日本人の平均賃金は先進国で最低クラスだ。なぜそれほど低賃金の国になってしまったのか。嘉悦大学の高橋洋一教授は「90年代以降、失われた時代における日本銀行の無策がこの状況を招いた」という――。

※本稿は高橋洋一『給料低いのぜーんぶ「日銀」のせい』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

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■雇用の改善を果たしたアベノミクス

厚生労働省は2021(令和3)年5月、2020(令和2)年度平均の雇用情報を発表した。それによると、有効求人倍率は1.10(前年比0.45ポイント減)、完全失業率は2.9%(同0.6ポイント増)だった。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響をモロに受け、非正規の就業者数が直近より減った形ではあるが、民主党政権の末期(2012年)の有効求人倍率0.8、完全失業率が4.3%と比較すれば、日銀がマクロ経済政策で緩和策を続けた結果、大幅な雇用改善が図られてきたことはあきらかである。筆者が常々言っていることだが、金融政策とは雇用政策である。失業率を下げるということは、経済成長とほぼ同じことなのである。

極論をいえば、政権ができるマクロ経済対策は雇用の確保しかない。それさえできれば及第点なのだ。

アメリカのFRB(米国準備制度理事会)では、インフレ率と失業率は二重の責務ともいわれている。一方で、日銀は「雇用は日銀の仕事でない」と歴史的に整理されてきた。しかし、これは世界の経済学の常識とはかけ離れている。

その意味で、日銀の総裁が白川氏から黒田氏へ変わり、大胆な金融緩和策がとられ、その結果、失業率の低下と有効求人倍率が上昇したことは日本経済にとって望ましいことであり、筆者も想定していたことである。

■大手メディアが報じない安倍政権の実績

わが国で失業率統計がはじまった1953(昭和28)年以降、失業率を下げたのが29政権、就業者数を増やしたのは10政権しかない。その中で、もっとも失業率を下げたのが安倍政権であり、就業者数も佐藤栄作政権に次いで2番目に増やしている。

この比類なき実績と、日銀が決断した金融緩和策の成果を、大手メディアが積極的に報じないのは不思議というしかない。

日銀の「金融政策」と「自殺」との関係などといわれると、この2つはなかなか結びつかないというのが一般の人の感覚ではないだろうか。しかし、自殺率は失業率との相関性が高いため、失業率が下がれば自殺は減っていく傾向がある。雇用の改善と人の命はつながっていると考えていい。

警察庁が発表している令和2年度の自殺者数は2万1081人。対前年比で912人(約4.5%)増加した形だが、2013年の金融緩和開始からの数字を見ると、令和元年まで毎年減少が続いてきた。

出所=『給料低いのぜーんぶ「日銀」のせい』P121、人口動態統計データより同書編集部作成

令和2年度に関してはやはり新型コロナウイルスの感染拡大が大きく影響していると思われるが、その前年までの自殺者の減少傾向は、日銀が推し進めた金融緩和政策の成果だと考えている。

■自殺も犯罪も金融緩和で減らせる

失業率をどのくらい下げると自殺者の数がどのくらい減るかについて、筆者はかつて推計したことがある。

それによると、失業率を1%低下させると、自殺者はおおむね3000人程度減らすことができる計算だった。失業率と自殺率の間に高い相関がみられるのである。また、金融緩和により雇用が改善されると、社会の安定にもつながるのだ。失業率が低下すると自殺率が低下するように、失業率の低下は犯罪率の低下とも相関があるからだ。

普通に考えてみればわかると思うが、無職だった人が定職に就くことができれば、前記のような経済生活問題を原因とする自殺は必然的に減り、並行して犯罪も減る。こうしたことも、実は過去のデータから確認できるのだ。金融緩和すれば、自殺率や犯罪率は減少するのである。

このように、中央銀行の金融政策は、雇用創出という経済効果だけでなく、社会を安定させるという効用もあるのだ。このことは、もっと国民に広く知られるべきことだと筆者は考えている。

■今や先進国最低クラスに転落した日本の賃金

一方、賃金に関しては残念ながら厳しい見方をする以外ない。

経団連の中西宏明会長(当時)が2021年1月27日、日本労働組合総連合会(連合)の神津里季生会長とオンラインで会談し、「日本の賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構(OECD)の中で相当下位になっている」と語った。また、連合の神津会長も、「平均賃金が先進諸国と1.5倍前後の開きがある」と発言している。

