ドーハの悲劇に新事実? 悪夢の同点ゴール直後、カズが呟いた言葉とは
ドーハの悲劇。それは日本サッカー界にとって歴史に残る節目の試合の一つとして今も語り継がれている。
1994年のサッカー・アメリカW杯出場を目指していた日本代表は、1993年10月28日にカタールのドーハでアジア最終予選最後の試合(イラク代表戦)を迎えた。勝てば悲願のW杯初出場となり、同点ないし敗戦ではその夢が潰える、まさに日本国中が注目した一戦となった。
試合は言うまでもないだろう。後半24分、1-1から中山雅史氏が勝ち越しゴールを挙げ、残り時間を守りきれれば――という矢先のロスタイム、イラクはショートコーナーからサルマンがヘディングシュート。ボールは日本のゴールに吸い込まれるように入ると、試合はドローに。予選リーグで3位となった日本代表のW杯出場の夢は叶わなかった。
すると、18日放送、テレビ朝日「ゴン中山&ザキヤマのキリトルTV」では「ゴール後につぶやいていた キングカズ23年後の新事実」と題し、悪夢の同点ゴールが決まった直後の三浦知良にフィーチャー。専門家が唇の動きから会話を推測する読唇術を用い、カズが発した“ある一言”を取り上げた。
試合終盤は、防戦一方となった日本代表。ベンチに下がった中山氏は「ラストだぞ、頼む、頼むぞ、神様」と祈りながら試合を見守るも、イラクの同点ゴールが入った瞬間、ラモス瑠偉氏は「入った。終わりだ、神様・・・」と呟き、中山氏は「あー、もう。やだよ、もう」と倒れ込み、両手で顔を覆って泣き叫んだ。
しかし、カズは相手のゴールが入った瞬間、「もう・・・」と一度はピッチに顔を埋めるも、立ち上がって走り出すや、なんと「まだまだ」と呟いていたのだ。それでも再開後、試合終了のホイッスルが吹かれると、当時26歳だったカズは「ウソだろ」と呆然と立ち尽くした。
読唇術とともに、当時の試合を振り返った中山氏は「カズさんが点を獲られてからの“まだまだ”という言葉ですよね」と切り出すと、「僕自身あのゴールが決まって、うなだれてるんですけど、それでもまだ30秒くらいの時間はあった。その30秒に懸けて走り出しているカズさんの姿を見たら、自分の甘さをこの20年以上経った今痛感しました」と神妙な面持ちでコメント。あの絶望的な状況でも最後までゲームを諦めなかったカズの姿勢を称えた。
1994年のサッカー・アメリカW杯出場を目指していた日本代表は、1993年10月28日にカタールのドーハでアジア最終予選最後の試合(イラク代表戦)を迎えた。勝てば悲願のW杯初出場となり、同点ないし敗戦ではその夢が潰える、まさに日本国中が注目した一戦となった。
試合は言うまでもないだろう。後半24分、1-1から中山雅史氏が勝ち越しゴールを挙げ、残り時間を守りきれれば――という矢先のロスタイム、イラクはショートコーナーからサルマンがヘディングシュート。ボールは日本のゴールに吸い込まれるように入ると、試合はドローに。予選リーグで3位となった日本代表のW杯出場の夢は叶わなかった。
試合終盤は、防戦一方となった日本代表。ベンチに下がった中山氏は「ラストだぞ、頼む、頼むぞ、神様」と祈りながら試合を見守るも、イラクの同点ゴールが入った瞬間、ラモス瑠偉氏は「入った。終わりだ、神様・・・」と呟き、中山氏は「あー、もう。やだよ、もう」と倒れ込み、両手で顔を覆って泣き叫んだ。
しかし、カズは相手のゴールが入った瞬間、「もう・・・」と一度はピッチに顔を埋めるも、立ち上がって走り出すや、なんと「まだまだ」と呟いていたのだ。それでも再開後、試合終了のホイッスルが吹かれると、当時26歳だったカズは「ウソだろ」と呆然と立ち尽くした。
読唇術とともに、当時の試合を振り返った中山氏は「カズさんが点を獲られてからの“まだまだ”という言葉ですよね」と切り出すと、「僕自身あのゴールが決まって、うなだれてるんですけど、それでもまだ30秒くらいの時間はあった。その30秒に懸けて走り出しているカズさんの姿を見たら、自分の甘さをこの20年以上経った今痛感しました」と神妙な面持ちでコメント。あの絶望的な状況でも最後までゲームを諦めなかったカズの姿勢を称えた。