東映作品に共通する“娯楽のど真ん中”への貪欲さ 丸の内TOEI閉館を機にその歴史を振り返る
日本の娯楽の歴史を盛り上げ、現在、東宝と松竹とともに「3大メジャー」の一角を支えている映画会社、東映。その本社ビル「東映会館」が、老朽化などの問題から再開発されることが決まり、東映直営映画館「丸の内TOEI」が、2025年7月27日に閉館することとなった。本社機能は、そこから徒歩10数分ほど離れた複合施設「京橋エドグラン」内に移転される。
参考:丸の内TOEI、7月27日に閉館へ 64年10カ月の歴史のフィナーレを彩るイベントの開催も
1960年から銀座3丁目で永きにわたり営業を続けた「丸の内TOEI(旧・丸の内東映)」は、東映最後の直営館であるとともに、大手映画会社最後の直営館でもある。その歴史はまさに、日本の映画史、エンターテインメント史を彩る大きな一部だ。そんな丸の内TOEIが、ついに姿を消すという事実は、時代の移り変わりを決定づける出来事として記憶されていくだろう。
ここでは、そんな映画史の一時代の幕を下ろす、このタイミングで、東映がいよいよ決断をくだすことになった理由と、かつて娯楽の中心だった、東映直営劇場と東映作品の歴史を振り返ってみたい。
東映といえば1954年の初登場から続く、3つの岩に海の波が叩きつけられる、お馴染みのクレジット映像「荒磯に波」のイメージが、多くの観客に認知されている。この岩が象徴するのは、東映の前進であった「東京映画配給」、「太泉映画」、「東横映画」なのだという。これら経営が悪化していた3社が合併され、「東京映画配給(東映)」と名付けられた映画会社の経営を任されたのが、旧・東急の副社長だった大川博。それまで映画業界にいなかった大川は、実業家として大ナタをふるい、それまで緩かった映画会社の経営を再建させていく。
大川社長は数多くの企画を進め、1954年には、年間製作本数世界一(東映発表)を記録する。東映版『旗本退屈男』シリーズや『血槍富士』(1955年)など、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門などの時代劇スターをはじめとした俳優の人気を中心に、「二本立て」興行が好評を博するなど、破竹の勢いで日本映画界を東映が牽引。東映時代劇が国民的な存在となっていく。そして、ついに「丸の内東映」を擁する東映会館が1960年に竣工するのだ。開館時に上映されたのは、時代劇海洋スペクタクル『海賊八幡船』(1960年)だった。
東映が「丸の内東映」を構えた時代、道路を挟んだ斜向かいには、すでに「丸の内松竹(旧・邦楽座)」がそびえ、その至近距離には「丸の内東宝(日本劇場内)」も営業していた。このあたりは他にも映画館が乱立する映画館密集ゾーン。まさに群雄割拠のなかで銀座の局地を舞台にした“丸の内「三国志」”が展開していたことになる。
それに先んじて東映は、“東洋のディズニー”を目指したハイクオリティかつ自社の価値を高める教育的なアニメーション映画を製作するべく、「東映動画(現・東映アニメーション)」を発足。日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』(1958年)など、エポックなアニメ映画を打ち出していった。『安寿と厨子王丸』(1961年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)など、次々に内容を進化させていくなかで、東映動画には数多くの優秀なスタッフが集まっていく。
そのなかでも高畑勲、宮粼駿は、後に独立して東映動画の高い志を受け継いで、日本のアニメーションを代表する映画作品を手がけていくことになる。また東映はその後、方向を転換し、『ドラゴンボール』や『美少女戦士セーラームーン』などに代表される、ヒット漫画などのIP(知的財産)を基にした作品づくりに注力していった。現在の日本アニメの複数の路線は、まさに東映の挑戦によってかたちづくられたといえるのだ。
鶴田浩二や高倉健、藤純子らのスターが一大ブームを起こしたのが、『人生劇場 飛車角』(1963年)、『昭和残侠伝』シリーズ、『緋牡丹博徒』シリーズなど、東映の「任侠映画」だった。右翼思想に傾倒した三島由紀夫が任侠映画を激賞し、一方で任侠映画が左翼運動の一つの象徴ともなったように、思想の左右を問わず、自分の信じる仁義を守ろうとする個人的な悲劇や葛藤を描く東映のやくざ映画は、政治運動が盛り上がる時代の気分にフィットしていたといえるだろう。この時代に公開され、高倉健の人気を決定づけた石井輝男監督の『網走番外地』シリーズも含め、アウトローを主人公にする作品が多かったところも東映の特徴だ。
深作欣二監督、菅原文太主演の『仁義なき戦い』(1973年)は、そんな東映任侠映画を、内側から破壊するような作品だった。これまでの理想化されたやくざの様式美ではなく、実際の広島でのやくざの抗争を手記を基に、義理人情とはかけ離れた、リアルで殺伐とした抗争や身内の裏切りが、残酷に、乾いたタッチで描かれたのである。この『仁義なき戦い』はシリーズ化されるとともに、実録路線というジャンルを形成していった。
同時に、『トラック野郎』シリーズ、『女囚さそり』シリーズ、『不良番長』シリーズ、『女番長(スケバン)』シリーズなど、時代の要請によって、さらに大衆的な娯楽映画が量産されてもいく。ブルース・リーの映画が世界的なブームになると、『殺人拳』シリーズや『直撃地獄拳』シリーズ、『女必殺拳』シリーズ、『ザ・カラテ』シリーズなども製作された。過激化のなかで、さらにエクストリームな内容の「異常性愛路線」といわれるジャンルも開拓していく一方、複数のアニメ作品を詰め込んだ「東映まんがまつり」(のちの東映アニメフェア)や、『仮面ライダー』などの特撮シリーズで、子どもたちの心をもつかむ。
