「私の土地は戻るのか」原発事故から15年、東京ドーム11杯分の除染土の行方は…“県外で最終処分”期限に向け高市総理の新たな約束と地権者の危機感

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から15年。福島第一原発を囲うように大熊町・双葉町に整備された中間貯蔵施設には、東京ドーム11杯分に相当する除染土壌が一時保管されている。2045年3月までに福島県外で最終処分することが法律に定められているが、2026年3月現在も、最終処分場の候補地すら決まっていない。
【映像】大量の除染土が積み上げられた不気味な光景(当時の様子)
政府は最終処分する量を減らすため“除染土の再生利用”を進める計画だが、新宿御苑や埼玉県所沢市などで計画された実証事業は頓挫している。総理官邸や中央省庁で再生利用は始まったが、国民の理解は広がっていないのが現状だ。
刻一刻と約束の日が迫る中、高市早苗総理が福島に新たな約束をした。除染土の行方は…中間貯蔵施設のために自分の土地を提供した地権者は危機感を募らせている。
■中間貯蔵施設を受け入れた地権者の思い

福島県内の至るところに保管されていた黒い袋。原発事故に伴う除染作業で取り除かれた放射性物質を含む土などが大量に発生した。
2013年12月。石原伸晃環境大臣(当時)らが福島県を訪れ、中間貯蔵施設の受け入れを要請した。「中間貯蔵施設の設置。行き場がない汚染土壌等を安全に集中的に管理・保管する中間貯蔵施設の整備。これは必要不可欠ではないかと考えております」「お受け願いますよう、お願い申し上げます」。
双葉町の伊沢史朗町長は「大熊町と双葉町は苦渋の判断という言い方で報道されているが、そんなものではなく、大変な思いをして判断している」と話す。
福島第一原発を囲うように整備された中間貯蔵施設。この場所に、福島県内のほとんどの市町村に保管されていた除染土壌が集められた。除染で出た土などは、運び込まれた日から30年以内に福島県外で最終処分することが法律で定められている。
「(中間貯蔵施設の保管場に)一番最初に仮置きしたのが工場の広場だった」そう話すのは、原発事故の前までこの場所で運送会社を営んでいた、大熊町の根本友子さん。中間貯蔵施設を整備するために会社の土地のほか、家族の思い出が詰まった自宅や先祖から受け継いだ農地を手放した。
根本さんは「搬入する様子をテレビでよく映していた。あれを見るのがちょっと辛かった。決まっていることだったので分かってはいるんですけど、また来ていると思って。あの頃は辛かった」と振り返る。
自分の土地で農業はできないが、町の農業委員会の会長として、別の田んぼでコメ作りに励んでいる。「(自分の土地は)中間貯蔵施設のエリアになってしまった。全部手作業の時代はこういう感じだったけども。除染された土が入れられていくので、そういうのを見ると、もうダメなんだなってそこで諦めたというか」(根本さん、以下同)
会社と自宅があった土地は国に売ったが、農地の一部は売らずに貸した。「どうしても農地にこだわった。先祖代々ずっと受け継がれてきた。皆さんこだわっているのは農地だと思う。自分の気持ちを自分の生まれたところにつなげておきたい、それができるのかなと思った」。
土地を売らずに貸している契約件数は、全体の1割にも達していない。面積に換算すると、全体の8割ほどで契約が済んでいて、貸している土地は15パーセントほどにとどまっている。
大熊町の赤井俊治さんは、自宅があった土地を売らずに国に貸している。赤井さんは「売った人もだいぶいるでしょうけど、国の土地だから置いていいだろうとされると、いつまでも置くようになる。国の土地だから何も言う必要はないだろうと。それが怖い」と語る。
毎月、立ち入りの許可を得てこの場所を訪れている。自宅の跡地に建てた石碑の周りを手入れするためだ。「この土地が契約通りにちゃんとして返ってきてほしいという意味も込めているので」(赤井さん、以下同)
石碑に刻まれた日付は、国が赤井さんの土地を返す期限の日だ。「やっと手に入れた土地、借金して造った家も手放さなくてはならないのはずっと心残りだった」。
「売る考えはなかったのか」と問われると、「土地がそこしかなかったものですから。私としては売るのは到底考えられなかった」と答えた。
原発事故が起きる前は、大熊町の自宅に家族5人で暮らしていた。「そこの土地に帰れないのが一番ショックだった。住み慣れた土地を離れなくてはならないのが。国で約束した30年以内に県外に搬出するのが本当に実現されるのか」と胸の内を明かす。
環境省の調査によると、30年以内に福島県外で最終処分されることが法律に定められていると知っている人は、県内で5割、県外では2割ほどだった。
■進まない「再生利用」と2つの基準

