日本一低い山?天保山は「水都」大阪のベイスポット
日本一高い山は言うまでもなく富士山だが、日本一低い山はどこなのか。大阪市港区にある天保山(てんぽうざん)は標高4.53メートルで、長らく「日本一低い山」として親しまれてきた。しかし、標高約6メートルだった宮城県仙台市の日和山(ひよりやま)が、2011(平成23)年の東日本大震災の津波で削られて3メートルとなり、国土地理院の地形図に掲載されている山では日本一低い山となっている。とは言え、二等三角点のある山としては依然、日本一低い山である天保山登山を敢行した。
天保山に登ってみる
今回の登山は天保山。天保山って、単なる地名ちゃうのん、と思ったそこのアナタ、天保山はれっきとした「山」なんです。
大阪メトロ中央線、昨年万博が行われた夢洲駅の2つ手前の大阪港駅で下車、北に歩いていくと左手に大きな観覧車が見える。1997(平成9)年に開業した天保山大観覧車だ。奥には、1990(平成2)年に誕生した世界最大級の水族館・海遊館がある。これらの施設は、大阪港ウォーターフロント再開発プロジェクト「天保山ハーバービレッジ」の中心的施設として建てられたものだ。
現在も多くの人が訪れる大阪の観光スポットのひとつだが、天保山はその右側の天保山公園の中にある。天保山を示す二等三角点は、安治川を見渡せる植え込みの中にあった。「登山」というより散歩で頂上? にたどり着けるナイスな山だ。
川の土砂を積み上げた山
天保山は名前が示す通り、江戸時代の天保年間に作られた人工の山だ。天保山の北を流れる安治川は、五代将軍・徳川綱吉の時代に開削された運河で、各藩の蔵屋敷がある中之島・堂島まで続く重要な航路だった。
1831(天保2)年から翌年にかけ、幕府の命により安治川の河底に溜まった土砂をすくい出す、大がかりな川ざらえ「天保の大浚(さら)え」が行われた。
当時のことである。全くの人海戦術であり、人足が小船に乗り、鋤簾(じょれん=長い柄の先に幅広の金属板などがついた土や砂を掬う道具)で砂を浚えて船に積み、その土砂を荷車などに積んで土砂を積み上げた。こうして誕生したのが高さ約20メートル、周囲約200メートルの天保山だ。
工事の指揮を執ったのは、町奉行所の与力や同心(いずれも司法・警察実務を担当した下級武士)。多くの町人が動員され、「どうせやるなら楽しく」と一大イベントとなり、揃いの法被を作ったり、太鼓やお囃子(はやし)で盛り上げたりと大賑わいだったそうだ。大阪人の気質は今も昔も変わらない。
天保山の頂上からは生駒山、金剛山、比叡山などの山々や、四国や淡路島まで見渡せた。この絶景の地には桜や松が植えられ、海辺の景勝地、今でいうベイリゾートとして整備される。お茶屋や見晴らし堂なども造られ、春はお花見、夏は船遊び、秋はお月見、冬は雪見と「浪花の新名所」として賑わいを見せるようになる。歌川(安藤)広重や葛飾北斎も天保山の絵を描いていて、江戸にも知られた名所だったことが分かる。
船が航行する際の目標となったため、当初「目標(めじるし)山」と呼ばれていた天保山。その沖に立てられた水深の深い安全な航路を示す杭(くい)は澪標(みおつくし)と呼ばれ、現在も大阪市の市章となっている。
そして1866(慶応2)年、寺田屋事件で負傷した坂本竜馬が、西郷隆盛の勧めで、妻・おりょうと日本初の新婚旅行に九州へと旅だったのも、ここ天保山だった。
ロシア艦隊、大阪港に出現す
天保山が誕生して約20年後、黒船来航翌年の1854(嘉永7)年、天保山沖にロシアの軍艦「ディアナ号」が姿を現した。大坂の人々も怖いもの見たさ半分、珍しいもの見たさ半分で、天保山周辺に押し寄せ騒然となったという。
江戸幕府は沿岸の警備を固めるため、行楽地であった天保山の松や桜を切り払い、山を削って砲台を置き、台場を築いた。1868(明治元)年には、各藩の軍艦を集めた艦隊演習が行われた様子を明治天皇が視察。その大きな記念碑が公園内に建っている。