実際にOECDの実質平均賃金データを確認してみると、たしかに日本の賃金は愕然とするほど低い。

順番で見ると一目瞭然だ。日本は1990年に22カ国中12位、2000年に35カ国中15位、2010年に35カ国中21位、そして2019年では35カ国中24位となっている。

また、1990年当時の22カ国が、2019年にどんな順番になっているか見てみると、日本はなんと21位。かつて12位だったのが、約20年後に最下位近くまで落ちている。まさに目を覆うばかりだ。ということは、2019年の35国中24位というのも、新たにOECDに加盟した賃金の低い国に救われているだけなのである。

■1990年からずっと賃金が伸びていない

また、1990年当時のOECD加盟国で、この30年間の名目賃金と実質賃金の伸びを見てみると、名目賃金ではほとんどの国で2倍以上となっているのに、日本の伸びはほぼゼロで、伸び率は最低だ。1990(平成2)年に20万円だった給料が、今も20万円で変わらないということである。

実質賃金についても、50%ほど伸びている国が多くみられるが、日本はわずか5%程度で、これも飛びぬけて低い。

それぞれの国で名目賃金の伸びと実質賃金の伸びを見てみると、相関係数は0.78程度になっている。この観点から言うと、日本の実質賃金の伸びが世界で低いのは、そもそもの名目賃金の伸びが低いからということがわかる。

■経済が伸びなければ賃金も伸びない

賃金の下押し圧力として考えられるのは、なんといってもマネーの不足だ。後述するとおり、外国人労働者の受け入れを主な要因と考える人が多いが、本質ではない。90年代以降、失われた時代における当時の日銀の無策が導いたものなのだ。

そもそも、名目賃金は一人当たり名目GDPと同じ概念なので、名目賃金が低いのは、名目GDPの伸びが低いからということになる。日本の名目GDPが1990年からほとんど伸びていないことは、他の先進国と比べても際立っている。世界でもっとも低い伸びだ。名目経済がそれほど成長していないわけなので、その成果の反映である賃金が伸びないのは、ある意味で当然ともいえる。

経済が伸びなければ賃金も伸びない。賃金が低いのは、90年代からの「失われた時代」の象徴と言っていいだろう。

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「90年代以降の30年間」と、「90年より前の30年間」を比較すると、名目GDPの伸び率とマネーの伸び率は一貫して相関があることがわかる。筆者の推計では、名目GDPともっとも相関が高いのがマネー伸び率だ。各国のデータでみても相関係数は0.7〜0.8程度もある。

具体的にいうと、「90年の前の30年間」では、日本のマネーの伸び率は、データが入手できる113カ国中46位と平均的な位置にある。一方「90年以降の30年間」では、日本のマネーの伸び率は148カ国中、なんと最下位である。結果、名目GDPの伸び率も最下位だ。

しかし、ここまで読んできた読者ならわかるはずだ。マネーの伸び率は、日銀が金融政策でマネタリーベースを増やすことでコントロールできるのだ。それをしてこなかった前の日銀(白川総裁時代)の罪は重い。デフレのA級戦犯は中央銀行なのだ。

賃金が上昇しない理由に、外国人労働者の受け入れも多少は影響しているが、それは本質ではない。本質はやはり、中央銀行の無策だったのだ。このことをもってしても、よくも悪くも、国民生活に日銀の政策が大きく影響していることがわかることと思う。

■シナリオは完璧なはずだったが…

経済学のスタンダードな理論で考えれば、大胆な金融緩和の継続でマネタリーベースを増やせば期待インフレ率が上がり、円安と株高になる。結果、1年から2年で消費や輸出、設備投資が増え、実体経済が改善され、雇用増加につながる。ここまでは現実に起きていたのだ。

そして、実際のインフレ率も高まり、さらなる実需が出てきたところで、最後に賃金の増加に結びつくというシナリオだったはずだ。

景気に遅れて動く指数を遅行指数といって、給料もその一つなのだが、円安と株高で景気が好転しはじめれば、基本給ではなくても、まずはボーナスが増える。実際、その動きも起きていた。また、ローソンやセブン&アイなどの小売企業が、いち早く賃金の引き上げを宣言したように、非正規雇用者の賃金も先行して上がっていくはずだった。

