昨秋、自身のインスタグラムで免疫疾患の難病「膠原病(こうげんびょう)」と闘い、さらに「甲状腺がん」の手術を2度受けていると公表した歌手でモデルの上野ようこさん。筋肉と皮膚の炎症に悩まされ、1年間ほど声が出なくなったこともあったそう。病気と向き合ったこれまでと、公表した背景について伺いました。

【写真】「発病当初のひどい湿疹などを乗り越え」デコルテまで美しい現在の上野さん(6枚目/全9枚)

顔が突然真っ赤になるも…病院では「ニキビ」

歌手、モデル、司会、ナレーション、俳優とマルチに活動する上野さん

── 膠原病を最初に発症したときはどんな様子でしたか。

上野さん:大学1年生のとき、ゴスペルを歌う部活の夏合宿中でした。顔が急に真っ赤になったんですが、赤みの広がり方が尋常じゃなくて。合宿から戻ってすぐ地元の皮膚科に行ったら「ニキビ」だと診断されました。でも「絶対ニキビじゃない!」と思えるような湿疹だったし、かゆみもひどかったので、後日、別の病院に行きました。

── そこで、病名はすぐにわかったんですか。

上野さん:いえ。1か月くらいかかりました。最終的には大学病院に紹介状を書いてもらい、いろんな検査をした結果、皮膚筋炎という自己の免疫が皮膚や筋肉を攻撃する原因不明の自己免疫疾患(膠原病)の疑いがあると診断されました。症状を調べてみると、「筋肉に力が入りにくい」「少し歩いただけで筋肉痛に」「痛んだり」など、思い当たるところが多くて。ネットには不安を掻き立てる言葉も多く、苦しかったです。

── 当時はまだ大学生。これからの将来に不安を覚えたと思いますが、病気をどう受け入れましたか。

上野さん:発症したてのときが症状は一番ひどく、顔以外にも指の関節にかさぶたができたり、爪の生え際に血がにじんだり、呼吸がしづらくなったり…そのうち帯状疱疹みたいに服が触れただけですごく痛むように。症状が次々に表れるのが怖かったです。その状況にひたすら耐えながら、大学の授業を受けていました。

しかも完治できる特効薬はなくて。ひどかった皮膚の症状にはステロイド外用薬を処方されましたが、筋肉の症状に対しては、「まだ若いから薬を飲まずに様子を見ましょう」と、経過観察になりました。正直、この状況を受け入れるのは大変でした。

── そうですよね。かなり深刻な症状が出ていますが、日常生活は変わりましたか。

上野さん:大きくは変わらなかった…というか変えないようにしていました。激しい運動は控えるように言われていましたが、部活が楽しすぎて病気のことを忘れ、歌ったり踊ったり。でも、病気のことを重く考えないようにしていたことが、結果的に、メンタルにも、病状にもよかったと思います。

ただ、卒業後に歌やモデルの仕事を始めることになって、人前に出られる状態まで落ち着きましたが、依然として顔のひどい赤みは残ったまま。「みんなどう思うのだろう」という不安が常にありました。当時はなんとか赤みを消そうと、どんなファンデーションや化粧水があうのかを懸命に探していました。

2度の甲状腺がん。歌手なのに「声が出なくなる」不安抱え

甲状腺がんで入院中、手術前の上野さん

── その後、今度は甲状腺がんを発症されます。どんな状況から判明したのですか。

上野さん:今から約10年前です。歌の仕事をしている延長線上で、好きだったミュージカルのオーディションを初めて受けて、合格したときのことでした。

もともと甲状腺が慢性的炎症を起こす橋本病という持病があったのですが、ある日、喉を触るとしこりができているのに気づきました。診てもらったら悪性腫瘍の可能性が高いと言われ、検査したら「甲状腺がん」だと診断されました。

大きさも3センチくらいあったので切除することにしました。違う病院で診てもらったら「甲状腺がんは進行が遅いので、急いで取らなくてもいい」と言われたのですが、悪いものはすぐにでも取りたくて。

実は、手術してみたら中にもっと強いがん細胞が見つかったんです。「手術をしなければ転移していたかもしれない」と。執刀医にも恵まれ、傷跡も目立つことなく、早く手術する決断をしてよかったです。病気にはなりましたが、守られている感じがしました。