「天保山遊園」の時代
明治以降、天保山周辺には次々と工場ができ、そこで働く人々が暮らすようになる。1888(明治21)年には、海水を沸かして入浴する施設や洋館風の休憩所、魚釣りなどが楽しめるレジャースポット「天保山遊園」がオープンした。
しかし、オープンからわずか9年後の1897(明治30)年、天保山に近代式の大きな港を造るため、天保山遊園はなくなった。この築港工事は、当時の大阪市予算の20数倍に当たる費用が見込まれた巨大事業だった。
1903(明治36)年には築港大桟橋(現在の中央突堤)が完成し、現在の九条新道交差点に当たる「花園橋」から「築港桟橋」まで、大阪市が初の市営電車を走らせた。1926(大正15)年頃には、第1号繋船岸壁(通称:住友桟橋)が完成。そして1928(昭和3)年、第1期築港の残工事計画が完成を見た。1938(昭和13)年から翌年にかけては貨物取扱量が日本一となり、大大阪(だいおおさか)の表玄関にふさわしい発展を遂げる。
天保山には、1911(明治44)年に二等三角点が設置されたが、すでにその時には標高9メートルほどになっていたそうだ。幕末、台場を築く際に削り取られたり、工場で使用する地下水のくみ上げなどで地盤沈下が進んだりしたことが原因とされる。
桜の名所として復活
1934(昭和9)年の室戸台風、1945(昭和20)年の大空襲、そして1950(昭和25)年のジェーン台風と、天保山周辺は度重なる被害を受ける。そして1958(昭和33)年、天保山公園には再び松や桜が植えられて整備され、およそ120年ぶりに行楽地として蘇った。
現在の天保山公園は、桜の名所として知る人ぞ知る公園で、中央には天保山よりも高い展望台があり、港区築港と此花(このはな)区桜島を結ぶ天保山大橋を臨むことができる。公園のすぐそばには天保山渡船場があり、対岸の桜島を無料で結んでいる。大阪港に最も近い場所であり、天保山渡船場に至る道すがら、安治川をのぞき込むと、魚がいっぱい泳いでいたりもする超穴場的スポットだ。
「日本一低い山」が複数ある?
明治の終わりに標高9メートルほどになっていた天保山は、その後さらに地盤沈下が進み、1986(昭和61)年には、現在の4.53メートルになった。先に述べた通り、天保山は長らく日本一低い山であったが、東日本大震災の被害で標高3メートルとなった日和山に日本一の座を譲ることとなった。だが、「何をもって」日本一低い山とするかは諸説ある。
例えば、徳島県徳島市の弁天山は標高6.1メートルで、ウェブサイトには「国土地理院認定、自然の山としては日本で一番低い」と誇らしげに書いてある。また秋田県大潟村の大潟富士は、標高3.776メートルと富士山の千分の1の高さだが、湖を干拓した海より低い海抜ゼロメートル以下の村にあるため、実際の標高はちょうどゼロメートルとなっている。
また、大阪市堺市、大浜公園内にある蘇鉄山(そてつやま)は、標高6.97メートル。これまた幕末にお台場(砲台)が築かれた場所を後に築山として整備した人工の山で、一等三角点がある山としては日本一低い山と言われている。
私も含めてメディアは、日本一や世界一、初めての事例については飛びついて報道する癖がある。日本一高いビルを標榜していた高さ300メートルの大阪・阿倍野のあべのハルカスも2023(令和5)年、高さ325メートルの東京の麻布台ヒルズ森JPタワーにその座を譲った。
だが、あえて言おう。一番でなくてもいいものはいい。それが「価値」というものだ。
天保山は、水都・大阪、海の都・大阪の歴史が詰まった場所なのだから。
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天保山公園
〒552-0021 大阪市港区築港3丁目2
電話: 06-6571-0552(八幡屋公園事務所)
