前代未聞「1冊に10種類の表紙」!? 鹿児島出身の落語家・林家彦いちと気鋭の装丁家10人が挑む、採算度外視の“本気の遊び”

座布団の上で、手ぬぐいと扇子だけを使い、世界を表現する落語家。一方、タテヨコ数十センチという限られた紙の上に、文字や絵、写真などを駆使して、一冊の本が持つ深遠な世界を表現する装丁家(ブックデザイナー)。 二つのジャンルの技が交わった異色の展覧会が、東京・原宿で開かれている。

5月22日、鹿児島県出身の落語家・林家彦いちさんの落語を収めた落語集『彦いち十席』が出版された。

最前線のブックデザイナーが、10席の噺(はなし)を1席ずつ担当

本作は鹿児島県の長島町を舞台にした「長島の満月」や、女子柔道家を描いた「青畳の女」など、自作の10のオリジナル落語を収録している。

展示会では、現在最前線で活躍する10人の装丁家=ブックデザイナーが、10席の噺(はなし)をそれぞれ1席ずつ担当し、1冊の本に対して「10種類の異なる表紙」を作り上げた。

その個性あふれる10種類の表紙をつけた本を、展示・限定販売する特別企画「創作落語集『彦いち十席』装丁展」が、東京・原宿の「ギャラリー装丁夜話」で開かれている。

装丁家の仕事とは。今回は「予算度外視」で挑む表現の限界

皆さんは「ブックデザイン(装丁=そうてい)」という言葉をご存知だろうか。

書店に並ぶ本を手にとったとき、表紙や背表紙、裏表紙、さらにはカバーを外した本体にいたるまで、その本にまつわる視覚的・物質的なデザインを総合的に手がける職人が装丁家だ。

ベストセラー小説から教科書まで、私たちが日常で目にする本には、必ず装丁家の技術が息づいている。

第一線のプロたちの「本気の遊び」持てる技術と情熱をすべて注ぎ込む

通常の商業出版では、予算や印刷工程のスケジュールなど、さまざまな制約のなかでデザインが行われる。

しかし、今回の企画は違う。

本展のプロデューサーであり、自身もブックデザイナーである折原カズヒロ氏は、「参加するデザイナーは、ふだん仕事として本のデザインをしていますが、好きなようにデザインできる機会はめったにあることではありません。ここぞとばかりに凝ったデザインや極端な仕様にしたりして面白がっています」と語る。

つまり、第一線のプロたちが制約を取り払い、持てる技術と情熱をすべて注ぎ込んだ「本気の遊び」がこの展覧会だ。

彦いち×10人の装丁家 ギャラリーでの出会いから生まれた「10パターンの表紙」

そもそも、この異色のコラボレーションはどのようにして生まれたのか。

折原氏によれば、ギャラリー装丁夜話では、以前から、デザイナー仲間が集まって同じ本に対して、それぞれが自由にカバーをデザインする「装丁展」を継続的に開催してきたという。その会場へ彦いちさんが来場したことがきっかけだった。

展示を見た彦いちさんが「自分が本を作るなら、こんなふうにいろんな装丁になれば面白い」と企画の面白さに共鳴。

その言葉をきっかけに、彦いちさんの創作落語10席を収めた本を作り、10人のデザイナーがそれぞれの表題作のカバーを担当するという今回の企画が決まった。

アラスカを経由した表紙から、故郷・鹿児島の風景まで

デザイナーたちは、各自の希望を出し合いながら担当する噺を決めていったという。完成した10種類の表紙を前に、彦いち師匠は「くすぐったい感じ。すごい奥行があるしエネルギーを感じる。気が引き締まる」と圧倒された。

その「エネルギー」と「奥行き」は、各作品の制作過程を知ることで、より鮮明になる。

例えば、平成の新宿が登場する落語「掛け声指南」。この落語を担当したブックデザイナー・白畠かおりは、なんとアラスカにいるイラストレーター・あずみ虫さんに制作を依頼した。

あずみ虫さんは、アルミ板をカッティングする技法で作品を制作する。金属板にかつての新宿の街を描いてもらい、それを日本へ送ってもらった。

アラスカ→日本 1枚の表紙のためにかけた手間

アラスカから送られてきたあずみ虫さんの絵を白畠さんが組み立ててスキャンした上で、さらに色をのせてデザインを仕上げた。1枚の表紙のために、地球を半周する手間がかけられているのだ。

鹿児島の長島町が舞台「長島の満月」は?

