イライラさせられる「謝り方」の共通点5
※本稿は、ハリエット・レーナー(著)、吉井智津(翻訳)『こじれた仲の処方箋』(東洋館出版社)の2章「人をいらつかせる謝り方」を再編集したものです。
■【その1】言い訳の畳みかけ
傷ついた側の人は、何をおいてもまず心に響く謝罪の言葉を聞きたいと思っている。そこで、誠意を持って謝罪を伝えたとしても、そのあとにすぐ「でも」と続けてしまうと、せっかくの誠意が帳消しになってしまう。だから、このタチの悪い小さなつけ足しには注意が必要だ。それをしてしまうと、ほぼどんなときでも言い訳に聞こえるか、せっかくの謝罪のメッセージがなかったことにさえなってしまう。
「でも」以下が本当であるかどうかは関係ない。それは本質的に「全体的な状況をふまえれば、私の無礼(あるいは遅刻、嫌みな言い方など)は、そこそこ理解できる範囲のものだ」と言っているのと同じなのだ。
■【その2】お気持ちに気づかなかったアピール
「ごめんなさい、あなたがそんなふうに思っていたなんて」という言い方もまた、謝っているようで謝ったことになっていない。真の謝罪とは、自分のしたことから焦点をずらすものではない。ましてや、相手の反応に焦点を移すなどもってのほかだ。
■【その3】自分は悪くない可能性を含ませる
これもちょっとしたことだが、“もしも”というのは、相手に自分の反応を振り返らせる言葉だ。「もしも私が無神経なことをしたのなら、ごめんなさい」とか、「もしも私の発言を攻撃的だと思われたのなら、ごめんなさい」などの言い方をついしてしまっていないだろうか。
「もしも……だったら……」と始める謝罪は、だいたいにおいて謝罪になっていない。それを言うなら、「あのときは、言いすぎてしまいました。無神経だったことについてはおわびしますし、二度とこのようなことがないように努めます」という言い方のほうがいい。
「もしも私が……だったのなら、ごめんなさい」という言い方は、相手を見下した印象を与えてしまうこともある。あるチーム・ミーティングでのこと、私のクライアントのひとり、チャールズは、“女脳”についての笑えないジョークを言ってしまったのだそうだ。ミーティングが終わったあとで、チャールズは上司である女性にこんなふうに言った。「もしも私の発言で、ご気分を害されたのならごめんなさい」と。
すると、こんな答えが返ってきた。
「チャールズ、私の気分はそう簡単には害されませんよ」。その声に混じっていた怒りのトーンに、チャールズは困惑した。自分が失礼な発言をしたことは謝罪できておらず、上司が過剰な反応をする女性だと示唆することになってしまったことが彼には理解できなかったのだ。
小さなことだが、せっかくの謝罪の言葉を、まったく謝らなかったのと同じに変えてしまう余計な言葉には気をつけたいものだ。
■【その4】謝罪の対象がずれている
私のセラピーに通っている、10代の息子を持つある父親の話だ。彼は怒りっぽくて、たとえば、閉まりにくいガレージのドアをきちんと閉めていなかったとかいうささいなことで息子を厳しく叱りつけてしまうことがよくあった。それで息子の機嫌が悪くなると、今度はこんなふうに謝っていたのだという。「父さんの言ったことで、そんなにおまえを怒らせてしまって申し訳なかった」。これが、彼の標準的な謝罪の言葉だった。
「あの謝り方が嫌なんです」。彼の息子は私にこう話してくれた。「なんだか腑に落ちなくて。理由はわからないんですけど」。息子のほうはどこかが間違っていると気がついていたものの、父親が何に対して謝っているのか、そして誰の問題なのかをぼやかしてしまう理由を突き止められずにいた。ただ、父親にそんなふうに謝られるとどこか落ち着かず、居心地が悪くなってしまうのだった。
この父親の謝罪になっていない謝罪は、自己防衛のあらわれでもなければ、責任逃れのずるいやり方でもない。むしろ家庭内に不安を抱える家族によくみられる混乱した思考の反映だと言っていい。どんなシステムにおいても、不安が大きければ大きいほど、人は自分の気持ちや行動に対する責任(“お父さんが頭が痛いって知っているのに音楽を小さくしなかったことを謝ってきなさい”)よりも、自分以外の人の気持ちや行動に対する責任(“お父さんの頭が痛くなったじゃないの、謝ってきなさい”)を強く感じるようになる。
■【その5】許してもらおうとする
謝罪を台無しにするもうひとつのやり方は、謝ったと同時に、許しと救済への切符を自動的に手にすることができたと思うことだ。これはあなた自身とあなたが安心できるかどうかの問題でしかない。「ごめんなさい」という言葉は、傷ついた相手から許しをもらうための取引材料と見なすべきではない。
ただし近い間柄においては「私を許してくれますか?」とか、「どうかお許しください」といった言葉が儀礼的になっている場合もある。だから、傷ついた側の人がそれを受け入れられる関係ならば、謝ると同時に許しを求めてもかまわないだろう。だが、基本的には、あなたが傷つけたほうの立場だとして、あなたのほうが許しを期待したり要求したりする、あるいは機が熟すのを待たずそれを求めてしまうと、せっかくの謝罪を台無しにしてしまいかねない。ここにひとつ例がある。
▼許しの要求は、謝罪の価値を減じてしまう
ドンは、14歳になる娘を自転車仲間とのサイクリングに連れていった。妻のシルビアはもともと誰であれ他人と一緒に娘が自転車で走るのには反対で、ずっと昔にドンはその考えを尊重すると約束していた。約束を破ったドンは、母親には内緒にしておくようにと娘に言った。「だって、絶対に怒るのがわかっている」のだから。
ところが娘はうっかりその秘密を母親に漏らしてしまい、母のシルビアは激怒した。ドンは、自分の不適切なおこないについてざんげした。だがそのあとで、シルビアにしつこく許しを求めたのだ。たぶんこんな感じのことを言ったはずだ。「ぼくのしたことが深刻だったのはわかっているし、きみが怒るのも当然だ。その怒りを収めてもらうために、何かできることがあるなら教えてほしいんだ」
シルビアは、許しを強要するドンの態度に圧迫感をおぼえた。それにより、彼女自身の内側から自然と出てくるはずの許しの気持ちが入り込む余地がなくなってしまったように感じたのだ。シルビアには、ドンがテーブルをくるりと回転させて自分を被害者の位置に置き換えてしまったように思えた。そんな彼を許そうという気にはとうていなれなかった。
心からの謝罪を伝えるとき、その謝罪が許しと和解につながっていくことを願うのはもちろん自然なことだ。だが、許しの要求は、相手をせかし、また間違った扱いを受けている気にしてしまうことで、謝罪の価値を減じてしまう恐れがある。謝罪には、それ自体が根を下ろすまでの時間と空間を必要とすることがしばしばあるのだ。
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心理学者。女性と家族関係の心理学を専門とする、米国内でもっとも愛され、尊敬を集める人間関係のエキスパート。心理学者として20年以上にわたりメニンガー・クリニックに勤務し、現在は、個人で開業している。ニューヨークタイムズ・ベストセラーとなった『The Dance of Anger』(邦訳『怒りのダンス』誠信書房)をはじめとする著書は、世界で300万部以上売り上げている。夫とともにカンザス州ローレンス在住。大きくなった2人の息子がいる。
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(心理学者 Harriet Lerner)

