神谷宗幣代表

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 三島由紀夫は1969年5月13日、東大全共闘の招待に応じて一触即発の雰囲気の中、学生たちと天皇制などのテーマで討議を行った。あの「伝説の討論会」から57年後、東大の学園祭「五月祭」が中止に追い込まれる異例の事態に。いったい、何があったのか。

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「殺してやる」

 ことの発端は政治系サークル「右合(うごう)の衆」が「五月祭」で催す講演会に、参政党神谷宗幣代表(48)を招いたことだった。同サークルは11日、神谷代表が学園祭初日の16日正午から3時間、東大本郷キャンパスで講演会を行うと告知していた。

 取材に当たったジャーナリストの藤倉善郎氏が言う。

神谷宗幣代表

「右合の衆が神谷代表の講演会を告知すると、その日のうちにXに『差別とデマのない五月祭を』というアカウントが立ち上がり、反対の論陣を張りました。SNSを中心に賛否が渦巻く中、16日を迎えることになったのです」

「差別とデマのない五月祭を」のメンバーの一人で、同大大学院修士2年生の学生が語る。

「神谷代表が五月祭で講演するという情報を聞き、友人たちに声をかけました。彼は差別的な発言やデマ情報を流し、政治家としてその責任を取らない人物です。もちろん、表現の自由は尊重されるべきです。しかし同時に、差別や偽情報を繰り返し発信する人物が東大という場で講演することは差別を助長し、学内の知的安全性を損なう恐れがあると考えました」

 彼らは全体で30人ほど。東大の学生は約20名で、残りはOBや他大学の学生だという。

 学部3年生の別のメンバーが言う。

「当日は、朝8時半に本郷キャンパスの法文1号館へ向かいました。その2階が講演会場となっていて、そこへ通じる二つの階段で座り込みを決行しました。目的は神谷代表を足止めして、本人に直接、(差別的な言動を行わないなどの)誓約書に署名を求めることでした。その後、2階に上がろうとする参政党関係者と出くわし、膠着(こうちゃく)状態に。友人はスキンヘッドの男性から“殺してやる”と言われました。憤りを感じています」

政治や社会を考えるきっかけ

 最終的に講演会は思わぬ理由で中止に至った。

「16日午前10時半にわれわれ宛てにメールで大学の爆破予告がありました。文面には神谷代表を“ナイフで確実に殺す”とも。常任委員会にも同じ脅迫メールが届き、委員会と大学側の協議の結果、学園祭の中止が決まりました」

 とは、現在、教養学部理科二類2年生で右合の衆代表の山田泰氏だ。

「昨年5月に日本を守り保ちたいという考えから、私が一人で団体を結成しました。メンバーは学部生と院生を合わせて25名です。神谷代表を呼んだのは、立場を超えて、政治や社会を考えるきっかけをつくりたかったから。学内では共産党関係者の講演会などは頻繁にあります。左寄りの発言機会ばかり多く、政治的バランスが偏っています。保守や右派といわれる論者も呼んでバランスを取りたかったのです」(同)

 続けて言うには、

「反対の声が上がることは想定内でした。しかし、爆破予告といった犯罪行為による妨害までは対応し切れなくて……」

 学園祭は2日目、来場者らの手荷物検査を実施の上、開催されたものの、討議の場は第三者によって奪われた。

 学内の対立だけがさらに深まる結果になってしまったようだ。

「週刊新潮」2026年5月28日号 掲載