●「上じゃなくて、前です」
政界を追い出された星野茉莉(黒木華)が、市井に生きる政治素人のスナックのママ・月岡あかり(野呂佳代)をスカウトし、東京都知事選に挑む姿を描く、カンテレ・フジテレビ系ドラマ『銀河の一票』(毎週月曜22:00〜)の第2話が、27日に放送された。

本作は第1話で、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に軽く触れられていた。第2話が放送された今、『銀河鉄道の夜』と『銀河の一票』の共通点やテーマ、そしてどのような展開が待ち受けているのか、考えてみる。

(左から)黒木華、野呂佳代 (C)カンテレ

○【第2話あらすじ】都知事選出馬を懇願されるも…

「都知事になってください」「私はあなたに賭けたい」。都知事選への出馬を茉莉に突然懇願され、戸惑うばかりのあかり。ほかに適任者がいるはずだと断るが、茉莉は一歩も引こうとしない。

茉莉には思惑があった。最大与党・民政党の幹事長として絶大な影響力を持つ父・鷹臣(坂東彌十郎)から絶縁され、あらゆる後ろ盾を失った今、自分が政界に戻る方法はただひとつ。あかりを選挙に勝たせて都知事に押し上げ、自分を副知事に指名してもらうしかない――。

「誰でもいいわけでもない」「あなたなんです」とまっすぐに思いをぶつけてくる茉莉に心を揺さぶられながらも、あかりはスナック「とし子」を辞めるわけにはいかないと出馬を固辞。それでもなお食い下がる茉莉を、とある場所で暮らす先代のママ・鴨井とし子(木野花)のもとに連れて行く。

そして、とし子の店であかりが働くことになった10年前のいきさつを打ち明ける。あかりは自暴自棄で自殺をしようとしたところを、とし子に救われた。その恩人であるとし子は現在は介護施設に。認知症も患っていた。そのとし子のスナックを守りたい。ゆえに、「この店を辞めるわけにはいかない」と告げたのだった。

納得した茉莉は、あかりの候補擁立をあきらめることに。そんな時、茉莉は生活拠点となる賃貸の審査に落ちてしまう。そんな茉莉を快く自宅へ招き寄せるあかり。都知事選挙までの50日間、滞在してもいいと優しい言葉をかける。

そのあかりとの共同生活。ともにアイスをシェアしているあかりが、「私なんかよりももっと人の上に立てる…(人は他にもいる)」と言いかけた時、茉莉は言う。「上じゃなくて、前です」。政治家というものは市井の人々と同じ目線で立ち、その先頭を進み、導くものだと熱い想いを語る。

そんな折、とし子の成年後見人を務める弁護士の竹林圭吾(中山求一郎)が現れ、スナックを売却すると告げられる。

(C)カンテレ

○『銀河鉄道の夜』という物語とテーマ

まず『銀河鉄道の夜』とは、どのような物語なのか。この小説を貫く問いは、「真の幸せとは何か」ということだ。物語は、病気の母を持つ貧しく孤独な少年ジョバンニの登場から始まる。

そのジョバンニは、ある夜、町の「ケンタウル祭」の日に丘に登ると、突然銀河鉄道に乗っていた。そこで親友のカムパネルラと再会し、2人は夜の銀河を旅していく。白鳥座、鷲の停車場、南十字星……様々な星の駅を巡りながら、乗客たちと出会い、別れを繰り返す。やがてカムパネルラは消え、ジョバンニは現実に引き戻される。戻ってみると、祭りの夜にザネリが川に落ちたところを助けようとしたカムパネルラが、そのまま溺れ死んでいたことを知る。

ここで宮沢賢治が語りたかったことは、「自分一人が幸せになることでなく、すべての生命が幸せになること……そのために自分を犠牲にすることこそ、ほんとうの幸福だ」ということ。ジョバンニは孤独な少年だが、カムパネルラとの旅を通じて他者との深い絆・共感こそが魂を救うことを理解するようになる――。

●2つの作品に重ねて浮かび上がる不思議な交差
(C)カンテレ

では、この『銀河鉄道の夜』と『銀河の一票』がどのように交わっているのか、現段階で見ていこう。まずジョバンニは、貧しく、父が不在で、孤独な少年として描かれる。一方の茉莉は、「すべてを失い、父に裏切られた孤独な女性」と言える。次にカムパネルラだが、実はすでにあの世「あちら側」の存在であり、ジョバンニだけがそれに気づいていないまま物語は進む。一方であかりは、「過去に一度自殺未遂をしており、とし子に"救われた"側。すでに一度『あちら側』に片足を踏み入れた人」である。

