『3年B組金八先生3』の取材会で武田鉄矢に「朝メシは大事!」と説教された【あの頃、テレビドラマは熱かった】
【あの頃、テレビドラマは熱かった】
「3年B組金八先生3」
(1988年/TBS系)
◇ ◇ ◇
水道橋に“でかい卵”ができた1988年。御年45歳のミック・ジャガーもひと稼ぎしていったっけ。対ドル円は86年に160円前後、87年に140円前後、そしてこの年には120円台に届く勢い。“バブルの塔”を登る日本は、その辺の大学生でも牛か羊の革でできた黒のハーフコートを着ていた。
そんな88年の10月、TBSは大改編を敢行した。朝の顔だった森本毅郎(当時49)に平日夜10時を託して前年に始まった「JNNニュース22プライムタイム」がわずか1年で打ち切られ、別のニュース番組に。そんな中で大きな“目玉”となったのが、「3年B組金八先生3」。放送枠は79年の1と80年の2の“キンパチ”ではなく、月曜9時。フジ月9の真裏だ。この時のフジは、野島伸司の連ドラ脚本デビュー作にして三上博史連ドラ初主演作「君が嘘をついた」。トレンディー!
放送前、取材会があった。局が用意したバスで荒川土手に行ってロケを見学、その後は赤坂一ツ木通りのスナックに集合。記者がいる席を出演者が回るという、当時のTBS番宣お得意の方式だった。目の前にグラスを持った“リアル金八”がいる! 武田鉄矢(同39)を前に緊張した僕は、何か聞かなきゃと焦った。で、口から出たのが「8年ぶりということですが、その間の武田さんの芸能生活の中で“金八先生”はどんな影響を与えましたか?」。
しょーもないことを聞いてしまったと顔を真っ赤にしている僕に、彼は答えた。「いやね、飲みに行くわけですよ、キレイなお姉さんのいるところに。そこで言われちゃうの、《金八先生見てました》《私、あの時の生徒と同い年です》とか。そんなこと言われたら、ヘンなことできないじゃない」
そりゃそうだ。しかもブランクの間も、毎年全国各地のTBS系列では夕方の再放送枠で1か2が放送されていて、それが視聴率10%近かったりしたものだから、武田鉄矢=坂本金八の浸透度はえげつない。
金八の呪縛についてしばし語った後、彼はこう言った。「ところで君、朝メシ食ってるか? 朝メシは大事!」。そして5分ぐらい説教して、リアル金八は次のテーブルに移動した。「3」の題材に“朝食”があることは、放送を見て知ることになるわけだが。
後にSMAPでデビューする森且行(同14)をはじめ、長野博(同16)、浅野忠信(同15=当時は佐藤忠信)、萩原聖人(同17)が生徒だった「3」は、フジ月9を上回る平均視聴率23%台を記録。その後2011年まで続き、広い世代の記憶に刻まれている。88年秋のTBS大改編の「金八復活」は大成功だった。
(テレビコラムニスト・亀井徳明)
