「日本一になった瞬間に襲った恐怖感」17歳で世界を驚かせた天才少女が表彰台で「絶望」感じた理由
17歳で世界陸上の舞台に立ち、「天才陸上少女」として一躍スターダムを駆け上がった絹川愛さん。しかし、ジュニア日本記録を樹立し、日本一の座に君臨した彼女の心にあったのは、意外にも「恐怖」と「孤独」でした。度重なる故障や恩師との突然の別れ…。華々しい実績の裏側で、彼女を追い詰めていたものの正体と、24歳という若さで「次の章」へ進む決断をした真意に迫ります。
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優勝して表彰台に立った瞬間に押し寄せた感情
── 2007年、ジュニア日本記録を樹立し17歳で大阪世界陸上の日本代表に。その後も日本選手権の優勝など「天才陸上少女」として脚光を浴びた絹川さん。ところが、誰もが歓喜するはずのその瞬間に、胸の中ではまったく逆の感情が押し寄せていたそうですね。
絹川さん:嬉しいとか喜びに浸る余裕はなくて、「どうしよう…」という恐怖が先にきたんです。今でもよく覚えている光景があります。日本選手権で優勝して表彰台のいちばん高いところに立った、次の瞬間です。
「明日からはこの位置を死守する立場になる。今まで以上に頑張らないと…」と、一気に怖くなってしまって。ジュニアの日本記録を出した日の夜も、祝杯をあげるどころか「これからどうしよう…」と、プレッシャーに押し潰されそうでした。翌日の新聞を見て「こんなに大きく報じられちゃった…。今が絶頂期で、ここからは下っていくだけだ」と、つい悲観的に考えてしまうんです。
── 結果が出た時ほど、追い詰められていく感覚があったのでしょうか。
絹川さん:結果を出して注目されるのが、とにかく怖かった。「この場所を死守しなきゃ」と怯えるよりは、失敗して「次こそは」と悔しがっているときのほうが、まだ前を向きやすかったんです。 ただ、よければ恐怖、悪ければ悔しさが燃料になるだけで、結局はどちらに転んでも「自分はまだ足りない」という結論にしかたどり着きません。止まり方もわからずに走り続ける、「努力の永久機関」の中にいたんだと思います。
北京五輪目前に体に異変が
── そんななか、北京五輪を目前に控えた時期に、突然、体に異変が起きます。
絹川さん:中国の昆明へ合宿に行った後、腰に激痛が走り、筋トレやウォーキングしかしていないのに膝も痛み出して、歩けなくなりました。検査をしても原因がわからず、「(何らかの)菌が入ったのかもしれない」と医師に言われ、当時先進的だった治療を受けて、いったん回復しました。
でも、その1年後も体調を崩して入院することに。今度はめまいと嘔吐が続き、CTを撮るために上を向いた瞬間に気絶。歩けない状態になり、1か月ほど入院しました。いくら検査をしても原因が特定できず、体の中で何が起きているのかわからない。得体のしれない感覚で、絶望していました。
最近になって、そのときの症状が「慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)」だった可能性があることを知りました。体内でEBウイルスが増え、発熱や肝機能障害などの強い炎症症状を引き起こす病気で、当時はまだよくわかっていなかったそうです。
── 原因がわからないまま走れない日が続き、精神的にも過酷な状況だったと思います。どうやって心のバランスを保っていたのでしょうか。
絹川さん:支えになったのが、大好きな漫画やアニメでした。陸上の世界にいると、どうしても結果や数字だけで自分を評価してしまい、視野が狭くなりがちです。でも、自分とはまったく違う「他人の物語」の世界に触れると、陸上一色だった頭の中がフッと軽くなるんです。こういう生き方もあるんだと知るだけで不安に飲み込まれずにすみ、「今の自分にできることからやってみよう」と、少しずつ前を向くことができました。
たとえば競技を引退する時期に影響を受けた『A3!』というゲームは、舞台役者たちの物語ですが、「夢に向かう」点では私の陸上人生と重なります。ジャンルは違っても、まったく違う人生を歩むキャラクターたちが夢に向き合う姿に、励まされることが多かったです。
「アニメでそこまで?」と思われるかもしれませんが、私にとっては単なる現実逃避ではなく、行き詰まった考えを切り替えるための「補助線」のような存在でした。
── その後、24歳で引退という決断を下します。
絹川さん:アキレス腱断裂で手術し、1~2年間、リハビリをしても元に戻らなかったんです。その間、環境の変化もありました。10年近く指導を受けていた監督が突如、音信不通で連絡が取れなくなったんです。人づてに「自分以外のコーチを見つけてくれ」と、言い残して去っていったと聞きました。
監督にもいろんな思いがあったのかもしれません。でも当時の私は、支えになった人から「見放された」としか受け取れませんでした。体も精神的にも限界を感じ、新しい道へ進むタイミングなのだろうと考え、選手生活に幕を引くことにしました。
24歳で現役引退「まだ先の人生が続くから」
── 年齢的には「まだやれる」という声もあったかと思いますが、迷いはありませんでしたか。
絹川さん:24歳だと、一般的には競技を引退するには早いと思われるかもしれません。でも、私のなかでは、陸上を「人生という長い物語のなかのひとつの章」と捉えていました。もちろん選手時代はそれがすべてでしたが、競技を終えたあとの人生のほうがずっと長い。競技者としての終わりが人生の終わりではないからこそ、陸上に固執せずに次へ進む決断ができたのだと思います。
── オリンピック出場が目前にありながら、たび重なる病やアクシデントに翻弄され、望んでいた形とは違う幕引きとなりました。振り返って、当時の経験をどう捉えていますか。
絹川さん:当時は絶望しましたし、不運だとも思いました。でも今は、あの経験があったからこそ考えられたことがあり、成長につながったと思えます。長い人生の点で見れば失敗でも、線で見ればただの経験。
思い通りにいかない壁にぶつかったとき、アニメや漫画といったフィクションから多様な生き方を受け取っていたからこそ、「じゃあ別の視点でやってみよう」と切り替えられた。ひとつの道が絶たれても終わりではなく、泥臭く次を探していく。その過程も含めて「これが自分の生き方だ」と今は思えます。
取材・文:西尾英子 写真:絹川愛

