「おおビッグ、よく来たな!」 田原俊彦の支えになった“破天荒すぎる昭和の名優”の愛ある言葉
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第62回は歌手の田原俊彦さん。スーパーアイドルが見せた、意外な素顔です。
【写真で見る】見よ、このポージング! 褪せないトシちゃんの見事なパフォーマンスとその才能を認めていた昭和の名優
「おおビッグ」
世の中には「言ってはいけないひと言」とか、「それを言っちゃおしまいよ」というものがある。
その代表的な例は、田原俊彦(65)の「僕くらいビッグになっちゃうと〜」の「ビッグ」発言だろう。1994年、プライベートを明かさず、結婚報告もなく、周囲やメディアの圧で無理やり開くことになった長女の出産会見での発言だった。

しかし、よくよく考えてみれば、30年以上たった今でも誰もが記憶しているほどインパクトが強い言葉だった……と穿った見方もできる。田原への2度のインタビューでわかったのは、そもそも彼の周囲には「ビッグな存在」が他にもゴロゴロしていたという事実だった。
最初は田原が自著『職業=田原俊彦』を出版し、デビュー30周年の記念シングル「Cordially」をリリースした09年。ライターと一緒に向かった先は、田原行きつけの東京・白金台のレストランだった。
田原=傲慢というイメージが広く定着していたこともあり、ノッケからガツンときて、「おお、これがビッグか」と思い知らされるのかと思ったら、多くは話さないし、声のトーンも低く、静か。はにかんでいる風ですらあった。
テーマは「涙と笑いの酒人生」だった。初対面なのに、いきなり「酒人生」とは今から思えば失礼だったと思う。若い時からヤンチャして飲み歩いているイメージがあったので、一番おいしいところを語ってくれることを期待しつつ、深く考えずにお願いしたものだった。
しかし、いざ取材が始まると……。
いや、面白かった。酒の飲み始めは憧れの矢沢永吉に倣い、ウイスキー・コークハイで色々とやらかしたという。87年以来の付き合いというキング・カズ(三浦知良、59歳)の話は豪快だった。カズは時にバッシングされることも多く、田原とはビッグ・マウス同士。田原が「ファミリー」と呼ぶ有名人の筆頭格であり、田原にとってカズは「弟分」のような存在。
〈ハジケる時はすごい…お互いの友だちが30人くらい集まったりするけど、カズと飲む時はなぜかテキーラオンリー…飲ませ上手な仲間が盛り上げるから、飲めないのに(実はあまり強くないらしい)、後で後悔するけど、7、8杯いくからね〉
そして、田原自身のことをもっとも理解しているのではと感じたのが勝新太郎。勝新は舞台の合間に楽屋で酒を飲むと聞いていたが、
〈挨拶に行ったら「おおビッグ、よく来たな」と迎えてくれた。勝さんはアイスペールにウオッカとビールを混ぜて飲んでいた。僕には信じられない光景で、しかも、「お前も飲むか」ってすすめられてさ。勝さんに言われたら『結構です』とは言えないし、頑張って飲んだよ。本当に凄い人だった〉
勝新の一言、「おおビッグ」……この言葉には様々な意味が込められていると思う。
勝新にしてみれば、本人も世間から散々な言われ方をすることが多々ある。それくらい言われてやっと一人前なんだ。でも、何か言われたからといって挫けるなよ、気にするな。言いたいヤツには言わせておけばいいんだ――こんなところだろうか。
お前のことは遠くから温かく見守っているゾと、大先輩が投げかけたワンフレーズは何ものにも代えがたいものだったのではないか。飲みっぷりがまた本当に凄いし……。
いずれにせよ、どんな言われ方であっても、勝新に言われたら認めてもらったようなものかもしれない。
マイケルの映像を見て…
2度目のインタビューは80枚目のシングル「愛だけがあればいい」をリリースした24年。この時のテーマは「人生を変えた一曲」だった。
故・ジャニー喜多川と出会い、故郷の甲府から毎週末にレッスンに出かけるようになった。しばらくしてジャニーが合宿所にオープンリールのデッキを持ってきた。その時に見せてもらったのがジャクソン5の「I Want You Back」。マイケル・ジャクソンが兄たちに交じって、飛び跳ねながら歌っていた。
〈リズミカル! この人はゴム人間かというくらい動きが柔らかかった。そんな彼が歌って踊るシーンを見て、脳天を撃ち抜かれた気がしました。それぐらいの衝撃でした〉
この時のマイケル・ジャクソンの姿が、後の田原のスター人生を決定的にしたといってもいい。
田原はドラマ「3年B組金八先生」(79年)で世に出て、80年のデビュー曲「哀愁でいと」がヒット、同年「ハッとして!Good」がオリコン1位を獲得した。
転機は83年。本格的なダンスを学ぶため、アメリカに飛んでレッスンを受けた。この頃、マイケルが始めていたのがムーンウォーク。田原はこれを習得するためにビデオを擦り切れるまで見た。
岡野誠著『田原俊彦論』(青弓社)によれば、83年発売の「シャワーな気分」で、〈(田原は)敬愛するマイケルの技を早速取り入れている…テレビで初めてムーンウォークをおこない、日本に浸透させた人物は田原俊彦だと思われる〉としている。
努力を惜しまず
マイケルはツアーで4回来日しているが、田原はすべてを見ている。憧れの人を見るだけでなく、どんな動き、仕掛けを試みているかを盗むのも目的だったそうだ。現在はワールドツアーのステージをYouTubeで見ることができるので、夜な夜な見ている。そしてマイケルを意識しながら、明るい照明の下で、窓に映る自分の動きを確認する。
うれしかったのは、84年ロサンゼルス五輪の聖火ランナーで走った時に「日本のマイケル」と紹介されたこと。それを取り上げた新聞紙面では、田原とマイケルの写真が並ぶ“ツーショット”になった。
田原の周りにはビッグな話が転がっている。事務所の後輩である井ノ原快彦は「ビッグ」発言を「ギャグだったと思う」と語ったそうだが、それも頷けるし、見方を変えれば勲章のようなもの。田原はまだ「ビッグ」発言のくびきから解放されていないのだろうか。
峯田淳/コラムニスト
デイリー新潮編集部
