なぜ中島翔哉はポルトで苦戦するのか?「4つの理由」とは

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今夏カタールのアル・ドゥハイルからFCポルトに加入した日本代表MF中島翔哉。フラムとの練習試合において素晴らしいプレーを見せ、いいスタートを切ったかに思えたが、その後は失速。これまでの公式戦でスタメン起用は1試合のみで、しかもそのクラスノダール戦は敗れてしまった。

なぜ中島翔哉は苦しんでいるのか?その理由について『Bola Na Rede』が4つの事項を挙げて論じており、それを紹介していきたい。

ルイス・ディアスの出現

中島翔哉が左サイドのウイングでプレーすることを好むのはよく知られている。ポルティモネンセのユニフォームを着て輝きを見せる彼を、ポルトガルのすべてのサッカーファンが見慣れていた。そのエリアで彼はしばしば内に切れ込む動きを見せた。

しかしご存知のようにビッグクラブでの競争は熾烈であり、この種の特色を強調するだけでは、いい選手足り得るために十分ではない。

ここでは、日本人はルイス・ディアスと競争しなければならない。その若いコロンビア人は、素晴らしいパフォーマンスとゴール、アシスト、ドリブルをファンの網膜に焼き付けたことで大きな優位性を獲得した。

ルイス・ディアスは仲間よりもいい位置を獲得しているが、中島も2番手でいたいとは思わないだろう。しかしながら、その状況を覆すために、ライバルより多くのものをもたらすことができると証明しなければならない。

セルジオ・コンセイソン監督の理想

多くのサポーターと記者の間でコンセンサスが取れているものの一つだ。セルジオ・コンセイソンによって作られた戦術に、中島のクオリティと特性が適合しないという事実は。

よく知られているように、セルジオ・コンセイソン監督は選手たちにフィジカルを特色としたプレースタイルを求めてきた。縦の攻撃に大きく依存し、アタッカーの強さとスピードによってダメージを与えられるスペースを探している。そして、ボールを持っていない際には強いプレッシャーを相手にかける。

これは体力に優れ、耐久力がある選手によってのみ可能なことだ。したがって、監督は中島のようにフィジカルよりも技術的な要素に優れた選手を軽視しているという仮説がある。

その状況はオリベル・トーレス(セビージャ)の放出に繋がったものだ。セルジオ・コンセイソンは彼をうまく使うことに失敗し、サポーターや記者から批判を受けた。

『技術よりもフィジカルを好む』と言われている監督。事実この日本人は素晴らしいテクニックとパスとビジョンを持つが、セルジオ・コンセイソンが好む選手のステレオタイプに合致しない。

新しい現実への対応

日本の小さな天才中島翔哉にとって、これはキャリアで初めて直面する大きな挑戦なのだ。完璧への要求が常にある。タイトルを獲得するというプレッシャーがある。

中島がこれまで着けていたエンブレムよりも遥かに重いものである。それはあらゆる選手が適応できるものとは限らない。サッカーの世界では、小さなクラブの主役であった選手が新たな挑戦に向かい、そこでの期待に応えられずに苦しむことは多い。

中島のポルトへの適応を妨げる可能性があるもう一つの事実は、日常生活において同行する通訳が提供されなかったということだ。

取るに足らないことのように見えるかもしれないが、ポルトガルとは違う文化からやってきた人間にとっては重要だ。言語は不可欠なコミュニケーションツールであり、同僚と関係を築くことを難しくさせるかもしれない。

私生活

幸か不幸か、サッカーはテレビゲームのようにいかないものだ。選手の私生活は必ずスポーツ面のパフォーマンスに影響を及ぼす。

先日中島は父親になった。出産に立ち会うため、ポルトとセルジオ・コンセイソン監督から日本に帰国することを許された。しかしながら、出産というのは簡単なプロセスのものではないし、必然的にあらゆる選手の心を混乱させる可能性がある。

一部の人々にとっては驚くべきことかもしれないが、サッカー選手は人間である。時に生活をサッカーから切り離すことができない。収入の低下にも繋がる可能性があり、おおよそクラブからの保護もない。

中島がポルトで不振に陥っている理由は4つある。しかし、サッカーは非常に時間が早く進むもので、シーズンの最後までこのままであるという意味ではない。

この風潮を変えられるかどうかは選手、そして彼を取り巻く全体の構造次第であり、今日までのところは両当事者にとってあまり素晴らしいものではない。中島が『ドラガォンのサムライ』になれるかどうか。