「男性同士がベビーカーを引く光景が自分を変えた」SNSで話題の同性カップル「ドタキャン」で始まった交際
「男性が好き」だと自覚した幼少期、名前のない孤独と戦っていた──。Instagramなどで日常を発信し人気の国際同性カップル、たっちゃんとニコぷさん。かつていじめや差別に苦しんだふたりが、海外での生活を経て手に入れた「オープンマインド」な生き方とは。家族へのカミングアウトを経て見えた景色を、等身大の言葉で語ってくれました。
【写真】「見てるこちらが照れる」初デートでラブラブのたっちゃんとニコぷさん ほか(全21枚)
出会いはマッチングアプリも「当日にドタキャン」
── おふたりは「たっチューバーチャンネル」として日伊国際同性カップルの日常を発信し、Instagramのフォロワーは9.5万人にのぼります。そもそも交際に至った経緯は?
たっちゃん:出会ったのは11年前。当時、私は大阪でバーをやっていたんです。彼は日本語学科の大学院生で、東京で暮らしていました。マッチングアプリを通じて知り合い、私が大阪から会いに行くことになったんです。ところが、当日にドタキャンされて。彼、約束していた日にアルバイトを入れていたんですよ(笑)。どうやらバイト初日で休めなかったようでした。
「どこでバイトしているの?」と聞いたらすんなり教えてくれたので、せっかく東京に来たし、ちょっとでも会いたいと思って。帰りの飛行機まで時間がなく、急いでバイト先に行ったら、イタリアンレストランで接客中の彼がちょうど見えたので、とっさに携帯で彼の写真を撮ったんです。
── なんと、隠し撮りを…!
たっちゃん:今思えばストーカーみたいなんですけど(笑)。そのまま会わずに大阪に戻って、翌日に彼にメールで「実はバイト先まで行ったんだよ」とその写真を送ったら、彼は「来てくれたの!? ありがとう」と喜んでくれて。ブロックされるかなと内心ドキドキしていたのですが。
ニコぷさん:忙しいなか、わざわざ来てくれたことに感激したんです。ドタキャンしちゃったのに、私のことを考えてくれてたんだと思うと嬉しくて。たしかに盗撮魔みたいですけどね。
たっちゃん:それがきっかけでメールのやりとりが増え、「もう一回会おうよ」と彼の誕生日にお台場でデートをすることになって。そこから交際が始まりました。
── ドラマチックな出会いだったんですね。現在はイタリアのラグジュアリーブランドで働いているニコぷさんですが、もともと日本に興味があったのでしょうか。
ニコぷさん:6、7歳のころから日本に興味があって。テクノロジーの国でありながら、自然や神道も大切にするというコントラストに魅力を感じていました。あと、アニメや漫画の影響が大きくて。テレビで放送されていた『セーラームーン』『ドラゴンボール』を見て育ったんです。中学のころには『犬夜叉』『NARUTO』『ONE PIECE』もブームになりました。
── 90年代、イタリアのテレビで日本のアニメが放送されていたとは驚きです。
ニコぷさん:大人気でしたよ。それで、どうしても漫画を学びたくて。高校卒業後、当時ヨーロッパで唯一のイタリアの漫画学校に両親に反対されながらも入学したんです。その後、日本の歴史や経済も学びたいとヴェネツィア大学で日本語学科を専攻し、日本の大学院に行きました。たっちゃんと出会ったのはそのころです。
幼少期から「自分は男性が好き」悩み続け、うつ状態に
── たっちゃんは、ニコぷさんと出会う前、アメリカなど海外で生活されていたそうですね。渡米のきっかけは、日本での生活に息苦しさを感じていたからだったとか。
たっちゃん:そうですね。自分が男性が好きだということは幼少期から気づいていましたが、当時はまだゲイという言葉も一般的ではなくて、「オカマ」「おとこおんな」「ホモ」と呼ばれたりしました。子ども心に傷ついて、同性が好きな当時の自分にはネガティブなイメージしかなかったし、自分の感覚に名前をつけることすらできず、孤独を感じていました。
ネットもSNSもない時代を育ってきたので、自分と同じような人の存在を知る機会もほとんどなかったんです。この先、生きていけるのかなと悩み続けて、うつ状態にもなりました。
── つらい時期でしたね…。いつごろのことですか?
たっちゃん:19歳ごろです。当時は、自分が周りと違うことへの違和感や、自分の感覚や価値観をうまく言語化できないもどかしさ、社会で居場所の見つけにくさが積み重なっていって…。同性のパートナーとどう生きていけばいいのか、家族や友人にどう伝えればいいのかという不安や葛藤もありました。
特に苦しかったのは「自分として生きている実感が持てないこと」でした。制度や環境というよりも、自分の内側と外側のズレのようなものが大きかった。それで、環境を変えるために一度海外に出よう、と20歳で渡米しました。それ以来、すべてが変わりましたね。
── それほどアメリカの光景が衝撃的だったんですね。
たっちゃん:はい。もう20年以上前のことですが、当時からアメリカはLGBTQに寛容でした。街中で男性同士が普通に手を繋いでいたり、スーパーで男性同士がベビーカーを引いていたり。それに対して、誰かが指をさしたり悪口を言ったりもしない。みんなが当たり前に生活しているのを見て、カルチャーショックを受けました。「こんな生活ができるんだ」と。
別の価値観や生き方があると知ったことで、今まで不安だったものが一気に解放され、自分自身を少しずつ肯定できるようにもなりました。帰国してからは「オープンマインドで生きよう」と友達にカミングアウトしました。
10代は「ゲイだろう、気持ち悪い」といじめられるも
── そうだったんですね。ニコぷさんはイタリアで過ごすなかで、自分のセクシャリティについて息苦しさを感じた経験はありますか?
