プロのサッカー選手として順調に活躍していた31歳のとき、不慮の事故により突然、右目の視力を失った松本光平さん。左目の視力も0.01以下になりましたが、懸命なリハビリを経て、その後サッカー選手として復帰し、現在もプレイを続けています。努力を惜しまなかった背景には、絶対に叶えたい目標と、同じ境遇だった少年から受け取ったメッセージがありました。

【写真】事故後、手術に向かう松本光平さん。手術後はうつ伏せ生活を経験(7枚目/全19枚)

FIFAクラブワールドカップ出場目前の事故だった

ガンバ大阪時代。2年連続で全国大会優勝。センター前方が松本さん (c)GAMBA OSAKA

── プロのサッカー選手として活躍している31歳のときに、視力に関わる大変な事故にあったそうですね。現在はどれくらい見えているのでしょうか?

松本さん:今は、右目は完全に見えず、左目の視力は0.01以下です。水の中にいるようなぼんやりしたような状態です。

事故が起きたのは2020年の春でした。当時の僕はニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに所属していました。年末にあるFIFAクラブワールドカップに出場するために練習にはげんでいたのですが、コロナ禍で街がロックダウンしてしまい、試合どころではなくなってしまった時期でした。

ニュージーランドは日本よりもロックダウンが厳しくて、練習が思うようにできず、その日は選手寮にあるトレーニングルームで筋トレをしていました。そこにあるトレーニング器具は選手たちが手作りしたものが多かったのですが、僕が器具のチューブを引っ張った瞬間に留め金が外れたんです。すると、留め金が右目にささり、チューブが左目に当たりました。おそらく手作りの器具なので、安全性に欠けていたのでしょう。あまりの痛さにしばらくは動くことができませんでした。

── 突然の出来事だったんですね。

松本さん:病院に連れていってもらって処置をしてもらうと、右目は完全に見えておらず、左目もぼんやりした視力しかありませんでした。医師からは「眼球を摘出しなければいけないかもしれない」と言われたのですが、できることなら義眼にせず、そのまま自分の眼を残したくて。ニュージーランドより医療レベルの高い、日本の病院で診てもらうことにしました。飛行機に乗るには事故で上がってしまった眼圧を下げる必要があり、1週間待って帰国することになりました。

もちろんチームにも報告をしたのですが、最初はニュージーランドでロックダウンを過ごすのが嫌になって日本に逃げると思われたみたいです。なかなか許可がおりず、何度も目の状態を説明してやっと信じてもらえました。

術後2週間は「うつ伏せ生活」体をベットに縛って

長年ニュージーランドのクラブでプレー。事故前の様子 (c)ONE CLIP

── 日本の病院での診断はどうでしたか?

松本さん:網膜の中心にあって視力に影響を与える黄斑部に穴が空いていて、それをふさぐことはできませんでした。ただ、眼球を残せることになり、僕にとってはすごく喜ばしかったです。そこから事故のときに負った外傷や網膜剥離を治すための手術をすることになったのですが、術後がとにかく大変でした。はがれている網膜を眼球に張りつけるために手術では目の中にガスを入れたのですが、それが抜けないようにするためには2週間ほど顔を下に向けておく必要がありました。つまり、ずっとうつ伏せで生活しなければならなかったんです。

コロナ禍でずっと入院させてもらうことが難しかったため、病院の近くのホテルで過ごすことになったのですが、まず心配だったのが寝返り。手術前にもうつ伏せ寝をしてみたのですが、どうしても寝返りをうってしまうんです。その対策としてホテルの方にお願いして、夜はうつ伏せの状態のまま浴衣の帯でベッドにくくりつけてもらっていました。

── 日常生活はどのようにされていたのですか?

松本さん:食事はあるメーカーさんがうつぶせでも食べられる、完全栄養食を提供してくれました。最初はこの食事だけで健康に過ごせるのか不安でしたが、結果的には体の調子もよかったです。お風呂は2週間我慢でしたね(笑)。一度、検査のために病院に行ったのですが、そのときもずっと下を向いて歩いていました。

医師から引退勧告も復帰を確信した少年の言葉

2019年、FIFAクラブワールドカップに日本人唯一の出場を果たす (c)ONE CLIP

── 無事に眼球が固定された後、すぐにサッカーを始められたのでしょうか。

松本さん:2週間のうつ伏せ生活で治療は無事に成功しましたが、視力が回復したわけではないので、医師からは「サッカーなんて2度とできるわけがない」と言われました。

── それは…ショックですね。

松本さん:いえいえ、落ち込む暇なんてないですよ。事故の直後から僕の頭の中は「どうやったら年末のFIFAクラブワールドカップに間に合うか」でいっぱいでした。実際に全盲でスポーツをしている人もいるじゃないですか。たとえ周りから無理だと言われても、体を動かすことに制限がないならばリハビリすればいいと思いました。

そうはいっても左目がぼんやり見えるだけなので、最初は真っ直ぐ歩くことも難しい状態。そのため、まずは歩くリハビリから始めました。朝から夜まで公園でひたすら歩くことを1か月続けて。片目だけだと遠近感が掴みづらく、酔った感覚で気分が悪くなるなど、以前とは感覚がまったく違いましたね。

歩けるようになったら次は走る練習、さらにターンや細かい動き、ボールトレーニング、初心者向けのフットサル教室に参加するなど、年末の試合に間に合うように逆算して練習レベルを上げていきました。どれも最初からうまくはできませんが、徐々に慣れていきました。

僕はある程度ふつうに生活ができるため、パッと見だと目が悪いように見えないようなんです。見えていないことに気づかれることがあまりなくて、フットサル教室では周りからは「素人の初心者が来た」と思われていたみたいです。

── こんなにも大きな怪我をしたにも関わらず、ずっと前向きな気持ちでいられるのがすごいです。

松本さん:もちろん不便なことはたくさんありますよ。車の運転はもうできないですし、細かい文字は読みづらい。目に負担をかけないためにメールやLINEも使いません。左目の視力も調子によって差を感じることがあります。料理は、今では感覚でだいぶできるようになりましたが、最初は野菜の皮をむくのが難しかったのです。

それでも、「絶対にサッカー選手として復帰してやる」という意地というか、自分に負けたくないという気持ちが強くて。サッカーを諦めようと思ったこともなかったし、後ろ向きになったこともなかったですね。

── 前向きな松本さんの姿を見て、応援してくれる人も多かったのではないですか?

松本さん:とても印象に残っているのが事故のことを知った後、友人が僕のことを知ったある子どもからメッセージを預かってきてくれたんです。その子は小学1年生のときに片目に木の枝が刺さって失明しました。サッカー少年だったようでしばらくは片目での生活に苦労も多かったようなのですが、3年かけてリハビリをして今では元気にサッカーをしているそうです。それで僕にも「頑張ってほしい」と。

その話を聞いて、僕も3年かければ絶対に復帰できるという確信を持てました。僕が復帰してプレイすることで、今度は僕が同じような境遇で悩んでいる人たちの希望になれればと思っています。

取材・文:酒井明子 写真:松本光平