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計画が順調なら誕生しなかった412

計画が順調なら、ブリストル412は誕生しなかった。ブリストル411の後継モデル、600がリリースされていたはず。グレートブリテン島南西部のブリストル市が、英国王室へ都市として承認されてから600周年という、記念すべき1973年に。

【画像】ザガートが作った「つなぎ」のオープンGT 412 プロトタイプ 歴代のブリストルも 全123枚

また同年は、トニー・クルック氏がブリストル・カーズの経営を掌握した時でもあった。正規ディーラーの1社を営んでいた彼が、同社と深い関係を持つようになったのは、1960年。創業者のジョージ・ホワイト氏と、提携契約書を交わしたのが発端だった。


ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

それから5年後、投資計画の見直しを機に、彼はブリストル唯一のディーラーとして、自身が営むアンソニー・クルック・モーターズを指定。1969年に深刻な交通事故へ巻き込まれたホワイトは完全に手を引き、ブリストル・カーズは再編された。

傘下のザガートが作った「つなぎ」のクルマ

412は、ブリストル・カーズをオープン・グランドツアラー市場へ参入させるべく、開発されたと考えられている。だが、生産工場で主任マネージャーを務めたジェフ・マーシュ氏は、「411のシリーズ5が、15台ほど売れ残っていました」と当時を振り返る。

「600の設計は進んでいましたが、開発を主導したクルックさんは1年も計画を延期していました。つなぎのクルマが必要になり、取引きのあったザガートに、すぐの対応を約束していただいたんです」


ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ブリストル・カーズは、1959年からイタリア・ミラノのカロッツェリア、ザガートを傘下に収めていた。チーフデザイナーとして、412のスタイリングを手掛けたジュゼッペ・ミッティーノ氏は、その頃を断片的に覚えている。

「既存のブリストルを、コンバーチブルに作り変えるアイデアは決まっていました。そこでランチアやBMWのように、部分的なキャンバストップを提案したのです」

靴箱を2つ重ねたような四角いボディ

ブリストルの主任デザイナー、ダドリー・ホッブス氏らは、ザガートの初期案へ衝撃を受けた。従来の有機的な造形と異なり、全長が5.5m近くあったからだ。そこで、英国の一般的なガレージへ収まるサイズへ、縮小を求めたという。

クルックは、約5mへ短くなったボディへ納得したようだが、ホッブスは四角いスタイリングへ不満を抱いていた。靴箱を2つ重ねたようだと、漏らしていたらしい。それでも、ボーファイターとボーフォートへ、このボディは受け継がれるが。


ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

今回ご登場願った412は、最終的なスタイリングが確認されたクルマそのもの。ミッティーノは、シャシー番号7716434Zのこれが、唯一のプロトタイプだと認める。

量産仕様と比べると、フロントまわりの角度が直立しており、給油口の位置も異なる。リアフェンダーの処理や、ドア開口部の形状、ホイールアーチの造形など、僅かな違いも観察できる。しかし、基本的な印象に大きな違いはない。

改良を加えても収まらなかった雨漏り

412の開発のため、ザガートへ届けられたのは411用のシャシーだった。「エンジンルームを仕切る隔壁や、フロントピラーとセンターピラー、ホイールアーチなど、ボディ内側の構造体は、すべて付いた状態でした」。マーシュが、当時を振り返る。

「ボディを仕上げるまでの猶予は、3週間ほど。理由は覚えていませんが、仕上がったプロトタイプから、エンジンは一度降ろされました。ラジエターを取り付けて、自然に見える車高へ整えて、1975年のロンドン・モーターショーへ出展したんです」


ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

「ショーを終えるとエンジンを積んで、ダッシュボードを取り付けたんですが、大変でしたね。タルガトップを被せると、隙間から日光が漏れていました。クルックさんは、ショーでその1台を売っちゃったんですよ。1度も公道を走らせないまま」

「(ザガートの)ジャンニさんたちが(イタリアから)訪ねて来て、プロトタイプをロンドンまで運転したんですが、雨漏りが酷かったようです」と彼が笑う。「量産版では改良を加えたんですが、結局雨漏りは収まりませんでした」

この続きは、ブリストル412 プロトタイプ(2)にて。