その後も東映は、数々の娯楽作品の上映で、われわれ観客を楽しませていった。『二百三高地』(1980年)、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『時をかける少女』(1983年)、『風の谷のナウシカ』(1984年)、『Wの悲劇』(1985年)、『極道の妻(おんな)たち』シリーズ、『スケバン刑事』シリーズ、『あぶない刑事』シリーズ、『魔女の宅急便』(1989年)、『天と地と』(1990年)、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)、『失楽園』(1997年)、『鉄道員(ぽっぽや)』、『バトル・ロワイアル』(2000年)、『ONE PIECE』シリーズ、『プリキュア』シリーズ、『狐狼の血』シリーズ、『恐怖の村』シリーズ、『THE FIRST SLAM DUNK』(2022年)などなど……。
紹介から漏れた作品はあまりにも多いが、これらに基本的に共通しているのは、とにかく“娯楽のど真ん中”にいることに貪欲だという点。このような娯楽追求の凄まじいまでの徹底性こそが、東宝や松竹などに対抗してきた東映の、武器であり個性だといえよう。
だが時代のなかで、かつて「娯楽の王さま」と言われた映画産業自体が、技術革新やライフスタイルの変化などで、縮小を余儀なくされていった部分がある。そんななか、アメリカ発祥の新たな劇場の形態である、合理的な複合型映画館「シネコン(シネマコンプレックス)」が登場。このビジネス形態が強いのは、上映作品ごとの観客の入りに応じて、館内の複数のシアターでフレキシブルにプログラムをコントロールできるところだ。直営劇場では、この自由さはなかなか真似できない。これによって、日本全国で従来の映画館の閉館が相次ぐようになった。その流れには抗えず、国内大手の各映画会社も、関連会社によるシネコン経営に乗り出すようになるのだ。
東宝は「TOHOシネマズ」、松竹は「松竹マルチプレックスシアターズ(SMT)」、そして東映は「T-JOY(ティ・ジョイ)」と、各社はそれぞれシネコン経営の会社に映画館の運営を任せる。本社から切り離すという合理化によって、従来の「直営」映画館は姿を消していき、もはや国内大手映画会社で残る直営劇場は、「丸の内TOEI」ただ一つになっていたのだ。そんな「映画黄金期」の時代を彷彿とさせる最後の灯も、もうすぐ消えることとなる。
東映の発表によると、東映会館の跡地にはホテル・店舗を中心とした商業施設を建設するとのこと。銀座の一等地であるため、安定的な賃料収入が期待できる。東映はかねてより、全国各地の直営映画館を再開発した、「渋谷東映プラザ」、「広島東映プラザ」、「福岡東映プラザ」、「仙台東映プラザ」などの不動産事業を展開している。銀座でもまた、その例に倣うということだ。また、かつての新宿の直営館「新宿東映会館」の跡地を中心に建設された商業施設「新宿三丁目イーストビル」では、不動産事業に加えて、T-JOY がTOHOシネマズと共同経営するシネコン「新宿バルト9」が、現在営業中である。
2029年に竣工予定の銀座のビルに、東映本社が再び入ったり、「新宿バルト9」のようなT-JOY運営のシアターが入るかは未知数だが、それを願うのは映画ファンの夢に過ぎないのかもしれない。銀座には現在、基本的に56メートルを超える建造物を建ててはならないというルールが存在するからである。そうなると地上11階、頑張っても13階の建設が限度となる。東映会館の隣の商業ビル「ギンザ・グラッセ」や、「GINZA SIX(ギンザシックス)」など、ルール制定後に建造された施設は、そのぎりぎりを攻めて利益の最大化をはかっているのだ。
そうなると、映画館の経営や本社の再移転は、必然的に限りあるスペースを圧迫し、東映の不動産事業の利益を落とす要因になってしまうだろう。そうでなくとも、いま東京では土地さえあれば、店舗のテナントやオフィスのテナント、ホテルなどを営業するビルが建造され続けている状態だ。だからこそ、多くの直営館が商業施設になってきた歴史を経験している映画ファンにとっては、東映に銀座への捲土重来を果たしてほしいところではある。
日比谷、銀座エリアは、現在の「東京国際映画祭」の開催エリアでもある。しかし、銀座に映画館が乱立していた時代は過ぎた。東宝の牙城である日比谷会場からいったん外に出て、他の会場に向かおうとすると、銀座の街から映画文化の熱気を感じにくくなってきているのも確かなことなのだ。丸の内TOEIの閉館は、この寂寞感の醸成に拍車をかけることになるだろう。だが、東映が時代のうねりとともに変化を続けたように、これもまた、時代の要請する空気への一つの回答だといえるのかもしれない。
丸の内TOEIでは閉館の日まで、各種イベントが開催される。2025年5月9日からは、「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクトが開幕し、往年の名作から近年の話題作に至るまで、東映のエンターテインメントを示す80タイトル以上が上映されるという。この機会に、日本映画の黄金時代の空気を、歴史を刻んだ映画館で体験するのもいいだろう。
【参照】https://www.toei.co.jp/about/business/#business-modal-real-estatehttps://www.ginza.jp/qa/vol-01https://tjoy.co.jp/theater/info/shinjuku-wald9
(文=小野寺系(k.onodera))

