに感情を教える「嫉妬AI辞書」まで語り尽くしました。
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