クルマづくりの難しさを痛感 2代目ホンダシティは朝令暮改が苦戦を招いた!!
今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第94回目に取り上げるのは1986年に登場した2代目ホンダシティクルマだ。
クルマは本当に難しい
大ヒットしたモデルのフルモデルチェンジは難しい。これは自動車界の定説だ。キープコンセプトで成功することもあれば、代わり映えがしないと不評なこともある。逆にガラリと変更しても結果は明暗クッキリと出る傾向にあり、コンセプトチェンジ、エクステリアの刷新が成功のカギとなることもあれば、「これは〇〇じゃない」と既存のユーザーからソッポを向かれ販売面で苦戦することも珍しくない。2世代連続でヒットするのが難しいと言われるゆえんだ。
今回取り上げる2代目シティは、劇的なチェンジ、コンセプト変更が仇になった典型的なケースと言えるだろう。

クラウンが激変しクロスオーバー、スポーツ、セダン、エステートのラインナップとなったが、成功か失敗かは微妙
初代はトールボーイが受けて大ヒット
初代ホンダシティは1981年11月にシビックの弟分としてデビュー。当時はダイハツシャレード、トヨタスターレット、三菱ミラージュといった1〜1.2ℓクラウスのコンパクトハッチバックが大人気となっていたが、ホンダが新規投入したFF(前輪駆動)モデルだ。
他車にない背の高いエクステリアデザインをホンダ自ら『トールボーイ』として大々的にアピールした結果、ユーザーからも支持され大ヒット。マッドネス(イギリス)を起用したTV CMもインパクト抜群で話題になった。『シティ・イン・シティ』の楽曲、ムカデ歩きは子供が真似たりもしたものだ。

トールボーイとして大ヒットした初代シティ。フェンダーミラーが懐かしい
2代目の登場はある意味衝撃的
初代の後を受けて2代目シティは1986年10月に発表・発売となったのだが、お披露目された新型モデルの激変ぶりにクルマ好きは衝撃を受けた。まさに唖然という表現がピッタリかもしれない、そんな衝撃を受けたのだ。
トールボーイのコンセプトが受けた初代のコンセプトと真逆のローフォルム。全体的なプロポーションはワンダーシビック風でワイド&ローフォルムが強調されたエクステリアデザインを歓迎する人もいたが、「これはシティじゃない」、という意見が大半を占めた。コンパクトハッチバックのカテゴリーにホンダが自ら提案したトールボーイコンセプトは、ホンダ自らが否定する形となったのだ。

2代目に対し「これはシティじゃない!!」という意見は少なくなかった
ワイド&ローフォルムを採用
2代目シティのボディサイズは全長3560×全幅1620×全高1335mm。初代シティが全長3380×全幅1570×全高1470mmだったから、全長は180mm長く、全幅は50mmワイドで、全高は135mmローダウンということになる。全長、全幅に関してはひと回り以上大型化され背が低くなっているため、数値以上にワイド&ローが強調されたフォルムとなっていた。それは全高だけでなく、ショートノーズ&低ボンネットによる効果も絶大で、背の高さを自慢していた初代から一転して低さをアピールしたのだ。
ホンダはエクステリのアデザインコンセプトについて初代ではトールボーイと命名していたが、2代目ではクラウチング・フォルムと名付けている。クラウチングとは100m走などの前傾したスタート姿勢をモチーフにしたものだ。

2代目シティにはワンダーシビックのデザインテイストが盛り込まれている
エアロダイナミクスへのこだわり
ホンダが2代目で背の低いフォルムにこだわったのは、当時のクルマ界ではエアロダイナミクス(空力)が重視されるようになったこととも関係がある。初代シティのように背が高いモデルの場合、走行時に空気抵抗の大小に大きく影響する全面投影面積が大きくなってしまう。空力は操縦安定性、風切り音などを含む走りの質感、さらには燃費にも影響する大きなファクターとなる。
空力はCd値(空気抵抗係数)が小さくなるほど優れているのだが、2代目シティは当時のコンパクトハッチバックではトップレベルのCd値=0.35を実現。空力と言えばCd値のほか、高速時の走行安定性の向上に貢献するCL値(揚力係数)というものがある。これは数字が大きくなると、ボディを浮き上がらせる(リフト)ような力が働くが、2代目シティではCL値=0、いわゆるゼロリフトを実現。ちなみにマイナスリフトとは、レーシングマシンなどのように路面に車体を押し付けるダウンフォースが発生した状態だ。

低く短いボンネットも空力効果抜群
背は低いが室内広さは初代を凌駕
2代目シティはホンダ自身が背の低さをアピールしたこともあり、背が低くなったことばかりが強調されがち。しかし、コンパクトカーとしてのユーティリティを無視してデザインに走ったわけではない。

インパネは奇をてらわずオーソドックス
背を低くしながらもコンパクトカーとして快適な室内空間の実現がホンダにとっての大きなテーマとなっていた。そのためホイールベースを初代の2220mmから2400mmに180mmも延長。前述の全長の延長分はそのままホイールベースの延長分だ。このロングホイールベースを実現させるため、前後のタイヤをボディの四隅に配置するという初代のコンセプトは踏襲して初代に比べて大幅に室内空間を確保することに成功している。コンパクトカーでは全長、ホイールベースとも短いためどうしても前席と後席間のスペースが犠牲になりがちだが、2代目シティは当時の同クラスのモデルに比べても広く快適な室内を実現していた。

