(※写真はイメージです/PIXTA)

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「お父さん、本当にお疲れさまでした」―75歳で静かに眠るように息を引き取った刈谷幸司さん(仮名)。30年間コツコツと積み立てた株式投資で、毎月20万円の配当収入を得ながら優雅な老後を過ごしていました。しかし、息子の一郎さん(仮名)が相続で受け取ったのは、予想をはるかに上回る「重すぎる贈り物」でした。資産形成の成功が、なぜ家族に重い負担をもたらすことになったのでしょうか。事前に打つ手はなかったのか、FPの青山創星氏と一緒に考えてみましょう。

配当生活を謳歌していた父の「完璧すぎる」資産運用

刈谷一郎さん(仮名、48歳)の父、幸司さん(仮名)は、40代から本格的な株式投資を始めました。バブル崩壊を経験し、「短期的な値上がりを狙うより、長期的に配当をもらい続けたい」と考えたのです。毎月10万円ずつ、優良企業の高配当株を中心に投資を続けました。

特に重視したのは「売らない投資」でした。「株価が上がっても売却すれば20%も税金を取られる。それなら配当をもらい続けた方がいい」が口癖。実際、保有銘柄の多くが長期間にわたって安定した配当を出し続け、株価も右肩上がりで成長しました。

70代に入る頃には、月20万円の配当収入を実現。年金と合わせて、月37万円ほどの安定した収入がありました。一見すると十分に見えるこの収入水準ですが、実はここに大きな落とし穴が潜んでいました。

含み益は気がつくと8,000万円を超える水準にまで膨らんでいましたが、「まだまだ成長する」と一度も売却することはありませんでした。しかし、この「完璧な投資戦略」が、後に息子にとって大きな試練となることを、幸司さんは知る由もありませんでした。

では、一体何が起きたのでしょうか。

突然の相続で明らかになった「1億2,000万円の株式」という現実

幸司さんが亡くなった日、株式市場は比較的高値圏で推移していました。相続財産を整理した息子の一郎さんが目にしたのは、現金500万円と、時価1億2,000万円相当の株式ポートフォリオでした。

「父は生前、『君に良いものを残してやる』とよく言っていました。でも、まさかこんな巨額になっているとは……」と一郎さんは振り返ります。

相続税は死亡日の終値で計算されます。自宅(評価額2,000万円)と合わせた相続財産は1億4,500万円。 妻が既に他界して法定相続人が息子1人のため、基礎控除(3,000万円+600万円×法定相続人1名=3,600万円)を差し引いた課税対象額は1億900万円となりました。

納付すべき相続税額は概算で約2,660万円。税理士に依頼して作成してもらった相続税の概算を見て、一郎さんは愕然としました。

「父の預金は500万円しかない。2,000万円以上足りない……」

一郎さんの頭の中は真っ白になりました。この巨額の相続税を支払うために、一郎さんはある決断を迫られることになります。

なぜ税額はここまで膨らんだのか―見落とされていた「制度の落とし穴」

そもそも、なぜここまで税額が膨らんでしまったのでしょうか。最大の理由は、「小規模宅地等の特例」が使えなかったことにあります。

自宅については「小規模宅地等の特例」により評価額を最大80%減額できる可能性があります。ただし、別居している子が相続する場合は、いわゆる「家なき子」の要件を満たす必要があります。具体的には、相続開始前3年以内に本人または配偶者名義の持ち家に居住していないこと、相続時に自己または配偶者の持ち家を所有していないことなど、一定の条件を満たす必要があります。

今回のケースでは、一郎さんはすでに自宅を所有していたため、これらの要件を満たさず、この特例を適用することができませんでした。その結果、本来であれば400万円程度まで圧縮できた可能性のある自宅の評価額が、2,000万円のまま課税対象となってしまったのです。この差は1,600万円。税率40%で計算すると、相続税は約640万円も増えることになります。

「自宅があるから安心」 そう思っていた資産が、逆に税負担を押し上げる要因となってしまったのです。

株価暴落と納税期限の板挟み―「泣く泣く売却」の悲劇

相続税の納付期限まで、10ヵ月。一郎さんは株式の売却を検討し始めましたが、そのタイミングで市場に異変が起きました。海外の金融不安をきっかけに、市場は大きく下落したのです。

