羽生結弦 独占インタビュー「土下座しながら『やりたいです』と言いました」中学生時代の最大の決断を明かす

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7月19日、羽生結弦さんがプロスケーターへの転向を表明して約2時間後。テレビ東京の独占インタビューに応じてくれました。

およそ20分間に及ぶ収録をほぼノーカット、全3回で配信。

これまで世界のトップで戦い続けた羽生さんの苦悩、その中で得たものとは。そして今後の夢についてもお聞きしました。

ーこれまでした決断で一番大きなものは?

中学校1年生の時に、自分がやめたいとかではなく周りに「もうやらなくていいよ」と言われたことがありました。初めてそれを言われた時に僕は小学校の前からスケートをやっているので、「スケートがなくなっちゃったらどうなるんだろう」と思って。

もちろんスケートが好きなことは好きだけど、好きとかそういうもの以前に自分のやってきたものが全てなくなってしまうと思って怖くなって、「どうしたらいいんだろう」と訳が分からなくなったことが1回ありました。その時に、土下座しながら「お願いします。やりたいです」と言ったのが、自分の中では一番大きな選択だったと思います。

あのまま僕がスケートをやめてなんてことのない生活を送っていたら、こんなにたくさんの方々に応援して頂くこともなかったです。それが確かに「重たいな」と思うことはなくはないんですが、そのおかげで人間としても色々な景色を見させて頂いて経験させて頂いて勉強できているなと思うので、実際に人生が豊かになっていると思います。その時にスケートをやめなくてよかったなと思います。

ー苦しかった3つの時期

僕は苦しかった時期がかなり色々あって。一番最初が小学校4年生の時に初めて全日本ノービスで優勝して、その次の次の月くらいにリンクがなくなってしまったんです。その後違うリンクで練習することになるんですが、全然上手くなれなくて。同期に抜かれて、そこで停滞してしまったんです。それが苦しかった時期の一つ目です。せっかく上手くなって「やった!全日本で優勝できた」と思えているのに、そこで何もなくなってしまったのが一番辛かったです。

次が、その後全日本ノービスで3位になってリンクを移ってちょっと上手くなって、「もうスケートをやる必要ない」と言われてしまった時に苦しくて、そこで何とか這いつくばってやったというのがもう一つです。あとは震災の時ですね。

辛い時期はいっぱいあったんですが、辛い時期があって毎回スケートの意味を考えながら生活してスケートを選んで来られたからこそ今の自分があると思いますし、これから先もまた進んでいくにあたってきっと色々な経験をしながらまた人生が豊かになっていくのかなと思います。



ー北京五輪(2022年)の公式練習で過去のプログラムを滑った理由は?

あの時に真っ先に過去のプログラムを全部やりたいと思ったのは、あそこにいて下さるメディアの方々へという思いがすごく大きくて。僕の練習を選んで報道して下さることにあまりにも自分の中で感動してしまって、「こんなにも自分を必要として下さるんだ」って。「結果を取れなかった自分が、夢を叶えきれなかった自分がこんなにも皆さんに必要とされるんだ」と思った時に、全部を見せて皆さんに恩返ししたいなと思ってやらせて頂きました。

ーこの先の夢や目標は?

とにかく4回転半を成功させられるようにしたいというのと、今まで練習してきたこととか努力してきたこととか色々ありますが全部皆さんに見せられたらいいなと思っています。

その機会がどうなるのか分からないですけど、「やっぱり羽生結弦の演技たちっていいな、見る価値あったな」と思ってもらえるようにさらに努力することが今の目標であり夢です。