誰も知らない中国調達の現実(215)−岩城真

 中国の生産工場、特に中国ローカル、香港、台湾系では、生産ラインの従業員の賃金を出来高制にしている企業が多い。沿海部の工場でコマネズミのように働く民工(出稼ぎ労働者)を見て、そのモチベーションの源泉が出来高制にあることを実感した読者も多いだろう。しかし、出来高制こそ中国生産工場の理想的な管理手法だと理解していたら、それは大きな誤りである。むしろ、中国製造業の発展を阻害する悪習にもなり得るシステムといった理解の方が正しい。

 今回の“出来高制”に関する議論で、錯誤が生じないように“出来高制”と“請負制”とを区別しておく必要がある。“出来高制”は、従業員が加工したら加工した数に応じて賃金が支払われる。基本給の最低保障はあるとしても、賃金は加工した数によって決まり、理論上の上限はない。一方の“請負制”は、加工個数、納期を裁量権のある個人や事業主がコミットして請負う。したがって、コミットした時点で、加工個数もその対価も決まる。

 中国の製造業と一口に言っても、あまりにも幅が広い。例えば、機械部品製造に限定しても、まったく同じ部品を、複数のラインで来る日も来る日も生産する工場もあれば、あとにも先にも受注した1個だけしか生産しないといった工場もある。そのような多様性を考慮しても、出来高制は理想形態ではない。出来高制の導入で、生産効率が向上した工場は、元々の生産性が極めて低い前近代的な発展段階だったともいえる。“中国製造業”のこれからを考えたら、出来高制そのものが前時代の遺物である。

 筆者が中国国有企業に駐在していた10年近く前、発展から取り残され政府の補助金で経営を維持している内陸部の国有企業を訪問したことがある。その工場の従業員は、会社にいるだけで賃金がもらえるが、作業してミスを犯せば、処罰、減給の対象になる。ミスを犯さない最善の方法は、作業しないことである。このような工場では、大量の監視役(管理スタッフ)を配置しないと、工程が進まない。そこに出来高制を導入すれば、生産性は向上し、管理スタッフも減員できる。確かに出来高制導入の功績であるが、それはあまりにも低いレベルの過去の成功例であることは、ご理解いただけると思う。今どき、出来高制を導入して生産性が向上したなどということは、以前がよほど酷かったことを、暴露しているようなもので自慢にもならないのである。

 出来高制の導入が品質低下に繋がることは、誰にでも容易に想像できるので簡単に書く。作業者は自工程の加工に集中する、それが中国的なセクショナリズムと相まって、前工程から流れた部品が加工しても到底出荷できない不良品になることがわかってもお構いなく加工することで、加工賃は仕掛損になる。また、不良品を加工しても加工数にカウントしない規則を作ると、ライン全体が不良を発見しても、素知らぬふりをして、次工程に流す。不良と言う名のババ抜きがはじまってしまうのである。

 いよいよ出来高制の弊害の本質を書く。作業スピードは、速ければ良いというものではない。決められた時間で、安定していることが大切なのであって、それを超えて速くても無駄なだけである。例えば、第2工程の作業者が、標準時間(S.T.)より20%速く作業する。第3工程の作業者が、S.T.でしか作業しなければ、第2工程の終わった中間製品の山ができるだけで、製品全体のリードタイムは不変である。そもそも、第2工程の作業者が20%作業スピードをあげるためには、第1工程の終わった中間製品を常に多めに用意しなければならない。つまり、出来高制は、無駄な中間在庫を増やすだけなのである。

 一方、のんびりと作業する作業者がいたとしても、文句を言えなくなる。かつては、のんびり作業する民工など皆無だったかもしれないが、今は違う。残業はゴメンだ、そもそも出稼ぎの目的は、カネを稼ぐことより都会生活への憧れなどいった若者も出現している時代なのである。工程全体のスピードは、最も遅い工程のスピードで決まってしまうので、ややもすると生産効率の低下を引き起こす。

 出来高制を導入すると、監視役だった管理スタッフを削減できたように見えるが、これは管理が効率的になったのではなく、管理をしていないだけのことである。日々の生産量もリードタイムも、個々の作業者のモチベーション任せにしているだけである。春節が近づくと生産効率が変動するのは、出来高制を導入していなくとも起こり得ることだが、出来高制は、それを助長することになる。

 作業の速い作業者に余計なカネを払って、無駄な中間製品を作る。これが出来高制の真実であると言ったら、言いすぎだろうか。頑張っても、頑張らなくても、平等に貧乏な社会主義時代の中国製造業を資本主義競争に参戦するレベルに引きあげたことは、出来高制の功績かもしれないが、それは一時のカンフル剤でしかない。さらに上のステージに中国製造業が進化するためには、出来高制は前時代の悪しき制度でしかない。

 大切なことは、従業員のモチベーション向上を出来高の“カネ”に頼るのではなく、もっと違うところに、モチベーシヨンの源泉を求めるよう経営者は考えるべきだろう。そもそも、生産効率の向上をモチベーションに頼ることにも危うさを感じる。生産効率は、システムとして向上させるべきで、基本は誰がやっても同じ成果が出させるものでなくてはならない。ちょっと綺麗すぎる理想論ではあるが、目指すところは、こうではないだろうか。(執筆者:岩城真 編集担当:水野陽子)