2025年8月、除染で出た土などの福島県外での最終処分や再生利用について理解を深めてもらうための見学会が実施された。これまでに約5万人が中間貯蔵施設の見学に訪れていて、この日は県内のほか、関東や関西などから20人ほどが参加した。
「古墳みたいな形をした山が土壌貯蔵施設。除染で出た土が積まれた山」「土を全て県外に運んでいかなければいけない。あまりにも量が多すぎるということで、再利用できる低線量な土、例えば道路や田んぼ・畑・農業資材で使えないか検討を進めている」(担当者の説明、以下同)
一時保管されている土壌のうち、4分の3は1キロ当たり8000ベクレル以下で、政府はその土を再生利用することで最終処分する量を減らす計画だ。
「(年間で)1ミリシーベルトを被ばくしない値として、1キロ当たり8000ベクレルを下回る土」
環境省によると、1キロ当たり8000ベクレル以下の土であれば、再生利用のために現場で作業する人の1年間の追加被ばく線量が、国際的な基準である1ミリシーベルトを超えない。
東京からの参加者(20代)は「来ないと分からなかったことや実際に来たから分かること、感じたことがあるので来たことに意味はあると思う」と話した。
東京から参加した人の中には原発事故が起きたあと、ボランティアとしてたびたび福島県を訪れていた人もいた。除染で出た土がどのように保管されているのか、少しでも知りたいと思い、中間貯蔵施設を訪れた。
「安全だから安心できるかなと言われると、必ずしも安心できるというわけじゃないと思った」(東京からの参加者 20代)
「新宿御苑・所沢・つくばの環境省の土地に持っていく計画があったが、中止になっている」(担当者の説明)
2022年12月、新宿では、「放射能汚染土 持ち込みヤメテー」と書かれたプラカードを持った人々がデモに参加していた。「いまだに終息もままならない、そんな福島にあるものをですね、税金で集めさらには税金でこっちに持ってくるというのはどうなんですか」。
環境省が管轄する新宿御苑では、敷地の中にある関係者しか立ち入れない場所で再生利用の実証事業を行う計画だった。東京・新宿区に住む平井玄さんは「国際的な観光地だから、ここに持ってくれば『安全ですよ』って宣伝になるという意図が見えちゃって。それはおかしいと思う」と指摘する。
環境省が開いた説明会は、呼び掛けが足りなかったのか、ごくわずかな人しか参加していなかった。反対する住民の中には、再び説明会を開くよう求めた人もいたが、その後、計画自体が頓挫している。
平井さんは「福島に(除染土壌を)ずっと置いておくのは不当だと思う。何とかしたいし、受け入れをやりたいけど、そこをきちんと説明してくれない。(新宿御苑で実証事業を)やらないとは絶対に言わない。しかし、やるとも言わない。非常にあいまいなまま2年が過ぎた」と語る。
また、埼玉県所沢市にある環境省の施設でも、花壇に除染で出た土を再生利用する計画だったが、頓挫している。
反対する住民団体は今も定期的に集会を開いている。埼玉・所沢市の住民団体の集会では、「ダブルスタンダードの問題がどうしても引っかかってきて」という声が上がった。指摘しているのは、放射能濃度に関する2つの基準だ。集会では、「100ベクレル以下の基準を原則にすべき」という意見が出た。
環境省によると、「廃棄物を安全に再利用できる基準」が、1キロ当たり100ベクレルで、「廃棄物を安全に処理するための基準」が、1キロ当たり8000ベクレルとされている。
集会後のインタビューでは、「突然8000ベクレル以下だったら安全と言ってきている。もともとの1キロ当たり100ベクレルを守ってやるようにしないと、人為的な放射性物質がどこでどう拡散していくか分からない」「安全に管理することは、環境省自身が言っているわけだから原則通りやって欲しい」と語られた。
環境省の中野哲哉参事官は、「どこに持って行っても自由に流通できるような条件。1キロ当たり100ベクレル以下なら流通は自由。再生利用は1キロ当たり8000ベクレル以下を扱う。環境省が責任を持って管理をするため、前提条件が大きく違っている」と説明する。
■総理官邸での再生利用と地権者との溝