ニコぷさん:両親にカミングアウトしたのは22歳のときでしたが、それまでは苦しかったです。ゲイだと自覚したのは17歳ごろでしたが、当時はいじめもひどくて。「お前ゲイだろう、気持ち悪い」と面と向かって言われたり。思春期だったので精神的にもつらくて。
その後、ヴェネツィア大学の日本語学科に入学し、ひとり暮らしを始めたのですが、そこで転機が訪れました。ヴェネツィアもすごくオープンマインドな街で、しかも、学科の男子学生にゲイがたくさんいたんです。周りの学生たちのオープンな振る舞いを見て、はじめて「ありのままの自分を出したい」と思えるようになりました。
それで、思いきって両親や友人にカミングアウトしたんです。両親は「あなたが幸せなら何でもいい」と言い、80歳の祖母も「何も変わらないよ、自分の孫なんだから」と受け入れてくれて、本当に救われる思いでした。
── 温かく受け入れてくれたんですね。たっちゃんがカミングアウトした際のご家族の反応はいかがでしたか?
たっちゃん:アメリカから帰国後、友人にはすぐカミングアウトできたのに、両親にはその後10年ぐらい言えませんでした。30代になり、大阪でお店を始めたころ、母が遊びに来たタイミングで初めて話しました。すると母から「私より先にお父さんが気づいていたよ」という返答があって(笑)。父は「たつゆき(たっちゃんの本名)が幸せだったらそれでいいじゃないか」と言っていたそうです。
当事者が気になるのは「親への偏見」
── ご両親ともにすんなり受け入れてくれたんですね。
たっちゃん:そうですね。ただ、LGBTQ当事者のほとんどがそうだと思うんですが、自分の親にカミングアウトするのも不安だけど、それ以上にカミングアウト後に親が周囲からどうみられるかを考えてしまうんです。「『アイツ、まだ結婚しないの?』と親戚に言われたときに、親はどう対応するんだろう。偏見の目で見られないかな」と考えてしまって…。そこがつらかったですね。
実家は、愛知県の知多半島の田舎町で、まだ閉鎖的な雰囲気もあります。母は社交的なタイプなんですが、親戚ともなると、なかには価値観が違う人もいますよね。
── カミングアウト後、ご両親は親せきにどう対応されたのでしょうか。
たっちゃん:以前、母に「親戚から『アイツはまだ結婚しないのか』と言われたらなんて答えているの?」と聞いたら、「ただ単に、相手と出会っていないだけ。彼が好きなことをして生きているからそれでいい」とだけ伝えている、と言っていてホッとしました。
「同性婚がしたいというよりも」望むことは
── 今おふたりは日本で生活していますが、LGBTQ当事者として生活しやすい点、または不便に感じる点はありますか。
ニコぷさん:日本は海外に比べて、LGBTQに対する直接的な暴力は少ないと感じます。中南米やアフリカなどでは、LGBTQに対する暴力やヘイトクライムが深刻だというニュースも目にします。私たちは東京に住んでいますが、外で手をつないでいたりしても、暴力を受けるような危機感を感じたことはありません。ただいっぽうで、同性婚などの制度面では海外より少し遅れていると感じています。
── イタリアも西欧諸国の中でもまだ同性婚が認められていない数少ない国のひとつだそうですね。
ニコぷさん:そうですね。そこにはキリスト教の歴史的な問題もありますし、政治的な問題もあります。ただ、LGBTQに対してどう思うかは当然ながら人によりますし、土地柄にもよります。私の地元はリゾート地で田舎ではないので、ある程度寛容なほうだったのかもしれません。
── おふたりは同性婚について話し合いをすることはありますか?
たっちゃん:話し合いはしますね。ただ私自身は、「同性婚がしたい」というより「同性婚が認められる国であること」が重要だと思っています。みんなが同じ権利を平等に持てる社会になれば、偏見も生まなくなるんじゃないかな、と。
私たちは、たとえば急病で入院しても家族として付き添いができなかったり、どちらかが亡くなってしまったときに資産の引き継ぎができなかったり、結婚できないことで制度上不利な点があります。日常生活でも、「もし結婚できていればスムーズにすんだのにな」と思うことは多々あります。
20年前にアメリカに行ったときに感じた、同性婚が認められている国だからこそ、平等に生きられるマインドのベースができている状態が理想ですね。制度以前に、私たちも人として普通に生きているだけなんだ、ということを理解してもらえる社会になってほしいです。
取材・文:市岡ひかり 写真:たっチューバーチャンネル

