高嶋弘之、プロデュースした都倉俊一氏が“文化庁長官”に「都倉と言ったらエラいことになる」
【写真】92歳に見えない…!歌を披露する高嶋弘之
冒頭のあいさつで高嶋は「去年、昭和100年。昭和歌謡を事務所でちょっと歌ってましたら、事務所の人間が『コンサートやったらどうですか?』と言うんで、調子に乗って2回ほどやった。『CDも出しましょうか!』となって、人の迷惑も顧みずCDを出すことになりました」と経緯を軽快トークで明かして笑わせた。「最初に一言。お客様で笑顔の中もいらっしゃるんですが、心配そうな顔をした方がいらっしゃるので最初に大事なことをお話します。私、東芝レコードを皮切りに長年、レコード業界で働いてまいりまして、下手な歌を聞いて死んだ人はおりませんので。どうぞご安心なってください」と呼びかけて笑いを誘っていた。
都倉俊一氏は第23代文化庁長官を務め、3月末で退任した。1968年にフォーク・グループ「ザ・パニック・メン」でヴォーカリストを務めた都倉氏。高嶋は「(カレッジポップスブームの時代に)『想い出の小径』という隠れたヒットソングがある」と懐かしむ。「東芝の後にキャニオン・レコードに行きました時に山本リンダをやることになりました。『どうにもとまらない』『狙いうち』を都倉さんが書いてくださった」と思い返していた。
そんな都倉氏について、高嶋は「うちの娘のゴルフ仲間が都倉さんのゴルフ仲間だったんです。そしたら都倉さんから『高嶋さんと食事をしたい』という連絡があって。うちの娘と都倉さんの友だちと都倉さんと行きました。心配したのはカレッジポップスの時代は『おい都倉』だった。文化庁長官ですよ。『都倉』と言ったらエラいことになりますから。僕がちょっと早く行ったんです。ちょっと遅れて見えた時に気持ちは『都倉』で、『都倉さん』と言ったんです。あれが、すごくうれしかった」と明かす。3時間にわたった会食。「都倉さんが70%、30%が私、ちさ子は一言か二言、ちさ子の友だちは無言」という会話比率だったという。「娘が言うんです。3時間の中で70%をしゃべられて『都倉さんは1つも自慢話がなかった。それに引き換えて、お父さんは自慢話ばっかりだった』と。僕は言いましたよ。『俺は自慢話しかない』と」と小話も披露して笑わせていた。