にしおかすみこ、ダウン症の姉の去年の誕生日と今年の誕生日で大きく異なっていたこと
2012年に上映されて日本でも大ヒット、2020年には宮本亞門さん演出、東山敬之さん主演で舞台かもされた映画『チョコレートドーナツ』。これはゲイのカップルが育児放棄されたダウン症のある少年・マルコと出会い、本当の愛を知っていく物語。この中で、誕生日のケーキを前に、マルコが満面の笑みを見せるシーンがある。誕生日を誰かが祝ってくれること、ろうそくをフーッとするスペシャル感。その瞬間がこの笑顔を作るのだろうなと感じるシーンだ。
認知症の母、ダウン症の姉、酔っぱらいの父との暮らしをつづってきたにしおかすみこさん連載「ポンコツ一家」でも、書籍『ポンコツ一家』『ポンコツ一家2年目』でも、3月にはダウン症の姉の、11月には認知症の母とにしおかさんの誕生日を祝うシーンが登場する。
にしおかさんもあの手この手で喜ばせようとしているのだが、ごちそうにしようと料亭を予約してもひと騒動だったりするのだ。
2025年11月に母親は突然天国に旅立ったが、1年前のことを中心につづっている連載「ポンコツ一家」56回は、姉の52歳の誕生日のことをお伝えしている。にしおかさんは姉の好きないちごがたくさんのったケーキを用意してろうそくに火をつけたが、どうやらうまく吹き消すことができないようでえずいてしまった。果たして――。
一度火を消して…
私は、ケーキにロウが垂れそうなので、一度火を消し、「ごめん、ごめん。吐く? 平気? 一回、鼻かもうか」とティッシュをとり、姉の鼻にあてる。ブン、ブン、と左右の鼻息が交互に私の手に当たる。多少スッキリしたように見えたので、「大丈夫? いけそう?」と聞くと、
か細い声で「すみちゃん、おねえちゃんね、もうダメかもしれない」と、急に瀕死の重傷を装う。
「え〜? なんでそんな弱気なの。なんでそんな死にそうな声で言うの〜」と返したら、
「つぎ……しんだらごめんね」
あははははは、と私なのか母なのか、笑いが止まらない。
それなのに母が「ひどいね、すみちゃん、煽るだけ煽ってねえ。お姉ちゃん、ろうそく消さなくてもケーキは食べれるよ。もういいでしょ」と。
どうしたいのか…
姉が涙を袖で拭きながら、恨めしそうな顔で私を見る。どうしたいのだろう?
「どっちでもいいけど、もう一度、チャレンジしてみる?」と聞いてみる。
すると、ゴクリと生唾を飲み込み、深めに頷いてみせ、「ラストね。すみちゃん、さいしょからおねがい」。……最初?
母が「フハハハハハ」と、もう我慢ができないとばかりに、魔王のような声で笑う。そして涙声で、「ハッピバースデーの歌からやって、って言ってるのよ。それがまたプレッシャーで、ウエッてなって、一生終わらないわよ、これ」。……まじか。
私は絶対に笑わないと心に誓う。そうでないと終わらない。再びロウソクに火をつけ、なるべくさりげなく、でもどうやって? と思いながら、「ハッピバースデートゥーユ〜」を歌い直したら、音程まで平らになってしまった。……私は私で、不器用だ。
そして、静まり返る中、姉は何度もえずきそうになりながらも、何とか自ら押し込める。見ようによっては大あくびを連打しているようにも見える。
その横で母は、姉を眼球いっぱいに捉えたり、目を瞑って笑いを堪えたりを繰り返している。
やがて姉は、自分のタイミングで、フー、フーっと2回に分けて火を消した。
やっと出た満足気な顔に、拍手と笑いを送った。
33歳、いや52歳おめでとう。
生まれてすぐ死んじゃうと言われていたんでしょ。半世紀超えてるよ。
母はどんな気持ちだったのかなあ。
2026年の桜
2026年3月、現在。
一週間ほど前に花屋で買った桜の枝は、もう花を落とし、若い葉をそっと差し出している。仕舞ってある遺影を出し、その隣に置く。
今日は姉の誕生日だ。
切り分けたイチゴのケーキを供え、姉妹ふたりで手を合わせる。
母よ。さっき、ハッピバースデーをやったんだけど、全然えずかなかったよ。それと、今年は32歳だって。ひとつ若返っているよ。
横で、姉が長々と目を瞑り、何かブツブツ言っている。頃合いを見て、「ママと何、話してるの?」と聞いてみた。
すると、「いまねえ、ママに言われたの。ケーキたべたあと、ふたりでカラオケしなさいって。これホントだよ!」
「え? ママが? ホントに?……それって部屋で歌いたいってこと? カラオケボックスに行きたいってこと?」と、思わず聞き返す。
「うん! す、すみちゃんの、へやで! ホントのホントだよ!」
ここ一番のピュア顔を発揮する。……ええ……マジか。どちらにしてもクソめんどくせぇな……。私の心のガラはだいたい悪い。
遺影がフフフと笑っているように見える。……もう。
選曲は…
仕方ない。少し奮発した夕ご飯とケーキを食べ終えてから、
「オッケー。じゃあ何、歌いたい?」と聞いてみる。
「セーラームーン」
懐かしい。と言っても、私は世代でもなんでもない。
とりあえずテレビをつけ、YouTubeで歌手本人が歌っていて、且つ歌詞付きの動画を検索する。カラオケの伴奏だけより、そのほうが姉は意気揚々と歌える。
あった。『美少女戦士セーラームーンシリーズの初代』。
画面の前にふたりであぐらをかいて座る。
私は「じゃあ、いくよ、はい、どうぞ」とリモコンを押す。イントロがかかる。
さあ、いよいよ歌い出しだ。
姉はヒュっと息を吸って、「うえええ」とえづいた。……なんでぇぇ……。ねえ、お笑い用語の『天丼』を知ってのことですか? と聞きたくなる。いやそういうことじゃない。
私は慌てて「何何何? 大丈夫?」と、顔を寄せる。
無事に歌える?
