学習院の児童が使用するものと同型のランドセルを持つ大峽製鞄の南谷誠さん(左)と片山統括部長(足立区で)

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 ぴっかぴかのランドセルを背負う小学1年生の姿が目をひく季節となった。

 ランドセル商戦の時期は近頃早まり、現在が来年度用のピークだと聞く。繁忙期を迎えているランドセルメーカーを探していると、関東地方の約半数が東京都足立区に集積しているという。その背景と歴史をたどってみた。(仲條賢太)

ランドセル作りの「好条件」

 足立区などによると、水運が重要な交通手段だった江戸時代、荒川、隅田川、中川が流れる区内には多くの職人が移り住んだ。この地域は古くから職人の街として知られ、伝統工芸が盛んだった。

 1907年(明治40年)には、隅田川に近い千住地区に日本皮革(現ニッピ)が創業。樹皮や葉から抽出したタンニンで皮をなめすことができる大規模な皮革工場を稼働させた。動物の皮の塩分や汚れを落とす処理には大量の水が必要で、この地域は革製品の製造がしやすい条件がそろっていたようだ。同社周辺には革靴メーカー・日本製靴(現リーガルコーポレーション)の工場もあり、革職人が集まるようになった。

 1935年(昭和10年)には、日本のランドセルメーカーの草分けとなる「大峽製鞄(おおばせいほう)」が足立区千住に創業した。ランドセルは通常のカバンに加え、金属のパーツが多く、同社統括部長の片山利之さん(60)は「金属加工の工場が区内で多かったこともランドセルメーカーが稼働するには好条件だった。金型で細かい部品を作ってくれる中小の工場が、ランドセル作りには欠かせなかった」と話す。

日本最初のランドセル

 一般社団法人「日本鞄(かばん)協会ランドセル工業会」(台東区)によると、日本でランドセルを初めて使ったのは皇太子時代の大正天皇とされる。1887年(明治20年)、当時の伊藤博文首相が学習院への入学祝いとして、ランドセルの原型となる箱型カバンを献上した。

 ランドセルの本体と背あての縫合部分が外側に飛び出すおなじみのスタイルは学習院で採用されたため、「学習院型」と呼ばれる。大峽製鞄は創業時から学習院初等科が指定するランドセルを製造し続け、皇族も同社製の黒いランドセルを利用したことで知られる。

 戦前は高級品だったランドセルだが、昭和30年代以降、徐々に全国に普及した。かつては家族規模だった工房は徐々に法人化するなどし、足立区には約20社のランドセルメーカーが進出した。

 しかし、1990年代以降、流通大手が手がける海外製の安価な製品が市場に出回り、老舗メーカーは押され気味に。少子化もあり、区内のランドセルメーカーも半数以下に減少した。それでも、区内には今でも関東地方のランドセルメーカー9社のうち5社が集中しているという。

人生で最初に持つカバン

 その1社で足立区西新井にある「土屋鞄製造所」。ランドセル職人の土屋國男さん(88)が1965年に創業し、小所帯の下請け工場から約200人の職人を抱える規模に成長させた。これまでランドセル100万本以上を出荷し、現在はビジネスカバンなども人気だ。

 本社工房などではピーク時、約60人の職人たちが3ブランド84製品のランドセル作りに追われる。革の型入れから裁断など約150のパーツを組み立てる工程は約300に上る。同社ランドセル事業推進本部の千原英梨さん(35)は「子どもたちが人生で最初に持つカバンだからこそ、『本当にいいもの』にこだわっている」と話す。

 各カバンメーカーは卸を通さずに独自の店舗で販売し、6年間の修理保証をつけるなど手厚いアフターサービスで流通大手との差別化も図っている。

 近年は「名探偵コナン」などランドセルが登場する日本のアニメ人気の影響で、アジア圏からの引き合いもあるという。中村鞄製作所(足立区江北)の専務で日本鞄協会ランドセル工業会東京支部長を務める中村徳光さん(65)は「時代は変われど、職人の丁寧な手仕事の価値は変わることがない。これからも良質なランドセルを作り続けたい」と話している。