※この記事は2021年02月27日にBLOGOSで公開されたものです

「マヤ、頑張ったね!皆さん、彼女に拍手!」。

東京・羽田空港から飛行機を乗り継ぎ、およそ14時間のフライトを経た先にある南東欧の国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(以下、ボスニア)。

その第3の都市、モスタル市のMarina Drzica Buna小学校で5年生の男女計15人がバレーボールを追っていた。

下肢に障害のあるマヤが元気に飛んできたボールを打ち返す。周りの子供たちから拍手と歓声がわいた。マヤが満面の笑みで応える-。

何気ない体育の授業の一風景だが、ここボスニアでは数年前まで、障害のある子供とそうでない子供が一緒に体育の授業に参加するなど考えられなかった。それどころか、運動が苦手な子供はいじめの対象になることも。

そういった教育環境を変えようと"日本式"の教育方式を導入する試みが進んでいる。

日本人にあまり馴染みのないバルカン半島の国ボスニアで、日本の国際協力機構(JICA)が変えた教育の現場を紹介する。

運動が苦手な子も評価する日本の保健体育教育

「日本の教育手法を取り入れてから、子供たちが本当に体育を楽しんでくれるようになりました」

同校のフラニョ・スーチェ先生は笑顔を浮かべる。日本の保健体育教育を紹介するJICAプロジェクトで研修を受けた教員の1人だ。

日本の保健体育教育では、子供の個性を尊重し、運動が苦手な子でも、その子なりの努力を積極的に評価する。

また、周りの子供たちにはクラスメートの努力を応援するよう指導することにより、皆が一緒に体育を楽しめる環境作りが求められている。

一方、オリンピックなどで活躍する優秀なスポーツ選手の育成が中心だったボスニアでは、運動が苦手な子は授業中ほとんど相手にされず、いじめの対象にもなってきた。

障害のある子が他のクラスメートと一緒に体育の授業を受けた例もない。

ボスニアにとって革命的な価値観の変化に

そこでJICAは2016年11月からボスニアで「スポーツ教育を通じた信頼醸成プロジェクト」を開始。日本の教育関係者や保健体育の専門家がボスニアに足を運び、日本式の授業を伝えるなどした。

スーチェ先生は「ボスニアの体育教育にとって、劇的なパラダイム・シフト(価値観の革命的な変化)になりました」と、日本発のカリキュラムを評価する。

だが、この"革命的な変化"は、簡単に起こせたわけではない。

3つの民族が共存するボスニアでは、民族間の対立感情から国際社会の支援が困難になるケースも。各国の教育支援プロジェクトが次々と頓挫したこともあった。

EUから"大卒"認められず 若者流出の危機を抱えたボスニア

1992~95年の間に紛争が起きたボスニアは現在、紛争終結後最大の危機に直面している。

国家の将来を担うティーンエイジャー、さらに医療関係者やエンジニアなどの若い専門職人材の海外流出に歯止めがかからないのである。

報道によると、2010年から2019年までの10年間に約8万2000人がボスニアの市民権を放棄。さらにボスニア市民権を保持したまま海外で生活する人はその8-10倍に上るとみられ、市民権放棄の“予備軍”と見られている。

その原因の一つが、ボスニアの分断された教育システムにあるという。

同国には ボシュニャク=ボスニアのムスリム住民 セルビア人 クロアチア人 の主要3民族が暮らしている。

紛争中、三つ巴の争いを展開した3民族は、それぞれ別々の教育カリキュラムで自民族住民の教育を続けていた。

この標準化されない教育制度に対する海外、特にボスニアが将来加盟を目指す欧州連合(EU)からの評価は低く、ボスニアで高等教育を受けても、EUでは“大卒”扱いされない状況となっている。

そのため、ボスニアの優秀な若者は、周辺国やEU域内の大学に進み、そのままそこで就職する。医者や、看護師、エンジニアたちも国家の将来に不安を抱き、ドイツやオーストリア、スロヴェニア等に流出しているという。

抜本的な教育改革が「喫緊の課題」として叫ばれていた。

各国の支援プロジェクトが頓挫するなかでの挑戦

それぞれの民族が“自民族の教育”に拘るボスニアの状況に、国際社会もまた危機感を抱いていた。

「民族別の教育、特に異なる歴史教育は将来の紛争の火種になりかねない」として、2002年、欧州安全保障協力機構(OSCE)を中心に、バラバラだった教育方法を一つにする「教育統合」を進めることが決まった。

しかし、統合に対する各民族の抵抗は激しく、各国の支援プロジェクトは次々に頓挫する。

こうした状況のもと、JICAは2005年、在ボスニア日本大使館がモスタル高校に供与した生徒用パソコンの活用を試みる。それまで同じ校内にいながら言葉も交わしたことがなかったボシュニャクとクロアチア人の生徒たちを初めて同じ教室に集めてIT課外授業を実施した。