ホイールベースの延長もあり室内スペースは初代より余裕がある
エンジン屋ホンダの力作
1986年当時と言えば、トヨタのハイメカツインカムに代表されるようにDOHCエンジンがもてはやされていた。一般的にバルブを制御するカムが1カム2バルブのSOHCよりも2カム4バルブのDOHCのほうが高性能。トヨタのハイメカツインカムによりDOHCは凄いという認識から当たり前となっていたなか、ホンダはあえてSOHCエンジンを新開発。これが実にホンダらしい点だった。

SOHCながらDOHCに匹敵する高性能エンジンを搭載
初代シティに搭載された1.2L(1237cc)エンジンはただのSOHCではなく、ホンダ独自のセンタープラグの1カム4バルブを採用。これはひとつのカムで4つのバルブを制御するもので、DOHC並みの高出力に加えて低燃費も実現。トヨタのハイメカツインカムは当時、「名ばかりのDOHC」と揶揄されることが多く、自動車評論家からも「ハイメカツインカムよりもDOHC的で高性能」とその評価は高かった。暗に「名ばかりのDOHCはいらない」とアピール。このあたりはエンジンに対するホンダの矜持で、こういった姿勢がホンダファンを魅了する要因となっていた。

1988年のマイチェンで主力エンジンが1.2Lから1.3Lに排気量アップ
競技者から絶大な支持
ワイド&ローフォルムの2代目シティは、既存のシティオーナー、ホンダファンからも否定的に見られてしまったが、ある筋の人たちは大歓迎だった。ある筋とは競技者だ。2代目シティは前述のとおり、走りの面でも所からから大きく改善されていて背が低いため低重心。エンジンもレスポンスに優れポテンシャルが高いということで、国内競技のなかでも特にジムカーナで大活躍。全日本ジムカーナ選手権、地方選手権でエンジンを助手席側にややオフセットして搭載していたスズキカルタスと名勝負を演じた。この活躍の影響もあり、競技のビギナーからも人気が高かった。

一般ユーザーからは人気薄だったが、ジムカーナでは強さを発揮して人気だった
販売台数は3分の1以下レベルに激減
2代目シティは失敗作と言われるが、実際の販売台数はどうだったのか? 初代は1981年11月から1986年10月までに約31万2000台を販売。一方2代目は1986年11月(発表・発売は10月31日)から1995年12月までに約16万8000台。月販平均は初代が約5200台に対し2代目は約1600台と3分の1以下に激減してしまった。
2代目は初代からコンセプトが激変しただけでなくグレードも少なく選択肢が限られたこと、高性能を求めるユーザーにとってターボが設定されていなかったこともシティの苦戦に影響しているように思う。

初代のブルドッグ(シティターボII)のようなターボモデルが切望されていた
ホンダの朝令暮改
2代目シティはホンダのチャレンジングな姿勢が裏目に出た結果かもしれないが、この朝令暮改的なコンセプトチェンジは一度や二度じゃない。2代目CR-Xから3代目となるCR-Xデルソルへのチェンジ、4代目から5代目へのオデッセイのチェンジ、出るたびにボディ形態、コンセプト、車格が変更されているインサイト(初代〜現行の4代目)、エンジンについてもショートストロークからロングストロークへの変更など、朝令暮改はホンダらしさでもあるが、その最初が2代目シティだったのかもしれない。

CR-XからCR-Xデルソルとなって販売激減し存在感もなくなった
新たなものを提案するチャレンジングな姿勢は、多くのホンダファンから支持されるものの、コンセプトを変更して販売面で失敗するケースは少なくない。これはチャレンジング精神旺盛の代償のひとつなのかもしれない。
ホンダは現在苦境に立たされているが、ホンダファンが求めているのは失敗をしないように無難なクルマ作りをするホンダではなく、失敗も含めてチャレンジングなホンダなのかもしれない。

2代目シティは志、チャレンジ精神とも旺盛だったが結実せず
【2代目ホンダシティGG主要諸元】
全長:3560mm
全幅:1620mm
全高:1335mm
ホイールベース:2400mm
車両重量:700kg
エンジン:1237cc、直列4気筒SOHC
最高出力:76ps/6500rpm
最大トルク:10.0kgm/4000rpm
価格:103万9000円
※1996年10月デビュー時のスペック

いいクルマが必ずしも売れるわけではないのがクルマの難しいところ
【豆知識】
初代インサイト(1999〜2006年)は当時の燃費世界一を目指したスペシャルかつ実験的なクルマで、ボディ形態は3ドアクーペ。2代目(2009〜2014年)は5ドアハッチバックのHEV、3代目(2018〜2022年)は2代目よりも上級移行した4ドアセダンのHEV、そして2026年4月にデビューした中国生産の4代目はクロスオーバーSUVのBEVと、コンセプト、車格ともすべて違うという世界的に見ても稀有なモデルと言える。共通しているのは、前のモデルが消滅後にいったんラインナップから消えその後復活している点だ。4代目インサイトは550万円で3000台限定。BEV受難の日本市場で売り切ることはできるのかに注目が集まっている。

2026年4月にデビューした4代目インサイトはクロスオーバーSUVのBEV
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975〜1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/HONDA、ベストカー
