1994年、ウルティモ・ドラゴンとタッチする円楽さん(写真・山内猛)

 9月30日、肺がんのために72歳で亡くなった六代目三遊亭円楽さん。

“毒舌&腹黒キャラ”で『笑点』(日本テレビ系)の大喜利レギュラーとしてお茶の間を沸かせた円楽さんは、大のプロレス好きとしても知られ、1980年代中〜後期にかけては、全日本プロレスの後楽園ホール大会に足しげく通い、試合を観戦していた。

 プロレスカメラマンの山内猛氏が語る。

「円楽さんは、全日本プロレスの後楽園ホール大会の年間シートを購入して、毎回、北側の最前列で観ていました。昔から、ジャイアント馬場さんとはゴルフや麻雀に興じるほど仲がよかったんです。東京都墨田区立両国中学校の同級生だった、天龍源一郎さんとも親しかったですね。

 ただ、そういうことを抜きにしても、純粋にプロレスが好きだったんでしょう。いつも楽しそうに観戦していました。後楽園ホールの控室に入るところに、ちょっとした溜まり場みたいなところがあるんですけど、休憩になると『ちょっと吸わせて』と言って、いつもタバコを吸いに来ていました。僕らにもぜんぜん偉ぶることなく、気さくな人でしたね」

 1990年に天龍が全日本を離脱し、1992年に自身の団体「WAR」を立ち上げると、その会場でもよく円楽さんの姿を見かけたという。

「ウルティモ・ドラゴンを筆頭に、当時のWARの若い選手を家に泊めてあげたりして、よく面倒を見ていました。円楽さんにお世話になったレスラーは、かなり多いと思います。のちに、ウルティモがレスラー養成学校・闘龍門を設立すると、円楽さんは理事に就任しました。同校の出身レスラーが多い『ドラゴンゲート』も応援していました」

 晩年は、肺がんや脳腫瘍など病気との闘いが続いた円楽さん。2022年1月に脳梗塞を発症した。8月には車いすで高座に復帰するも、同26日に軽度の肺炎で再入院。落語家として完全復活を願い、病魔に襲われるたびカウント2.9で跳ね返してきたが、肺がん治療を再開した矢先の急逝だった。

 円楽さんが亡くなって一夜明けた10月1日、都内の自宅には弔問に訪れた、素顔のウルティモ・ドラゴンの姿があった。多くのプロレスラーやプロレスファンにも愛された円楽さん。きっと天国で、また馬場さんらと雀卓を囲んでいることだろう。