一方で、彦いちさんの故郷である鹿児島県北西部の島・長島町を舞台にした「長島の満月」の表紙は、あたたかさがつまっている。

彦いちさんの少年時代を描いた落語の世界観によりそい、イラストでは、少年と父母、地域の人々らが、海と大きな満月の中に表現されている。

イラストと装丁を担当した関田淑恵さんは、「噺に登場する皆さんを、エモーショナルな雰囲気をめざしながら、かわいく描きました」という。

表紙に登場したのは「牛乳瓶のフタ」?

また、「ごくごく」という様々な飲み物が登場する落語を担当した装丁家の大滝奈緒子さんは、表紙に「紙でできた本物の牛乳瓶のフタ」を使おうと思いついた。

「“彦いち牛乳”と印刷したフタにしよう」と考え、フタの印刷会社に問い合わせた。フタの仕様など快く教えてもらえたが、実現は難しいと分かった。

牛乳のフタは、活版印刷で印刷されている。教えてもらった情報をもとに、昭和から続いている活版印刷会社を探して相談。本物のフタの紙は専用の特殊な紙で、入手ができなかったことから、厚みや質感が近いものを見つけ出した。

最終的に大和板紙という種類で、牛乳パックの古紙を使った紙を使うことで、リアルな牛乳フタが完成した。

イラストレーター寺田克也さんの「丁シャツ」も

ほかにも、紙の手触りにまで徹底的にこだわったものなど、個性あるれる表紙が並ぶ。装丁にちなみ、Tシャツならぬ「丁シャツ」で本を包んだ作品もある。

ふだんは黒子として本を支える最前線の装丁家たちが、予算などの制約というタガを外し、持てる技術とアイデアを存分に振るった「表現」がそこにある。

落語と装丁に共通する「引き算の美学」

出来上がった10パターンの表紙を眺めるなかで、彦いちさんは装丁家たちの仕事にある共通点を見出したという。

「自分の落語を聴いたり読んだりしてくださって、その上で“引き算”しているんだと感じました。引き算して、1枚の紙に絶妙なバランスで落語の世界が存在しているんです」

落語は、語り手の言葉と仕草で人物を演じ分け、見えないものを「見せる」芸能だ。同じように、物語の熱量や情景を1枚の平面に凝縮し、余分な要素を削ぎ落として本質だけを伝える装丁。どちらも「引き算」によって豊かな世界を立ち上げるという点でつながっていた。

彦いちさんの心に強く刻まれたのは、ある装丁家が口にした「装丁は見せるもの、中身がないと存在できない」という言葉だった。

表紙は、中に込められた“噺”があって初めてその役割を果たす。しかし同時に、口演されても形には残らない“噺”が本になり、表紙という「顔」を得ることで、また新たな姿を読者に見せてくれる。

職人たちの「本気」を目撃する

記事冒頭でも触れた通り、今回ギャラリーに並ぶ10種類の特装カバー版は、このイベントだけの限定品だ。

後日予定されているネット販売用の通常版デザインも合わせると、「11パターンの装丁ある落語本ということです」と、彦いちさんは話す。

この特別な展示について、本と企画のプロデューサーである折原氏は、その真髄をこう総括する。

「遊びと言えばそれまでですが、作る方にも見る方にも、装丁の面白さを感じてもらえる企画だと考えています」

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