除染土の再生利用は、福島県飯舘村長泥地区の帰還困難区域だった所などで実証事業が行われていて、その取り組みの評価や助言を行うために、国際原子力機関・IAEAが視察している。
2024年9月、IAEAは最終報告書の提出で「除去土壌の再生利用および最終処分に関して、環境省のこれまでの取り組みはIAEA安全基準に合致しています」と述べた。IAEAから最終報告書を受けた半年後、環境省は再生利用する基準を「1キロ当たり8000ベクレル以下」と定めた。
2025年7月、中間貯蔵施設を午前4時に出発した1台のトラック。運ばれた先は総理官邸だ。積まれていたのは、およそ2立方メートル。一時保管されている全体量と比べると、ごくわずかだった。再生利用する土は、飛び散ったり流れ出たりしないように通常の土で覆われて使われる。その後、東京・霞が関の中央省庁でも再生利用が始まった。
赤井さんは「国が安全と言っても、自分のところに来た時に受け入れられるかが一番問題」と話す。
政府は今後、地方にある各省庁の出先機関でも再生利用を進める方針だ。石原宏高環境大臣は「秋までには利用する場所は必ず見つけたい。それに対して全力を尽くしたい」と述べた。
環境省は2025年に初めて、除染土壌の福島県外最終処分や再生利用について理解を深めてもらうパネルディスカッションを開いた。除染土壌の福島県外最終処分や再生利用について厳しい意見も聞かれた。
「助け合いという話を何度もして申し訳ありませんが、もともと冒頭で申し上げた福島の皆様方が…」(中野参事官)
「環境省は環境守れよ」(参加者)
「環境を守った形で利用できるというこれまでの考え方に立つと、国際的な基準を含めてできるのが我々ですし、環境省がしっかり責任を持って処理を進めていきたい」(中野参事官)
また、「除染土は集中管理すべきで、県外最終処分の法律を見直すべき」「県内の復興に再生土を活用する方が税金の無駄遣いを避けられるのではないか」という意見もあった。
■高市総理の新たな約束…除染土の行方は

中間貯蔵施設に除染土壌が運び込まれてから10年以上が経ち、政府は福島県外最終処分と再生利用を進めるためのロードマップを策定した。最終処分場は2030年ごろから調査・選定を始め、2035年を目途に処分場の仕様を具体化するとしたが、詳しいスケジュールなどは示されていない。
赤井さんは「10年で見つけるのはなかなか大変。全面的に国が先頭に立ってやっていかないと」と語る。根本さんは「10年経って初めてこういう…。しかも5年間(のロードマップ)って大丈夫なの?という」と話す。
総理就任の2カ月後に中間貯蔵施設を訪れた高市総理。「法律で決まっていることですから、必ず約束を守れるように。特に復興再生土の活用をしっかりと進めていきたい」と述べ、視察の最後にロードマップについても言及した。「段階的に2030年以降の道筋も示していきたい。これを皆様に新たに約束いたします」。
赤井さんは複雑な思いを抱く。「半分は期待しているが実際には…完全に行き先がはっきりするまでは、信用できるかできないかはまだ分からない」。
高市総理は所信表明演説で決意を述べた。「福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし」。
事故の発生から15年。福島第一原発が立地する町でも少しずつ住民の帰還が進んでいる。
「思いは最初から最後まで一緒。帰れるなら帰りたい。変わることはない」(根本さん)
「名前ばかり良くて『復興再生土』なんて言っているけど、名前だけでなくて、ちゃんと出してもらいたい。そして初めて福島の復興が成し遂げられる。あと20年だから、生きているか死んでいるか分からないけど…。ちゃんとして帰ってくる姿を見たい気持ちはある」(赤井さん)
約束は守られるのか。2045年3月、その時の除染土の行方は──。
(福島放送制作 テレメンタリー『除染土の行方 〜私の土地は戻るのか〜』より)
