スマホは負け組の吹き溜まり/純丘曜彰 教授博士

/いまの現実が一番、という連中が、スマホなんかにウツツを抜かしているものか。せっかくの新生活。負け組の吹き溜まりから顔を上げ、魅力的な人々と、新しい知り合いになろう。いまなら、君が話しかける窓口が開かれている。/

 ラインだかツイッターだか知らないが、ありゃ、もう病気だね。学校の新入生、職場の新人ですら、ずっとうつむいてスマホをいじくっている。いったん、ちょっと置いても、三分と待たず、すぐにまたチェックだ。そりゃ、たしかに遠くの古い友人を大切にするのは悪いことではないが、しかし、右も左もわかっていない新入りの分際で、先生や先輩の話を、身を入れてまともに聞いていない、というのは、ずいぶんな礼儀知らず、常識はずれなやつだ、と、 周囲から思われて当然。本人にしても、そのせいで、新しい場所での、新しい友人を作る機会を逸し、気がついたときには手遅れ。これからずっとボッチで過ごすことになる。

 いや、ボッチなら、まだまし。おっかないのは、ダメダメなボッチは、他のダメそうなやつまでボッチ仲間に引きずり込んで、つながり(ぶらさがり)続けようとする、ということ。ねえ、どう、そっちは、って。そんなどうでもいいコメにレスを打っている間に、そこら中でどんどん新しい話の輪ができて、きみは、後からどこにも入り込めなくなる。先輩たちを見てみろ。もてなさそうな連中が、もてなさそうな連中と、しみったれたところに吹き溜まって、リア充はいいよな、なんて愚痴っている。ああ、なりたいのか?

 こういう性格的なブサイク仲間、ブス仲間とつるんでウジウジいるやつのところに、いけてる彼女彼氏がわざわざ寄ってきて、声を掛けてきてくれる、なんて、絶対に無いぞ。だって、気持ち悪いし、そんな負け組の仲間になんか、みずから進んでなりたくなんかないもの。まして、うつむいて、ニヤニヤしながらスマホをいじっているだけのやつ。そんな気味の悪いやつを、君は友達にしたいか? 彼氏彼女にしたいか?

 そもそも、いまの生活、いまの仕事が輝いている、目の前の彼氏彼女、友人知人、同僚顧客が一番、という連中が、はるか昔の友人にしがみつくラインだの、フェイスブックだのにウツツを抜かしているものか。あれは、まさに人生の負け組の吹き溜まり。口座課金の手持ちパチンコ。もちろん、がんばっているかつての友人たちの活躍は、自分にとっても励みにはなる。だが、それは、べつに本人で言い散らさなくても、おのずから人のウワサに聞こえてくるもの。一方、ランチがどうこう、ペットがどうこう、というような、あまりにも情けない、みみっちい自慢話ばかりを勝手に送り付けてくるやつを見ると、あー、こいつ、終わっちゃってるよなぁ、と、哀れみしか起こらない。

 学校が変る、職場が変る、というのは、新しい人間関係を得る千載一遇のチャンス。良い友達ができれば、一生の宝になる。それどころか、良い彼女、良い彼氏と出会って、文字通り、一生の伴侶になるかもしれない。その最高最大のチャンスを、自分で、スマホの中の古い悪友たちのラインというドブ川の流れに捨ててしまうなんて、自分自身の未来を自分自身で潰しているようなもの。次なんて、とうぶん無いよ。

 過去は卒業していくものだ。たとえどんなに大切な思い出が残っていても、自分がそこに戻ることはできない。消えてしまった昔にしがみつき、ぶら下がっていても、そこから未来が拓けることは無い。いま、君は、新しいステージの上に立っている。目の前には、これまで会ったこともなかった、魅力的な人々が溢れている。いまなら、君が知らない相手であっても、君が話しかける窓口が開かれている。顔を上げて、周りを見渡してみよう。どうせダメもと。君が知り合いになってみたいと思う相手に、自分から話しかけてみよう。(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)