── しかし7年後に再発。2度目の手術は、どんなお気持ちでしたか。

上野さん:最初にがんが発覚したときは、はショックというよりも、決まった仕事を断念しなければならない口惜しい気持ちがすごくありました。だからこそ、歌えなくなるかもしれないという不安より「絶対よくなりたい」という気持ちが強かったんです。

ところが3年前、残りの甲状腺にまたがん細胞が見つかり、腫瘍ができたのは声帯のすぐ横でした。先生から「声が出なくなる」「徐々によくなってくるとは思うが、声が変わる可能性もある」と言われ、歌のお仕事が軌道に乗ってきた矢先だったこともあり、かなりのショックを受けました。でも「絶対大丈夫」と自分を信じて全摘出の手術をしました。

── 実際に声が出なくなり、リハビリで心が折れそうになりませんでしたか。

上野さん:たしかに、術後は声が出せず、息だけでしゃべる感じでした。呼吸するのも苦しかったです。ちゃんと歌えるまで1年くらいかかりました。先生からは「声が枯れるからあまり練習しすぎないように」と言われましたが、休養中に大使館で歌うお仕事をいただき、復帰に向けて自分なりにボイストレーニングをしました。その間、ちょうどコロナ禍だったので芸能活動は自粛されていましたが、「みんなも大変なんだ」と平常心を保てたことは、精神的には大きかったです。

あと、絶対よくなると信じていたというよりも、確信がありました。だからボイトレはしつつも、復帰までの1年間は休息もしっかりとって、手術で変わった声で歌うことを楽しむ余裕もできました。

── それは長く病気と付き合ってきたからこそ行き着いた境地だったりしますか。

上野さん:おそらく、そうですね。自分を信じる力、絶対こうなってみせるという想いは人一倍あると思います。小さいときから歌手になりたい夢があったから、「病気になっても絶対よくなってみせるぞ」と思えた。次から次へといろんな症状は出てきますが、先生にも恵まれたし、手術もリハビリもうまくいったことから、深刻な状況でも重く考えずポジティブに考える癖もつきました。

実際、久しぶりに公の場で歌ったときは鳥肌が立ちました。3月に初のワンマンライブを行いましたが、確実に自分の歌が変わったと思いますし、何より歌える幸せをかみしめました。

病気を公表も「売名行為」と避難する声に

── 病気や手術は上野さんの仕事や人生にどんな影響を与えましたか。

上野さん:ものすごく大きな変化がありました。ミュージカルに出演できなかったことから声を使うほかの仕事をと司会業を始めたり、声が出なくなっても再び表に出て歌ったり、皮膚の障害を抱えてもモデルの仕事はできるんだって姿をみなさんにお見せしたいと思うようになりました。病気を抱えているからこそ、自分にしかできない希望の届け方があるんじゃないか。自分が進むべき道を教えてくれたような気がして、今では感謝しています。

── 病名を公表にしたことで、反応はありましたか。

上野さん:病気についてお話しする機会が増えました。ある意味、また別の表現方法が見つかった実感があります。まさか自分の人生を語ることになるとは思ってもいませんでしたが、現在進行形のリアルな話に共感いただくと、私自身も励まされますし、これは自分にしかできないことなのかもしれないと思います。

いっぽうで「売名行為だ」と非難する声もありました。もともと私は内気で人の表情でいろいろ察知し、人一倍考え込み引きずってしまうことがよくあります。ただ病気に関してはなぜか強気で、衝撃は受けましたが「そんなふうに感じる人もいるんだなぁ」と客観的に受け止めることができました。小学校高学年の頃、無視されるいじめにあった経験もあり、傷つけられることにも敏感なので、人に優しくありたいと思いつつも、自分で自分を褒めて愛してあげなければと思うようになったことも大きいかなと思います。

病気を経験してから、当たり前のことに感謝できるようになり、幸せの指数が高まった」と語る上野さん。とはいえ、仕事がうまくいかず落ち込んだり、くよくよ悩むことも多く、常に自分と対話することでポジティブに転換する方法を実践しているのだそうです。2人に1人ががんにかかると言われる昨今、「病気とうまく付き合っていくには自分を責めず、希望を持つことが大切です」という上野さんのメッセージは、大きなヒントになりそうです。

取材:文 岡粼優子 写真:上野ようこ