『あんぱん』写真提供=NHK

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 「時は昭和11年――」という活動弁士(生瀬勝久)の名調子もすっかりおなじみになった『波うららかに、めおと日和』(フジテレビ系)。戦前を舞台に、親が決めた相手と結婚した関谷家の三女・なつ美(芳根京子)と、帝国海軍中尉・瀧昌(本田響矢)のぎこちないながらも微笑ましい新婚生活を描くドラマだ。

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 では、ドラマの舞台になっている昭和11年(1936年)とは、どんな時代だったのだろうか。作中の描写と照らし合わせながら考えてみたい。

 昭和11年については、第1話で活動弁士が「アメリカではチャップリンの映画『モダン・タイムス』が公開され、日本では二・二六事件が起きた頃」と説明していた。『モダン・タイムス』は資本主義社会や機械文明を痛烈に皮肉ったアメリカ映画、二・二六事件は陸軍の青年将校らによるクーデター事件だ。蜂起は鎮圧されたが、政財界が軍部の思うままに動くきっかけとなった。とはいえ、海軍は二・二六事件には参加しておらず、瀧昌にも事件の影響は感じられない。

 海軍に大きな影響を与えたのは、前年である昭和10年(1935年)12月に行われた第2回ロンドン海軍軍縮会議だった。第3話で、瀧昌が同僚たちの「12月のロンドンでの会議は決裂したのか」「英断だろ。これ以上、艦(ふね)を減らされて、まともに戦えるものか」という会話を聞く場面があるが、この「ロンドンの会議」のことである。

 昭和5年(1930年)に第一次世界大戦の戦勝国5カ国(イギリス、アメリカ、日本、フランス、イタリア)の間で戦艦や巡洋艦などの建造と保持に制限をかける条約を結んでいたが、それを対米英強硬路線を突き進んでいた日本海軍が破棄、昭和11年1月に日本とイタリアが脱退する。こうして「海軍の休暇」と呼ばれていた日々は終わりを告げ、なつ美と甘い時間を過ごしていた瀧昌はいつ戦地に出向くことになってもおかしくない自分の立場を思い出す。

 なお、大正11年(1922年)のワシントン海軍軍縮会議でも、戦艦を減らす条約が結ばれていた。海軍は戦艦を減らされた分を猛訓練で補おうとしたが、昭和2年(1927年)に119名の犠牲者を出した艦艇の多重衝突事故(美保隻事件)を引き起こしてしまう。瀧昌の父はこの事故で亡くなったという設定になっている。

 軍部のことだけでなく、世間一般のことも触れておきたい。軍部が大きな力を持ち始めた時期だったが、まだ都市部では戦争のムードは訪れていなかった。バス停にはカレー粉、ミルクキャラメル、コーヒーなどの広告が並び、洋食も自由に食べることができた。新婚旅行に出かける際、なつ美が大正時代に流行した「モダンガール(モガ)」の格好をする場面があった。

 なつ美と瀧昌の結婚は親と上司が決めたものだったが、事前に一度、劇場で偶然を装って出会っている(それぞれ観劇中に眠っていたのでお互いの記憶になかった)。戦後すぐに連載が始まった『サザエさん』でも、ノリスケとタイコが偶然を装う形で見合いを行っていた。また、男尊女卑的な風潮の表れとして、見合いの事前に男性側だけが相手の女性を下見することもあったという。

 昭和11年の象徴的な出来事といえば、8月のベルリン五輪で女子200メートル平泳ぎに出場した前畑秀子による金メダルの獲得だろう。『波うららかに、めおと日和』では活動弁士によるナレーションで語られていたが、NHK連続テレビ小説『あんぱん』では、朝田のぶ(今田美桜)をはじめとする朝田一家がラジオを囲んで前畑の金メダル獲得を大喜びしていた。両作品は、ほぼ同時期に戦前の同じ時代を描いていたことになる。面白い偶然だ。なお、作中では触れられていないが、ベルリン五輪は「ヒトラーのオリンピック」とも言われていた。

 昭和11年、のぶは女子師範学校で教師になるための勉強をしていた。女子師範学校で同級生のうさ子(志田彩良)が「学を修め、業を習い、以て智能を啓発し」と教育勅語を暗誦する場面がある。教育勅語は明治時代に発布された教育の基本方針で、「忠君愛国(君主である天皇と国のために尽くせ)」という教えが語られている。教師の黒井雪子(瀧内公美)は、「忠君愛国の精神を肝に銘じなさい」と生徒たちに厳しく叩き込んでいた。

 『あんぱん』では、昭和12年(1937年)以降のことも描いている。この年の7月、ラジオで「盧溝橋事件」を報じるニュースが流れると、羽多子(江口のりこ)は「また支那と戦争ですか」と嘆く。この事件をきっかけに、日本は中国との泥沼のような戦争に突入する。朝田家で石工をしていた豪(細田佳央太)に赤紙が届くのもこの年のことだ。

 女子師範学校ですっかり「愛国の鑑」となったのぶは、昭和13年(1938年)に卒業して、尋常小学校の教師となる。子どもが教室で「ヒットラー総統のドイツ軍がポーランドに勝ちました。日本の兵隊さんらも支那で頑張って戦こうてくださってます」と言うと、のぶが満足げに「立派な心がけです」と頷く場面が印象的だった。人々の考えも生活も町の風景も一気に戦争に染まっていく様子は、2023年の映画『窓ぎわのトットちゃん』と通じるものがある。

 なお、『波うららかに、めおと日和』でも、原作では盧溝橋事件が勃発、瀧昌の出征まで描かれている。当然、ドラマでも同じような展開になっていくだろう。いつまでも二人のぎこちなくも甘い様子を見ていたいが、時代が許してくれなさそうだ。

 昭和11年だなんて、はるか昔のことのように感じるが、先日逝去したプロ野球のスーパースター、元巨人軍の長嶋茂雄さんが生まれた年だと考えると、それほど昔のこととも思えない。過去、現在、未来は地続きだ。昭和11年がどのような時代だったかをあらためて知ることは、二度と同じ過ちを起こさない手助けになるはずだ。

(文=大山くまお)