『君のクイズ』『ミステリー・アリーナ』 クイズ作品急増の背景に“考察ブーム”あり?
映画『君のクイズ』と『ミステリー・アリーナ』が相次いで公開された。前者はクイズプレイヤーたちの思考をめぐる物語、後者は犯人を当てる推理クイズ番組を舞台にした物語だ。2026年内にはNetflixで『国民クイズ』がドラマ化されることが発表されている。「クイズ」をテーマにした作品が続いている背景には一体何があるのかを考えてみたい。
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まずはそれぞれの作品を簡単に振り返ってみよう。『君のクイズ』は小川哲による小説を、中村倫也、神木隆之介主演で映画化したもの。競技クイズに熱中する若者たちの卓越した思考を読み解いていく原作に対して、映画化された作品ではムロツヨシ演じるテレビマンの思惑が大きく前に出た作品になっている。
『ミステリー・アリーナ』は深水黎一郎による小説を、唐沢寿明主演、芦田愛菜共演で映画化したもの。賞金100億円という破格のクイズ番組「ミステリー・アリーナ」で、出場者たちが洋館で起きた殺人事件の謎を解いていく。解答者たちがカリスマ的司会者・樺山によるミスリードをいかにかいくぐって思考していくかが肝になっている。
『国民クイズ』は1993年に発表された杉元伶一原作、加藤伸吉作画のコミックスを山田孝之主演でドラマ化するもの。憲法で「国権の最高機関」として定められたテレビ番組「国民クイズ」によって支配されたディストピア化した日本の姿を描く。
かつて『ザ・クイズショウ』(日本テレビ系)というドラマがあったが、やはりここまでクイズをテーマにした作品が続くのは珍しい。ちなみに『ミステリー・アリーナ』で樺山を演じた唐沢は『古畑任三郎』で殺人犯のクイズ王を演じている。被害者は『君のクイズ』で何度も名前だけが出てくる伊集院光だった。
クイズをテーマにした作品が相次いでいる背景には、若い世代を中心にしたクイズブームがある。その代表的な存在が『君のクイズ』でクイズ監修を務めているQuizKnockだ。YouTubeのチャンネル登録者数は260万人を超え、総再生回数は約41億回に達し、若年層を中心に絶大な人気を誇っている。
一般参加型の謎解きイベント、脱出ゲームの人気も高まっており、2025年には国内市場規模が初めて100億円を突破した。主な顧客層も20代から30代の若者層だ。QuizKnockが運営する高校生クイズ大会「WHAT」をはじめ、一般参加のクイズ大会も数多く行われており、それぞれ参加者は数千人に達している。
早押しクイズアプリ、クイズ系のショート動画の人気も高い。昭和の時代に数多く制作されていた視聴者参加型のクイズ番組は、平成以降ほとんど見なくなったが、今また形を変えてクイズが若者たちに強く訴求していることがよくわかる。
そもそもクイズとは何か。『デジタル大辞泉』には「問題を出し、それに答えさせる遊び」とある。一般社団法人日本クイズ協会は「あらゆるQ&A(question and answer)形式のゲームがクイズである」と広く捉えており、クロスワードなどのパズルや脱出ゲームなどもクイズに含まれていると定義づけている。しっくりくる解釈ではないだろうか。
映画『君のクイズ』の冒頭では、学生時代の主人公にクイズ部の先輩が次のように語りかける。「解答可能じゃないとクイズにならない。だから、この世には解けないクイズは存在しないんだよ」。神木隆之介演じるカリスマクイズプレイヤー・本庄絆は「クイズには明快な正解がある」とも語っている。つまり、必ず答えがあるのがクイズなのだ。
クイズブームは昨今の「考察」ブームともよく似ている。『考察する若者たち』(PHP新書)の著者で文芸評論家の三宅香帆は、同書の中で「考察」を「作者が作品に仕掛けたものとして謎を解こうとする行為」と記している。
漫画や映画などを独自に読み解く「批評」と異なり、「考察」には正解がある。『チ。―地球の運動について―』の漫画家・魚豊との対談で三宅は「考察」を「(漫画や映画を)クイズやゲームのように『正解』を当てにいく行為」と表現していた(PHP online 2025年7月4日)。
ちなみに『ミステリー・アリーナ』の公式サイトには、「誰もが映画やドラマを見て考察する時代にぴったりの映画が誕生」と記されていた。クイズと「考察」が近い存在であることがよくわかる。
三宅は「考察」ブームの背景に「報われたい」という人々の感情を見いだす。不況と不平等が続く今の社会では、個人の努力が報われることはほとんどなくなった。努力が報われるかどうかは、運や環境によって大きく左右される。だから「報われた」と感じるものに価値を見出す。漫画や映画を楽しむだけではなく、「考察」によって正解を得ることで「報われた」と感じることができる。
『君のクイズ』で中村演じる主人公のクイズプレイヤー、三島玲央はクイズについて「正解の瞬間、解答者は世界から肯定される」と語っていた。やや大げさで抽象的な表現だが、このときの感情は「報われた」という感情と近いのではないだろうか。
今の社会は平等ではない。「親ガチャ」はあるし、政治家は不正を働いても罰せられない。富裕層は贅沢の限りを尽くしている。そのことを多くの若者は知っている。だが、クイズはルールの下に平等だ。誰もが知識と技術で正解を得ることができる。
『国民クイズ』に登場する「国民クイズ」という番組は国民の身勝手な欲望をかなえるための異常なシステムだが、番組ディレクターのD門は「国民の求める平等」を具現化したものだと説明していた。クイズは「親ガチャ」も運も関係ない、機会の平等の象徴なのだろう。
クイズには必ず答えがあり、実力さえあれば誰もが平等に正解を得られる。そのとき、正解を出すことができた人は「報われた」と感じるはずだ。正解を得るための努力は尊いし、成長の実感も得られるだろう。だからブームになり、クイズをモチーフにした作品が作られるようになった。
しかし、クイズの正解は誰かが用意したものだ。興味深いことに、映画化された『君のクイズ』も『ミステリー・アリーナ』も、漫画の『国民クイズ』も、どれもが「答えのある世界」からその外側の「答えのない世界」へ主人公が出ていく場面が描かれている。
映画やドラマの制作者たちはクイズというモチーフを使いつつ、誰かが用意した答えを解答回答するのではなく、自分だけの答えを探すべきなのではないか? と観客に問いかけているように見える。昭和時代の高額な景品を求めて一般視聴者が争うクイズでもなく、平成時代のタレントたちのやりとりを楽しむクイズでもない。現代におけるクイズとは、それだけ作り手を刺激するテーマなのだろう。(文=大山くまお)
