マイホームの下見中に“忘れられない元カノ”とバッタリ遭遇…同じマンションに?49歳夫が封印していた「死に物狂いの恋」
【前後編の前編/後編を読む】17年ぶりに再会した元カノは、息子に僕の名前を付けていた。家族ぐるみの付き合いが始まった2つの家庭の行方は
結婚生活を経験したことがある人なら、多くが「恋愛と結婚は違う」と思っているだろう。それでも家族がいる限り、責任が生じるし“家族への愛情”も存在する。だが、恋愛をしてしまえば、その浮かれた楽しさも捨てがたい。さらには錯覚かもしれないが、「本気で愛したのはこの人なんだ。この人と一緒になるべきだったのだ」と思い込むこともある。
「結婚なんて誰としても一緒。うまくやれる人と結婚して、恋は別にすればいいのよ」と悟りきったように言う男女も少なくはない。
「とはいえ……ですよ」

寺元仁史さん(49歳・仮名=以下同)は沈んだ声でそう言った。7年前から、彼と彼の家庭は崖っぷちでかろうじて立っているような状態だ。
「これも運命なのかなと最近は思っています」
力なくそう言うのだが、話を聞いてみれば彼が引き寄せた状況でもある。
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同じ会社の美雪さんと結婚
仁史さんが結婚したのは31歳のとき。相手は同じ会社の3歳年下の美雪さんだ。北国生まれの色白の彼女と同じ部署になった瞬間、仁史さんの胸は高鳴った。以前からほのかな気持ちを抱いていたのだが、社内恋愛には積極的になれなかったから遠くから見ているだけだった。だが同じ部署になって人間性を知る機会が多くなった。
「彼女の顔も声も好きだった。人間的にもすばらしい人でした。それほどキャリア志向ではなかったけど、関わった仕事は素早く、そして完璧に仕上げてくる。誰に対しても公平だし、何があっても感情的にならず、まずじっくり考える。こういう人と家庭をもちたい。そう思いました」
彼女を食事に誘うと応じてくれた。脈ありと考え、デザートを食べながらプロポーズした。そんなことになるとは思っていなかった彼女は驚いた様子だったが、「結婚を前提におつきあいということなら」と了解してくれたのだ。彼女のほうも彼を憎からず思っていたのだろう。
「そこから結婚は一気に進み、半年後には結婚していました。彼女は『私は出世したいわけではないけど、仕事は続けていきたい』と言った。僕は共働き家庭で育っていたし、僕らの勤務先は大企業ではないから、ふたりで仕事をしていれば子どもができたときも経済的にはありがたい。とにかく何でも公平に、一緒にがんばっていこうと誓い合いました」
子どもに恵まれ…
楽しい新婚生活だった。結婚したことで部署は別になったが、時間が合えば一緒に帰った。美雪さんは、値は張らないもののおいしい店を探すのが得意だったから、ふたりでよく外食もした。ふたりとも子どもを望んだが、2年たってもできない。
「だからといって医者に行くのも気が進まなくて。どうしたものかと思っていたら、ある日、一緒に帰ろうと電話してきた美雪が満面の笑みをたたえて、会社の前で待っていたんですよ。『ついに!』と彼女が言ったので『まさか』と僕が答えて……。彼女がお腹を押さえたので、僕はその場で涙目になってしまいました」
34歳で父親になった。ふたりは仕事をやりくりしながら、ひとり息子を大事に育てていこうと決めた。なぜか二人目は授からないような気がしていたのだという。ところが美雪さんは1年後に再び妊娠、2歳違いで娘が産まれた。これ以上の幸せはなかったと仁史さんは過去を思い出したのか柔らかい表情になった。
「忙しかったですけどね、共働きでふたりの子を育てていくのは。でも僕らはふたりとも会社での出世は特に望んでいなかった。家族で楽しく暮らせればいい。それだけでした。だからずっと家族優先で、特に問題もなく生活していたんです」
中古マンションの下見で
だからといってのんびりしてばかりはいられなかった。まじめに仕事をしてきた仁史さんは、本人に出世の意欲があるかどうかは別として、会社からは重宝されていたし期待もされていたのだ。30代になって、彼自身が仕事をおもしろく感じてきたこともあった。
「仕事も多忙で家庭も多忙。でもそんな生活も楽しんでいました。美雪は相変わらずマイペースで仕事をしていたけど、年齢に応じて徐々に責任は重くなっていったようです」
息子が小学校に入るのを機に、ふたりは家を買おうと相談した。あちこち見て歩き、自分たちに見合う中古マンションが見つかった。中古とはいえ頑丈な造りだったし、内装を変えれば「自分たちの城」になると、仁史さんは前のめりになった。
