2021年夏の東京五輪、22年末のカタールW杯での落選を乗り越え、日本代表DF菅原由勢(ブレーメン)が初のW杯メンバー入りを果たした。第2次森保ジャパン発足後も当初は主力の座を射止めたものの、アジア杯敗退後のシステム変更で序列を落とし、苦難の末に掴んだ夢舞台への切符。合宿初日の25日、報道陣の取材に応じた菅原は「しっかり準備したい」と静かに決意を語った。

 名古屋グランパスアカデミー出身の菅原は中学時代から世代別日本代表の主軸を担ってきた25歳。高い身体能力と右足のキックに加えて、生真面目で明るいパーソナリティーで各世代の指導者から絶大な信頼を勝ち取ると、2017年のU-17W杯、19年のU-20W杯で世界舞台を経験し、そのままA代表にまで駆け上がっていく存在となった。

 ところがオランダで活躍し始めた矢先にコロナ禍で代表活動が止まる不運もあり、20年10月のA代表デビュー後は苦しんだ。21年夏の東京五輪では直前合宿にも招集されながら無念の落選。22年末のカタールW杯も半年前の6月シリーズに選出されたが、負傷の影響もあって本大会は選外に終わり、今回の北中米W杯がいわば“3度目の正直”だった。

 そうした中で迎えた緊張のW杯メンバー発表。菅原によると、発表開始時刻の15日午後2時はドイツ時間で早朝だったこともあり、妻子に促される形で行方を見届けていたのだという。

「練習もあったし、朝ごはんをいつも8時半くらいに食べるのでその時間に合わせて起きようかなと思っていたら、奥さんと子どもが部屋に入ってきて『もう始まるから起きて見たほうがいい』って言われて(笑)。起きて見ましたね」

「前日とかは思ったよりリラックスできているなという感じだったけど、名前が呼ばれ始めると『ドゥクドゥク』(※心臓が動くジェスチャー)ってしますよね(笑)。なんかおかしい、みたいな(笑)。でもこの4年間だけじゃなく、その前から自分がW杯のためにやってきたこと、自分が成長するためにやってきたことを振り返った上で、名前が呼ばれた時は嬉しかったです」

 その時の喜びの様子を報道陣から聞かれると「これ言ったら見出しにするでしょ?(笑)」とジョークでかわしつつも、「僕一人だけじゃ成し遂げられなかったことだし、奥さんも子どもも、両親もそうだし、トレーナーもそう、シェフもそう。いろんな人が関わってくれて達成できたのでその人たちと喜びを共有しました」と周囲への感謝の思いを込めながら当時を振り返った。

 ここまで決して平坦な道のりではなかった。しかし、その苦しい日々もいまの菅原をつくる糧となった。

「東京五輪から始まって、カタールからいろいろ考えさせられて、そこから最終予選が始まった中で自分の立ち位置も考えながら。簡単じゃなかったけど、簡単じゃないからこそ、毎日考えて、取り組み方を見つめ直したし、どう日々の生活を変えていくかというところで、思考を停止せずにここまでやってこられた」

 北中米W杯はそんな苦しい日々が報われる格好の舞台。「まずはここに来られたことに喜びはあるし、誇りもあるし、でもここからだと思う。しっかり準備したいと思います」と静かに決意を込めた。

(取材・文 竹内達也)