【デビュー40周年・南野陽子インタビュー】「ボイトレとか一切やったことない」「怖いもの見たさで始まった40年間」を写真とともに振り返る
6月にデビュー40周年コンサートツアーのファイナルを控える南野陽子さん。「言えることも、言えないこともたくさんあった」と話すナンノが、デビュー当時の思い出とツアーへの思いを明かした。
【写真】『恥ずかしすぎて』のデビューイベントで歌う18歳の南野陽子。ほか、中野サンプラザで行なわれた堀越高校の卒業式での1枚も
水着オーディションは「絶対ムリ!」
──昨年がデビュー40周年でした。改めて芸能生活をふり返ると長かったですか? それともあっという間?
南野:両方かな……。ただ、10代の頃のほうが記憶は鮮明だったりするので、昨日のことのように感じたりはします。
──芸能界は子供の頃からの憧れだったんですか?
南野:まさか。別世界のことだと思っていたし、進学のことは考えても 芸能人だなんて……。「ミスセブンティーン」や「スカウトキャラバン」とかいろいろあったけど、水着で並んでオーディションなんて私絶対ムリ!
──では、なぜそんな世界に入ろうと?
南野:「なってみませんか?」って公開番組の観覧で言われて、ちょっと興味の怖いもの見たさ。それで履歴書を送ってみたら、あれよあれよと話が進んで……。それが高校2年生の1984年の夏。両親は大反対だったけど。
──そのとき「私の人生は私が決める」って説き伏せたんですよね。
南野:そういうのは考えていない子供だからこそ言えた(笑)。夏休みの東京旅行に行く気分。「9月になったら神戸に帰ろっかな」みたいに思ってたのが、CMとかドラマとか話がドンドン決まっていって。
「売れたら責任持たなあかんねんで」
──歌手デビューも決まりました。
南野:1985年6月23日、私の18歳の誕生日に、当時のCBSソニーさんからデビュー。そうこうしたら「学園ドラマが決まったよ」って言われて行ってみたら『スケバン刑事』だったという(笑)。
──最初は学園ドラマって聞いてたんですか?
南野:脚本には「鷹ノ羽学園」と書いてあるし、高校生役だし、鉄仮面を渡されてヨーヨー渡されて言葉もなんだか……(笑)。アクションが憂鬱で「何で道路の上ででんぐり返しすんのよ」って。マットの上でも苦手なのに。
──でも、あのドラマが人気を決定づけました。
南野:そこで上京前に弟が言った「お姉ちゃん、売れたら責任持たなあかんねんで」って言葉が現実となって甦ってくるんです。でも、そんなことを考える余裕もないくらい忙しくなって。
──『はいからさんが通る』は映画も主題歌も大ヒット。『吐息でネット』は今も春の定番ソングです。
南野:本人としては実感が湧かなくて、目の前の仕事をこなすのに精一杯。ファンの子を見て「何でみんなヨーヨー持ってるの? え、売ってるの?」みたいな(笑)。
──1990年代からは女優業に本格的にシフトしていきますね。
南野:ただ、最初から『熱っぽいの!』(フジテレビ系)とか『武田信玄』(NHK大河ドラマ)とか常にお芝居もやらせていただいていたので、シフトしたって感覚はそれほどないんです。でも、歌番組も減っていったりしたので、あのタイミングで本格的に女優業に進んだのは自然なことでしたね。
コンサートツアー成功の秘訣は…
──それでも、2025年はデビュー40周年を記念してコンサートツアーをやりました。
南野:歌で私を知ってくださった方もいるわけですから「周年ってことなら歌いやすい」と思ったのはありました。それに(斉藤)由貴ちゃんや(浅香)唯ちゃん、(中山)美穂ちゃんもやると思っていたし。
──彼女たちも85年デビューですもんね。
南野:それでやることに決めて、40周年は2025年6月からスタート。全国8か所ツアーと追加公演の合計9回やらせていただいたのに、また(笑)。
──ライブ前に特別にトレーニングをやったりとかは?
南野:「風邪をひかないように」とか心がけたりはするけど、これまでボイトレとか一切やったことがなくて。そもそも、誰も私に上手を求めてないから(笑)。
【プロフィール】南野陽子(みなみの・ようこ)/1967年生まれ、兵庫県出身。1985年に『恥ずかしすぎて』で歌手デビュー。主演ドラマ『スケバン刑事II』で人気に火がつき、ナンノの愛称でトップアイドルに。近年は女優としてドラマ、映画、舞台に数多く出演。歌手としても新曲の制作やライブ活動を展開している。
取材・文/細田昌志
撮影/野村誠一(写真集『陽子をひとりじめ』、『記憶×南野陽子 写真集』より)
※週刊ポスト2026年6月5・12日号