景気が本格的に回復し、企業サイドがそれを実感できるようになれば、そこでようやく定期昇給が実現するわけだ。

■「賃金上昇率はインフレに勝てない」という思い込み

ちなみに、インフレを不安視する人の中には「景気がよくなってインフレになると、賃金上昇率がついていかない」という人もいる。

これは、あまりに長く続いたデフレのせいで、「賃金がインフレに勝てない」というデフレ特有の現象を、常識として捉えるクセがついてしまったといえる。50代以上の人は覚えていると思うが、バブルの頃に100円の商品が20円や30円上がっても、「給料が追いつかなくなる」などと心配する人はいなかった。

金融緩和策が目指したロードマップとしては、実際のインフレ率と賃金は、理論的にはほぼ同時に上昇する。というのも、インフレ上昇が賃金上昇に勝った場合、企業は人件費(広義の原価)の上昇以上に売り上げが伸びる。「儲けすぎ」となって、企業側が本格的な景気回復を実感できるようになれば、賃金交渉の環境は生まれてくる。そこで企業が頑なにベースアップを拒めば、従業員はよそへ移ってしまうので、賃上げに応じざるをえない。

賃金が上がった従業員はそのお金を消費に回すので、インフレ率を押し上げる。したがって上昇は「ほぼ同時」ということになるわけだ。

■なぜ金融緩和を減速してしまったのか

賃金上昇率は本来、「インフレ率+生産性向上分」が望ましく、生産性が低い仕事より、高い仕事のほうが、賃金の上昇率も確保できて当然だ。付加価値の高い商品開発をしたり、同じ製品でも低コストでの製造を実現したりする仕事のほうが、そうでない仕事よりも、インフレ率に勝つだけの給料を貰えるのが理想だろう。

ベースアップ交渉でも「生産向上分」が交渉材料になる。つまり、生産性向上を維持できていれば、賃金の上昇率はインフレ率より、生産向上分だけ高くなるということだ。もちろん、実際には個別事例で事情は異なるだろうが、産業全体としてみれば、インフレ率の上昇が給料アップにつながっていくのである。

つまり、アベノミクスで進められた大胆な金融緩和策は、そこへ向けて正しくすすんでいたはずなのである。

■野党が本来行うべきだった追及

話を外国人労働者の受け入れに戻すと、野党もどうせ追及するならば、いまのような理論をもって与党を追及すべきだった。この法案改正が移民政策かどうかなどという、ズレた話をしている場合ではなかったのだ。

高橋洋一『給料低いのぜーんぶ「日銀」のせい』(ワニブックス)

「雇用環境がせっかく良好なのに、この改正法案がどんな影響をもたらすのか」「賃金上昇の動きに水をささないか」という本質的な質問をすべきだった。「労働者の味方」を標榜するなら尚更だ。しかし、それがまったくできていなかった。

すでに日本には、少なくない外国人労働者がいた。実は安倍政権になってからも、すでに外国人労働者は70万人から130万人へと、60万人も増えていたのだ。そのうち雇用環境に大きな影響を与えるとみられたのが、30万人の留学生アルバイトと25万人の技能実習生だが、安倍政権で増やしたのが、それぞれ20万人と10万人だ。そこへさらに、2019の5年間で最大34万人を受け入れると決めたのである。

賃金の動向を見る限り、そんなにあわてて外国人を受け入れるほど、本格的な人手不足になっていないと考えたのは筆者だけではないだろう。

賃金が上がらずに喜ぶのは製造や流通などの産業界だ。実際、政府方針は、産業界からの意向だけで進められていた気配がある。賃金を上げたくないという産業界の願望に沿う形で、外国人労働者を受け入れたことが、ようやく動きはじめていた賃金上昇圧力を弱めてしまったとしたら、これほど無念なことはない。

繰り返しになるが、金融政策とは雇用政策であり、失業率の低下は経済成長とほぼイコールだ。政権ができるマクロ経済対策の目的が雇用の確保である以上、それさえできれば及第点であるという考えは変わらない。

もし、あのまま賃金が上がっていたら、筆者がアベノミクスにつける点数は100点だっただろう。

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高橋 洋一(たかはし・よういち)
政策工房代表取締役会長
嘉悦大学教授。1980年に大蔵省(現財務省)に入省。大蔵省理財局資金企画室長、内閣参事官(首相官邸)などの要職を歴任。小泉内閣・第一次安倍内閣ではブレーンとして活躍。
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(政策工房代表取締役会長 高橋 洋一)