【インタビュー】サッカー日本代表最大のヒットソングはスタジアムから生まれた──植田朝日が語るチャント文化

ULTRA’ NIPPON 植田朝日氏インタビュー
2026年FIFAワールドカップがアメリカ、メキシコ、カナダで開催される。世界最大のスポーツイベントを前に、日本代表を後押しする“歌”が再び注目を集めている。
「VAMOS NIPPON」「アイーダ」「ニッポンオーレ」「ジェリコ」。
スタジアムに響くこれらのチャントは、今や日本代表戦の風景として当たり前の存在となった。しかし、その多くは最初から広がることを前提に作られたわけではない。そこには、日本サッカーとサポーター文化が歩んできた40年近い歴史がある。日本サッカーサポーター文化の第一人者であり、ULTRA’ NIPPON代表を務める植田朝日に、チャント誕生の背景と、その本質について話を聞いた。

■ チャントが存在しなかった時代「ゴール裏に現れた新人類」
── 現在のスタジアムでは当たり前となった大合唱。しかし1980年代半ば、日本代表戦にその光景はなかった。植田が日本代表の応援を始めたのは1985年、メキシコワールドカップ予選の頃だった。
植田朝日:今では考えられないけど、当時は日の丸を持っている人なんてほとんどいなかったんですよ
── 当時、応援していた人数は20人ほど。応援といえばチアホーンを鳴らし、「ニッポン」と叫ぶ程度だった。チャントという言葉もなく、歌って応援する文化そのものが存在していなかった。転機となったのは1987年のソウルオリンピック予選だった。レプリカユニフォームすら流通していなかった時代。植田は自ら日の丸を縫い付けたユニフォームを着てスタンドへ向かい、仲間たちと歌い始めた。
植田朝日:普通に考えたら恥ずかしいですよ。数人しかいないんだから(笑)。だったら直接『頑張れ!』って言ったほうが選手に伝わる。テレビで見ていたヨーロッパのサッカーがそうだったから。サッカーファンって歌うものだと思ってたんです。
── 当時、その光景は異質だった。サッカー専門誌『イレブン』には「ゴール裏に現れた新人類」という見出しで取り上げられたという。日本にサポーター文化という概念が根付く以前の話である。
■ 応援はスタジアムで覚えるもの
── 1992年、広島で開催されたアジアカップは、日本サッカーの歴史における大きな転換点となった。日本代表は同大会で初優勝を達成する。しかし大会初戦、声を張り上げて応援するサポーターに向けられたのは歓迎ではなかった。
「うるさいから黙れ!!」
── そんな言葉を浴びせられたという。それでも大会が進むにつれ状況は変化した。決勝戦ではスタンドが埋まり、多くの観客が立ち上がって声援を送っていた。その頃、レコード会社から日本代表応援歌のCD制作を打診される。
植田は当初、その話を断った。
植田朝日:事件は現場で起きてるんだよ、って話じゃないけど(笑)、応援はスタジアムで覚えるもんだと思ってたから
── しかし、「初めてスタジアムへ来る人たちにも応援文化を伝えたい」というレコード会社の熱意に動かされ、制作に参加することになる。そこで生まれた名称がULTRA’ NIPPONだった。
植田朝日:最初はULTRAS JAPANという案もあった。でも俺たちはジャパンとはコールしない。ニッポンなんですよ。今では大切な名前だけど、正直言えば適当に付けた名前だった。(笑)
── ヨーロッパの熱狂的サポーター集団「ULTRAS」に由来するその名前は、30年以上を経た現在も受け継がれている。
■ ヒットチャントは偶然から生まれる
── 現在、日本代表の定番として歌われているチャントも、その多くは偶然の積み重ねから誕生している。
植田朝日:定番のチャント「VAMOS NIPPON」のルーツは1995年頃に遡る。当時は世界基準への憧れがあった。頑張れ日本!より「VAMOS NIPPON」の方がカッコよかったんですよ。アルゼンチンで耳にした応援歌をヒントに誕生したこのチャントは、やがて日本代表を象徴する楽曲のひとつとなった。
──「ニッポンオーレ」はさらに自然発生的だった。
植田朝日:元々はアビスパ福岡のサポーターが歌っていた曲だったんです。九州開催の代表戦で悪ノリで歌ったら盛り上がった。それだけ(笑)。
──そのそれだけの出来事が、後に全国規模のチャントへと発展していく。
植田朝日:2002年日韓ワールドカップでは「アイーダ」が爆発的に浸透した。テレビ中継やCMで使用され、日本代表の中田英寿選手たちが口ずさむ姿も映し出された。サポーターの歌だったチャントが、社会全体へ広がった象徴的な出来事だった。
──「ジェリコ」は2010年南アフリカワールドカップで誕生した。
植田朝日:せっかく南アフリカへ行くなら、現地らしい歌を歌いたかったんですよ、チャントって不思議なんですよ、まるで生き物みたいなんだよね。当初は大きく広がらなかったものの、年月を経てアウェーのスタンドで歌い継がれる定番的な存在になった。
■ 簡単だから強い
── 2026年ワールドカップは北中米で開催される。現地には熱心なサポーターだけでなく、初めて日本代表戦を観戦する人々や在留邦人も数多く集まることになるだろう。だからこそ植田は、チャントに求められる条件はシンプルさだと語る。
植田朝日:ワールドカップや海外アウェーって国内の代表戦とは違うんです。誰でも参加できること。誰でも歌えること。それが大事。簡単だから弱いんじゃない。簡単だから強いんです。チャントは上手く歌うためのものではない。スタジアムに集まった人々が、一瞬で同じ方向を向くためのものなんです。
■ 「チャントとは文化だ」
── 最後に、植田にとってチャントとは何かを尋ねた。返ってきた答えはシンプルだった。
植田朝日:みんなの気持ちをひとつにするためのツールかな。
数万人が集まるスタジアムでは、一人ひとりの声は小さい。しかし歌になれば違う。同じ言葉を共有し、同じリズムを刻み、同じ想いを重ねることができる。1980年代、観客もまばらなスタジアムで歌い始めた数人のサポーターたち。その声はやがて文化となり、日本代表を支える風景の一部になった。チャントは単なる応援歌ではない。人と人をつなぎ、世代を超えて受け継がれる文化である。
そしてワールドカップイヤーを迎える2026年、その歌は再び世界へ向かう。

文◎DJ DRAGON(BARKS)
写真◎ULTRA’ NIPPON、植田朝日