最新のIT機器を使って、一緒にクレイ・ムービーを制作。両民族の子供たちは熱狂した。

なぜ日本の支援が期待以上の成果をあげたのか

これを皮切りにJICAの支援は拡大した。

2016年までにボスニアすべての普通科高校及び普通科課程を持つ総合高校計103校に対し、3民族の教育関係者が協働作業で作り上げた統一カリキュラムを導入することに成功した。

ボスニアで初めて、敵対していた民族を一堂に集め、協働作業でカリキュラムを作成したのだ。

このプロジェクトが当初の期待を遥かに超える成果をあげ得たのは、

①紛争でIT教育が遅れていたボスニアでは、技術先進国日本のIT教育に対する関心が高かった

②政治家は自民族の利益のみを追求して教育統合に反対し続ける一方で、現場の教師は民族を超えて、同業者との交流を進んで受け入れた

ことが大きい。

平等な支援の継続が信頼につながった

2007年に設置された中央政府の「就学前・初等・中等教育庁(APOSO)」はこの成功を受け、JICAプロジェクトと同じ手法を用いて全教科の「共通コア・カリキュラム(CCC)」策定に乗り出す。

それぞれの国や国際NGO等は、得意とする科目の支援を進め、作業は一気に軌道に乗ったが、「保健体育科」を支援する国や組織は最後まで現れなかった。

そこでIT科支援で先鞭をつけたJICAが、今度は保健体育科を支援してCCC策定作業を締めくくることになったのである。

ボスニアで日本の支援が長期にわたって広く受け入れられた背景には、上記の通り、技術先進国であることに加え、紛争終結後、日本が一貫してすべての民族に対して、平等に支援を続けてきたことが大きい。

「日本に任せておけば、特定民族の不利益になるような支援はしないだろう」という信頼関係が醸成されていたのである。

コロナ禍で実施された「保健」の授業

保健体育科の支援プロジェクトでは、まずモスタルを拠点に民族合同のカリキュラム策定ワークショップ開催を支援した。

ここにはボスニア全土から招集された保健体育科の教育関係者が参加。JICAは日本のカリキュラム及び教科書を紹介するとともに、日本から保健体育科の専門家を招聘し、日本ではどのように体育の苦手な子供を評価しているのか、あるいは生徒たちのモチベーションを上げるために、どのような教育手法が有効かなどについて具体的な事例を紹介してもらった。

参加者らは、こうした講義をベースに、“日本式”のカリキュラム案を策定。約半年後、APOSOの承認を受けた後、ボスニア官報に記載され、正式なカリキュラムとなった。

さらにJICAは、ヘルツェゴヴィナ・ネレトヴァ県(モスタルが県の首都)と協力し、完成したカリキュラムをベースに、実際に現場の教師が授業で使用する学習指導要領(CoS)の策定もサポートした。というのも、せっかくCCCが完成しても、新しいカリキュラムに基づく教育方法が分からず、実際には未使用のまま放置されている教科がほとんどだったからである。

この新CoSはモスタルの試験校で実施され、現場の教師たちのコメントを取り入れて改訂を重ねた末、2020年夏に完成している。

ヘルツェゴヴィナ・ネレトヴァ県で新しい学習指導要領が完成して初めての新学年がスタートした2020年9月、モスタルの町でもコロナ禍が深刻化していた。

オンライン授業の実施により、体育実技に関わる新しい教育手法実践は先延ばしになっているものの、これまでボスニアでは行われていなかった「保健」教育が実施。

今回のコロナ禍に際し、「子供たちに、うがいや手洗いを習慣化させるなど衛生意識を高める上で大変有用(モスタル教育関係者)」との声が上がっている。

どう広げるかが今後の課題に

今後は、完成したCCCをいかにボスニア全土に拡大していくかが課題となる。

この国を真に機能する国家に再建するためには必須のプロセスだが、対立を続ける各民族の指導者たちが統合を受け入れる“決意”を必要とする。

新しいカリキュラムが民族を超えて受け入れられ、若者が自国の教育に誇りを取り戻す日が来ることを期待したい。

筆者プロフィール:橋本敬市(はしもと・けいいち)
JICA国際協力専門員。国際公共政策博士(大阪大学)。新聞記者、在オーストリア日本大使館専門調査員、ボスニアの和平合意履行を担う国際機関「上級代表事務所(OHR)」政治顧問を経て現職。バルカン関係の著作に『スレブレニツァ・ジェノサイド 25年目の教訓と課題』(分担執筆、東信堂、2020年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(分担執筆、明石書店、2019年)、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける和平プロセス-国際社会による強権的介入」(『国際問題』、2003年7月)など。