「父が大切に育てた株が、日に日に価値を失っていく様子を見るのは本当に辛かった」と一郎さんは当時を振り返ります。

保有していた主力銘柄の株価は短期間で大きく下落しました。一郎さんは「株価が回復するまで待ちたい」と考えましたが、相続税の納付期限は容赦なく迫ってきます。税務署に相談したところ、延納という方法はあるものの、担保の提供や担保関係書類の準備が必要で、さらに延納期間中は利子税もかかるため、一郎さんにとっては現実的ではありませんでした。

納付期限が迫る中、やむなく一郎さんは売却を決断。結局、納税資金を作るために約2,800万円分(納税額+売却にかかる譲渡所得税分)の株式を、最悪のタイミングで売却せざるを得ませんでした。手元に残ったのは、その時点で約9,200万円です。

しかも、その数ヵ月後、売却した銘柄の株価は相続時の水準を上回る水準まで戻ったのです。1億2,000万円もあったはずなのに、なぜこんなことに」というのが、一郎さんの偽らざる心境でした。

もし現金があったら―相続対策で見落としがちな「流動性」の重要性

一郎さんは、父の残りの株式を大切に保有しながら、「土台となる資産は、まだあります。これからは僕のやり方で、ゆっくりでも、父が減らした分を取り戻していければ」と話します。しかし、「せめて相続税分の現金があれば、株式の売却時期を選べたのに」――そんな気持ちを完全に拭い去ることはできません。

相続対策において、多くの人が見落としがちなのが「流動性」の確保です。資産の大部分を株式や不動産で保有していると、相続時に現金化に困ることがあります。特に株式の場合、売却タイミングが市場環境に左右されるリスクがあります。

理想的な相続対策は、相続税額の見積もりを行い、その分の現金を確保しておくこと。または、生前に段階的に株式を売却し、現金と株式のバランスを調整することです。 「父の投資戦略は間違っていませんでした。でも、相続まで考えた『出口戦略』があれば、もっと良い形で資産を引き継げたと思います」と一郎さんは語ります。

この経験は、資産形成期から相続まで見据えた総合的な資産管理の重要性を教えてくれます。

成功した資産形成を次世代に確実に引き継ぐために

刈谷家の事例から学べる重要なポイントは以下の通りです。

●「増やす力」と「届ける力」は別物
どれほど見事に資産を築いても、相続対策が伴わなければ、その資産は家族の重荷に変わりかねません。

● 相続税は「現金」で払うもの
株式や不動産がいくらあっても、納税の原資となる現金がなければ、不利なタイミングでの売却を迫られます。

●市場は納税期限を待ってくれない
相続発生と市場の暴落が重なれば、大切に育てた資産を安値で手放すことになりかねません。

●「今いくら相続税がかかるか」を知っておく
生前から定期的に相続税額を試算し、必要な現金を手元に確保しておくことが、家族を守る第一歩です。

●「出口戦略」まで含めてこそ、本当の資産設計
資産を「築く」ことだけでなく、「届ける」ところまで描いてはじめて、長期戦略は完成します。

「自分の資産も、ほとんどが株式。同じようなことになるかもしれない」と感じた人もいるかもしれません。長い年月をかけてコツコツと資産を積み上げてきたこと、それ自体は本当に素晴らしいことです。家族を想い、将来に備えてきたからこそ、今の資産があるのだと思います。

ただ、せっかくの想いが届く前に、税金や市場環境という「制度の壁」に阻まれてしまうことがある――刈谷家の事例は、そのことを私たちに教えてくれています。

「資産を増やすこと」と「資産を届けること」は、似ているようでまったく別のことです。優秀な投資家ほど「売らない」ことに誇りを持っていらっしゃいます。その信念は尊いものです。しかし、ある段階からは、家族が困らないように現金を備えておくこともまた、大切な人への深い愛情の形ではないでしょうか。

今日からできることは、決して難しいことではありません。

「もし今、自分に何かあったら、相続税はいくらになるだろう?」
 「家族はそれを払えるだろうか?」

この問いを一度、静かに考えてみること。それだけで、あなたの資産設計は一段深いものになるはずです。築いてきた大切な資産が、家族のもとへ確かに届くように。その「最後の一手」を、今から考えてみませんか。 

ファイナンシャルプランナー
青山創星