そのジョバンニとカムパネルラは幼なじみの旧知の仲だが、銀河鉄道という死者の旅路に、生きているジョバンニが迷い込む形で再会する。一方の『銀河の一票』では、茉莉とあかりが「政界」と「スナック」という交わらないはずの世界から出逢うことになる。原作とドラマでは「出逢いの構図」は異なるものの、どちらも「本来なら交差するはずのなかった2つの魂が、特別な旅路の上で結びつく」という本質的な構造を共有している。

他の登場人物も見ていこう。茉莉の父・幹事長の星野鷹臣は、権力や既成秩序の象徴として描かれている。その上、主人公を抑圧する存在でもある。一方でカムパネルラの父も権威・理性・現実の秩序を象徴しており、やや役割的にかぶっていることが見て取れる。

次にいじめっ子で俗世間の悪意を象徴するザネリは、『銀河の一票』では政界の既得権益で腐敗した政治家たちを表してはいないだろうか。これは茉莉の障害であり、茉莉を傷つける現実の壁の暗喩のように感じられる。

そして「銀河鉄道」だ。これは「魂の旅路」……さまざまな出逢いと別れを通じて変わっていくジョバンニの物語の舞台として機能している。これが同ドラマでは「都知事選」に置き換えられている。都知事選とは、人生を変える旅であり、魂が変容していく場でもある。茉莉とあかりにとっての旅路は、彼女たちが真の自分に気づく非日常の舞台として用意されてはいないだろうか。

銀河鉄道の旅では死者たちの口から「本当の幸い」について繰り返し語られ、主人公ジョバンニもまた、何がみんなの本当の幸いなのかを考え続ける。『銀河の一票』もまた、政治素人のスナックのママを東京都知事にすべく挑むというストーリーを通じて、「政治とは何のためにあるのか」「市民にとっての本当の幸せとは何か」を問い続ける。賢治の「みんなのほんとうの幸い」という問いが、現代の民主主義・選挙という舞台に置き換えられているように思える。

○「光」「星空」「客」…酷似する構造

次に、すでに確認できている、両者の直接的なつながりについてだ。まず、茉莉が持っていた、お守りである「電球」だ。「銀河鉄道の夜」では、祭りの夜に子どもたちが川に烏瓜の灯籠(光)を流し、そこへザネリが落ちる。そして、ザネリを助けようと飛び込んだカムパネルラが溺れ死ぬ――。

つまり「光」が、カムパネルラの自己犠牲という物語の核心を引き起こす引き金となっている。第1話で茉莉が失くし、あかりが探してくれた「実母にもらったお守りの電球=光」は、この烏瓜の灯籠に呼応しているように見える。光を探す行為=自分の魂の根っこを探す行為、そしてその光を他者が守ってくれるという構図は、かなりきれいに重なっている。

さらに注目したいのが、あかりという名前そのものだ。「あかり=光」であり、茉莉が夜道で探し続けた「電球(光)」が、そのまま人物の名前になっている。この命名が意図的であるならば、あかりという存在自体が、茉莉にとっての「失くした光を取り戻す旅」の象徴として機能していることになる。

そして、ビルの非常階段で星空(銀河)を見るというエピソード。『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニが祭りの夜に丘に登り、星空を見上げているうちに銀河鉄道に乗り込む。茉莉が非常階段を駆け上がるシーンは、これの現代的置き換えとして考えられる。しかも誤解されて「自殺しようとしている」と思われる――『銀河鉄道の夜』でも丘に一人でいるジョバンニは孤独な異質者として描かれる。銀河への入口は常に「孤独な高みにいる者」に開かれている。これは、茉莉にもあかりにも言えることではないだろうか。

スナック「とし子」の客たちも、銀河鉄道の乗客をイメージしているように思える。「とし子」には「国民の生の声」を持つ市井の人々が集まっている。茉莉が「自分が見下していた国民の生の姿と声を聞いた」と感じるシーンは、ジョバンニが銀河鉄道の乗客たちと出会い、「本当の幸い」を問い続けるあの旅の構造に酷似している。

また、茉莉の「政治家は国民の上に立つのではなく、同じ目線で、その前を歩くものだ」という言葉は、宮沢賢治の「ほんとうの幸い=自己犠牲でみんなを導く」という思想の現代語訳にも感じられる。

○茉莉の動機が「私のため」から「みんなのため」へ?

もし本作が『銀河鉄道の夜』へのオマージュを含むとしたら──。現段階での茉莉の行動原理は、半分が復讐と、副知事になるという自分のためでもある。だがジョバンニが旅を通じて変わっていったように、この都知事選という旅の中で、茉莉の動機が「私のため」から「みんなのため」へと変容していく過程が描かれていくのではないか。

これらはあくまで憶測に過ぎない。だが、今後本ドラマの展開を占う上で、『銀河鉄道の夜』という作品テーマは、避けて通れないように筆者は考えている。

木野花 (C)カンテレ