♬ゴメンね 素直じゃなくて 夢の中ならいえるーーと、音楽だけが、何も知らない顔で先に進んでいく中、姉はパッと頭を上げ、涙の滲んだ目でつぶやいた。
「どうしよう まにあわなかった」
その必死な愛おしい者に対し、私はものすごく笑い出したいのをヒクヒクと堪えながら、リモコンの停止を押し、
「大丈夫、大丈夫。何回でもできるから。まず、気持ちを整えようね」と、一度、ティッシュで口を拭い、鼻をかませる。
そして私は遺影に目を向け、おい、こんなときどうするのか。ヒントちょうだいよと心でぼやく。
すると、姉もそちらを向き、何やら納得顔で、「あ〜、わかったぁ! ママが言ってるよ。ジュースをのんで、おちついたら、すみちゃんとうたうのよ〜、って。あ〜、そうすればいいのかぁ!」。
おまえさんは、イタコなのですか。
……え〜〜〜。もぉぉ、別にいいけども。私は冷蔵庫からオレンジジュースを出し、コップに注ぎ、姉に飲ませながら、「じゃあ、すみちゃんも一緒に歌っていい?」と聞く。
姉が「うん。つ、ついてきて」。……どの口と、どの面が言ってるのだ。
天才?
再び、リモコンを押す。イントロがかかる。さあ、歌い出しだ。
私は、画面下の歌詞を見ながら、「♬ゴメンね 素直じゃなくて」と歌手の声に合わせたら、姉が、聞いたことのない音量でかぶせてきた。え?
じゃあ、ひとりで歌えるのかなと、私がやめると、姉は弱々しいハミングになる。
また私が歌うと、それをかき消すような歌声を披露する。
スナックで酔っ払い客に絡まれたような気になる。そんな経験したことないけれど。
プロの歌手の声がかき消され、姉の声がガイドラインになるので、ふたりして突拍子もなく外れていく。ああ。モンスターデュオ姉妹。
途中、英語の歌詞が出てくる。
♬今すぐ 会いたいよ
泣きたくなるような moonlight
電話も出来ない midnight
そこだけ姉が「むぅうんうらぁい、ミィ、ウライ」と妙な巻き舌で鼻持ちならない。
最後はひとり立ちあがって、
「♬同じ地球(くに)に 生まれたの ミラクルロマンス
信じているの ミラクルロマンス」
熱唱しながら、腰から顔へウェーブしようとしているのだろうか。途中でカクカクして……バグったアバターみたいだ。最後は両手でハートをつくって胸におさめる決めポーズで終わった。
本当に同じ地球に生まれたのだろうか。ミラクルだね。まだこんなに元気に踊れるんだねえ。
私は腹がちぎれるほど笑った。
後ろの遺影が「ひどいねえ。すみちゃん、人の一生懸命を、ねえ。ウフフフ、ウフフフフ」とでも言っているかのように見えた。
そこからは、『ドラゴンボール』やら『だんご3兄弟』やら、姉のリクエストを片っ端から一緒に制覇した。
ひらがなと、わずかな片仮名しか読めないはずなのに、歌いあげるんだよなあ。
母よ、見てる? 我が家の天才は健在だよ。まだ連れて行かないで。
まだ私たちはいっぱい楽しめると思う。
【次回は5月20日(水)公開予定です】
