在りし日の古葉竹識さん(C)日刊ゲンダイ

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■長嶋清幸氏による「ツッパリ野球人生」(第17回=2008年)を再公開

 日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。

 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。

 今回は広島元監督の故・古葉竹識氏について語られた、長嶋清幸氏による「ツッパリ野球人生」(第17回=2008年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。 

  ◇  ◇  ◇

「私が責任を持って預かります。預かった以上は私の子供同然です」

 広島での入団会見の日です。静岡から両親がやってきて挨拶すると、古葉監督は確かにそう言いました。

 古葉(竹識)さんといえば、ソフトな口調から温和なイメージがあり、女性ファンもたいへん多かった監督さんです。が、口より手が早いことはあまり知られていません。イメージに“だまされた”のか、オヤジは挨拶ついでにいらんことを言います。

「監督さん、うちの息子はどつくほど頑張るヤツです。遠慮せんと思い切りどついてやってください」

 その時、苦笑いを浮かべていたやさしそうな古葉さんが、鬼軍曹と恐れられた大下(剛史=守備走塁コーチ)さんに次ぐ鉄拳指導者だと気づくまでには、それほど時間はかかりませんでした。

 入団1年目からよく裏拳をもらい、ベンチの後ろでうずくまったものです。裏拳はチームメートも気づかないほどの絶妙なタイミングで、リストをきかせてみぞおちに決めてきます。テレビ中継のある巨人戦でもお構いなし。ミスしたボクがグラウンドに背を向けた一瞬のスキを狙ってくるのです。

 プロ2年目のオープン戦ではファンの前で蹴りを入れられました。下関での大洋(現横浜)戦。右翼についたボクの前に詰まった打球が飛んできました。猛然とダッシュし、ワンバウンドでグラブに収めるはずが、たまたま芝枯れの砂地に打球が落ちて予想したようにはバウンドしません。

「アレレレ……」

 ボクは打球を置き去りにしたまま遊撃手の後ろまで行き、慌てて引き返すと打者は余裕の二塁打です。チェンジになると、無表情の古葉さんがベンチから出てきていきなりボクの太ももの内側を右足で蹴り上げたのです。内野スタンドは満員です。声を上げるわけにもいかず、痛さをこらえながら急いでベンチ裏に引っ込みました。

 ミスには厳しい古葉さんも、イレギュラーバウンドによるヒットなら、これほど怒らなかったでしょう。地方球場の外野は少々荒れているケースがあります。試合前に芝の状態確認を怠ったことに激怒したのです。

 怒るとすぐに手が出る監督でしたが、選手起用に関しては我慢強い人です。入団4年目の83年、序盤戦から打撃好調のボクは、6月になるとパタリとヒットが出なくなります。かつてない経験にパニック状態に陥りますが、古葉さんはスタメンから外してくれません。試合から逃げ出したくなったある日、二軍落ちを直訴するため監督室を訪ねます。(この項つづく)

▽ながしま・きよゆき 1961年11月、静岡県浜岡町出身。79年自動車工高からドラフト外で広島入団。チャンスに強い打撃と好守の外野手として広島の黄金時代を支える。83年国内初の背番号「0」。ゴールデングラブ賞4回、84年日本シリーズは3本塁打を放ちMVP。91年中日移籍、93年ロッテ、94年から97年阪神。現役引退後は、野村、星野、落合監督のもとで、阪神、中日の打撃、一軍守備走塁コーチなどを歴任。06年オフ中日退団。通算1477試合、1091安打、107本塁打、448打点、94盗塁、打率.271。170センチ、81キロ、左投左打。