この記事をまとめると

■タクシーを運転するには二種免許を取得しなければいけない

■最近はタクシー運転士の質が落ちているといわれている

■実力は不要でアプリなどで楽に稼げるようになったことが質が低下した背景にある

タクシー運転士の質が落ちている

 この前東京都内(23区内)で知人の運転しているクルマに乗っていると、その知人が「最近のタクシーは運転が下手になった」とボヤきながら運転していた。お客の乗降のために路上で停車しても十分道端に寄せることなく道路の真ん中で停まっていたり、片側2車線以上ある大通りで中央寄り車線を空車で走っていたタクシーが、歩道で手を挙げて乗車する意思を示している人を見つけいきなり左側車線にかぶってくるなど、確かに危ないなあと感じる運転を目にすることが多くなった。

 かつて昭和の時代は、タクシーは道を走るクルマの親分的存在であった。タクシーを怒らせるな、そんなようなこともいわれていたのは、当時も決して行儀のよい運転とはいえなかったものの、プロ運転士として周囲の状況を把握したうえでの振る舞い(できるだけ迷惑をかけない配慮はしていた)に見えていたからだ。しかし、いまのタクシーの危険だと思われる運転は、周囲をあまり気にしていないように見える点で大きく異なっている。

 それはなぜかといえば、二種免許ドライバーとしての自覚や技量が希薄になっているのではないかと感じている。一種免許と二種免許では、基本的な運転操作に大きな違いはない。なにが変わるかといえば、危険予測範囲を一種免許のときより広げたり、乗客を意識した運転を心がけたりする点が大きく異なるのである。

 たとえば東京など大都市でのタクシーは流し営業(街を走って、歩道などで手を挙げた人を乗せるスタイル)が基本となるのだが、そうなるとまっすぐ走っていても視線を歩道側、つまり進行方向の左側へ常時向ける、ややわき見(オフセット)運転をしているともいえる。それでも安全・安心な運転をするためには、危険予測範囲を拡大する必要が出てくるのである。

 またタクシーは空車の場合、中央車線を走ってはいけないと過去には指導されていたとも聞いている。流し営業がメインのエリアではなくとも、歩道などで手を挙げてくる人を想定するのは、職業上当たり前だ。中央側車線を走っていれば、手を挙げているのを見ても素通りしてしまうか、急に左にハンドルを切り事故を起こす危険性があるからである。

二種免許をもつことへのプライドが欠如している

 いまどきは一種免許しかないなか、養成乗務員としてタクシー会社に入り、会社負担で二種免許を取得してひとり立ちするパターンがメインとなっている(教習期間中は日当が出たりする)。多くはタクシー会社が経営や資本参加している教習所へ入所することになるのだが、短期間で二種免許を取得させて運転士としてデビューしてもらうことを主目的としている。実地試験免除の教習所の場合、7日間でほぼ誰でも二種免許を取得させて卒業させるとも聞いているので、「二種免許取得者の運転とは?」という本質だけではなく、一種との違いがよくわからないまま、運転士としてデビューしてしまっているケースも多いように見受けられる。

 そういったお気楽な考えのまま業務についてしまっているせいか、運転士お気に入りの香水や車内芳香剤の匂いが充満しているタクシーも多く見受けられ、まさにマイカー感覚で運転しているように見えてならない(人によって香りの好みが分かれるので、香水や芳香剤はNGというのがタクシーの大原則だ)。

 また地域にもよるのだが、都市部ではスマホアプリ配車をメインとした営業スタイルが定着して久しい。個人のセンスやキャリアを積んできたなかでのプロの勘などに関係なく、アプリの指示どおりに動けば、経験年次が浅くても結構稼ぐことができるのが現状となっている。働き手がなかなか集まらないのだから敷居を下げるしかないというのは理解できなくもないが、それによりプロ意識というものが希薄となり、営業スタイルも革命的に変わってしまっている。もはやタクシー運転士という仕事は、プロドライバーの仕事とも呼べなくなっているのではないかと考えている。

 プロという自負があるからこそ、これまでは安全・安心に乗客を送り届けるという使命感も芽生えていたように思える。今後は安全運行を進めるうえでどこに拠り所を求めるのか、心配になってしまった。将来的には無人運転タクシーになるのだから構わない、ということなのだろうか。