工藤(左から3人目)はジャガー(同2人目)、ライオネス(同4人目)、長与(同6人目)らと共演。左は小倉智昭さん、右から2人目は平松政次氏(86年1月)

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【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(2)】クラッシュ・ギャルズさんに憧れ、プロレスラーになることしか頭の中になかった中学3年。全日本女子プロレスの新人オーディションを受けました。そこは話題のNetflixのドラマ「極悪女王」のまんまです。全国から女の子が集まってきて、人の多さに圧倒されました。見る人見る人、みんなすごい人に見えて…。私は格闘技のバックボーンがなく、オーディションを受けるのも初めて。勝手が分からず、雰囲気にのまれていました。受かるつもりでいたのですが、最終の前くらいで落ちました。

 私はぼうぜんとなって何も考えられず…次の日から全日本女子プロレスに電話をかけまくりました。「もう一度受けさせてください」とか「次のテストはいつですか?」と。第2次募集のうわさがあれば「いつなんですか」と問い合わせたり、落ちても諦めていません。めちゃくちゃしつこいですね(笑い)。

 そうしたら「一番確率が高いのは全日本女子でスポーツジムをやっているので、そこに通って受け身の練習をしたり、基礎体力をつけたりしてから、次のテストに備えるのはどうですか」と提案されました。テストは1年後ということで、目黒にあった全女のスポーツジムに通いました。でもジムのみんながオーディションのライバル。仲間をつくることはなく独りでやっていました。4月から近くの高校に入学しましたが「通学に使う時間がもったいない。体力づくりをしたい」と夏には退学しました。

 1986年1月19日、2度目のオーディションを受けました。参加者は前年を大幅に上回る2500人。でも1回経験しているので雰囲気にのまれることはなかったですね。私は水着を友達から借りて出ていました。番号の書かれたバッジを付けたところ、水着に穴が開いて、体力テストの最中にどんどん広がっていって…。「どうしよう? 友達のものなのに」と思いながらやっていましたね(笑い)。

 そして、合格者8人の中に入ることができました。受かるために来たのに「合格」と聞いたときは「うれしい」よりも不思議な感じ。「やった!」というより「ふわっ」とした気持ちに包まれていました。当時の写真では、みんな下を向いています。審査員にはジャガー横田さん、長与千種さんとライオネス飛鳥さんのクラッシュ・ギャルズさんらがいらっしゃいました。テレビで見る憧れの方を前にして直視できなくて…。どこを見ていいか分からなくて、下を向いていたんです。

 そのまま同期8人でフジテレビの「スポーツ特Q」という番組に出演しました。会社からは「同期は大切にしなさい」というお話があったことは覚えています。そこから私の全日本女子プロレス時代が始まりました。