【エンタがビタミン♪】一青窈、「声が出なくなった」デビュー時の苦悩明かす。「霜柱の上で裸足に」なったことも。
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台湾人の父と日本人の母を持つ一青窈は、1976年に東京で生まれるが、幼少期は台湾の台北で育った。彼女は台湾へ行って日本へ戻る際に、福岡にいる親友を訪ねるのが常だという。そんな縁のあるエリアの番組『ナイトシャッフル』(FBS福岡放送)に11月30日の放送で出演した。
大学ではアカペラサークルに所属してライブハウスやストリートで音楽活動を本格化、歌手を目指して数々のオーディションを受けるがすべて落ちた。大学卒業後は家庭教師のアルバイトをしながら音楽活動を続ける。車イスに乗る人たちとバンドを組んでおり、耳の不自由な人を観客にパフォーマンスする活動もしていた。「みなさんに、(風船よりも薄いため)コンドームをお配りして、膨らませて抱いてもらうと、歌の振動が伝わる。手話の人から歌詞を伝えてもらう」という手法をとった。
それを見ていた今の事務所の社長が、「プロデューサーの武部聡志と知り合いなんだが、あなた、歌手にならないか?」と声をかけてくれた。一青窈が22歳の時だ。
その後、いくつかのオーディションを経て2002年10月30日に1stシングル『もらい泣き』でデビューを果たすと、裸足で歌うスタイルも注目されて人気が急上昇。テレビの歌番組への出演もひっきりなしだった。
ところが、彼女は「“もらい泣き”の時に、歌い過ぎて声が出なくなった」と明かす。肝心なフレーズとなる“ええいああ”の“ああ”が出なくなったという。リハーサルで声が出なくなった彼女は楽屋に閉じこもり「ボロボロ涙を流して、“こんなんじゃ、私はこの業界から消されるな”と考えた」ほどだ。膝を抱えて「神様、“ああ”が出ますように」と祈る外では、マネージャーがドアを叩いて呼んでいた。結局、本番でも声は出なかった。あの『もらい泣き』のヒットの裏でそんな辛い出来事もあったのだ。
2004年2月11日に出した5枚目の『ハナミズキ』も大ヒットとなった。この頃には“一青窈は裸足で歌う”とのイメージが定着しており、あるテレビ番組で「真冬の中、“ハナミズキ”を離島で歌ってくれ」と言われたことがある。公園の池の真ん中に島があり、そこにボートで渡されると霜柱が立っていた。彼女が「え、本当ですか?」と訴えるが番組側は無言でうなずくだけ。言葉には出さないが「靴はもちろん脱ぎますよね!?」と迫ってきた。しかも、靴を引き受けるスタッフもいて、彼女の靴は船で島を離れていく。
結局、「霜柱はNG」とも言えずに『ハナミズキ』を歌ったという一青窈。「他にも、けっこうな場所で、裸足を要求されました」と当時を振り返った。裸足で歌うのは“集中するため”、“精神統一するため”だと言われるが、靴を履きたくても履けない事情もあったようだ。
そんな一青窈の7枚目のアルバム『私重奏』が10月22日にリリースされた。ドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』の主題歌に起用された『他人の関係 feat. SOIL&“PIMP”SESSIONS』も収録されている。同曲のミュージックビデオでは、彼女もさすがに靴を履いて歌っている。そろそろ“裸足で歌う”イメージも薄れてきたのかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