「もう決めてはいたけど、どうしても内装の件で確認したいことがあって、僕がひとりで不動産屋さんと待ち合わせして見にいったんです。そのとき、もう一軒、急に空き部屋が出たと聞いて、ついでだからちょっとそこも見せてということになった。でも先約がいたので、廊下で待っていたら、中から出てきたのが……」
仁史さんは急に言葉を切り、少し間を開けて「真未だったんです」とつぶやいた。
真未さんは独身時代の彼の恋人で、3年つきあったのだという。
死に物狂いで愛した女性
「元カノに会うなんて、まあ、稀にはある話ですよね。だけど、僕と真未とは元カノなんて気軽に言えるような関係ではなかった。死に物狂いで愛した女性だったんです。彼女のためなら本気で死んでもいいと思っていた」
真未さんとの出会いは大学2年のころだった。同じクラスで、選択している講義も似通っていたが、彼女はいつも暗い表情でひとり歩いていた。仁史さんは彼女の存在が気になってたまらなかった。明るい顔が行き交うキャンパスで、黒ずくめの服を着て俯き加減の彼女は異質な存在だったからだ。
「あるとき、彼女の隣に座って、『僕ら、ほとんど選択している講義が同じなんじゃない?』と聞いてみたんです。すると彼女はじっと僕を見て『何か用?』と。用がないと話しかけちゃいけないの、ここは大学だよと笑ったんですが、彼女は乗ってこない。これから講義が始まるというのに『私なんかと関わらないほうがいいわよ』と立ち上がって出て行ってしまったんです。あっけにとられました」
近くにいたクラスメイトが、「変わってるのよ、彼女」と言った。聞いてみると、いろいろな噂があるらしい。親が反社だとか、彼女自身がとんでもない不良だったとか、はたまた有名な芸術家の愛人だとか。根も葉もない噂かもしれないが、どれも彼女の雰囲気を考えると当たらずとも遠からずという気がした。それ以降、彼はますます彼女が気になった。
「しばらくたってまた会ったとき、『久しぶり』と声をかけたら、彼女は黙ってうなずいたんです。前より対応が進化してるねと言ったら、ほんのちょっと口角を上げて笑ったっぽかった。『どうしてもあなたのことが気になって眠れないんだ。お茶してくれない?』と言ったら、彼女はまた黙ってうなずいた。講義が終わると彼女は、僕を目で呼んで、大学の前からタクシーに乗ったんですよ。僕は田舎育ちで大学生になって初めて東京に出てきて、都内でタクシーなんて乗ったことないからびっくりしました」
「おめでたい男ね」
彼女が連れていったのは、隠れ家のような瀟洒なマンションの一部屋だった。どういう育ちをするとこういうところに住めるのかと尋ねると「みんなの噂の通りよ」と彼女は他人事のように言った。
「自分を嘲笑うような口調なんですよ、彼女はいつも。それが気になって。どんな噂があってもいいよ、僕はあなたが好きなんだと言ったら、『おめでたい男ね』とまた小馬鹿にしたような言い方をされました」
その日は彼女の好きな文学などについて、ぽつりぽつりと話してくれた。仁史さんは、毎日彼女に連絡をとった。反応がない日もあったが、それでもあきらめずに毎日連絡をとり、いいと言われれば会いに行った。彼女は徐々に心を開くようになった。
真未さんが抱えていた傷
「丸2年、かかりましたね。彼女があるとき、『私は母の恋人の愛人なの』って。なんだそれと思いましたが、妙な反応をしてはいけないと自分を抑え込みました。僕が驚いていないと思ったんでしょう、彼女は僕の顔を見ながら『母は、妻子ある人とつきあっているんだけど、そいつが私を好きなようにしたのよ。高校生のころにね』って。彼女の母親は、もともと『男を見る目がないくせに男好き』だそう。そんな母親の恋人が、娘を襲ったわけです。痛ましい話なんだけど、真未自身、母親への復讐もかねて、その恋人を利用している。彼から金を引き出して、あんないい部屋で暮らして、お金だけはたっぷりもらっていたらしい。『幻滅したでしょ。これが私の真実』と彼女は言いました。言いながら目が濡れていた。気づいたら僕も涙を流していました」
なんであなたが泣くのよと言いながら、真未さんは泣き出した。泣くことを自分に許したような激しい泣き方だったから、それにつられて仁史さんも号泣した。
それからふたりは初めて男女の関係になり、「絶対に離れない」と約束した。
***
マンションの下見が招いた再会は、仁史さんの平穏な暮らしを大きく揺らすことになる。記事後編では、17年ぶりに向き合ったふたりが、再び抜け出せない関係に落ちていく姿を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
