16歳の桑田真澄が電話越しに言った「意外すぎる言葉」

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プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。

連載『1985 英雄たちのドラフト』

第3回「ディズニーランド」(前編)

松田聖子の曲をBGMに練習

1984年の晩秋、PL学園のエース・桑田真澄が突然取手二高を訪れたという話は、NHKBSプレミアム『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』の「桑田と清原 KK伝説〜甲子園が熱狂した夏」(2018年7月31日放送)でその事実が明かされ、多くの人に周知されることになった。

その2年後の2020年には『スポーツ報知』が記事にしている。《【追悼・木内幸男さん】負けた理由を探して 単身取手を訪れた16歳の桑田真澄》というタイトルで、書いた記者は長くプロ野球を取材してきた加藤弘士である。

《桑田真澄が取手二のグラウンドにやってきた。16歳はカルチャーショックを受けた。そこは普通の県立高の校庭だったからだ。(中略)目の前の風景は、野球エリートが集い、全寮制で競争が繰り広げられるPL学園とは全く違う。専用球場も室内練習場もない。部員たちは好きなカセットテープを持ち込み、松田聖子らの歌謡曲をBGMに、笑顔で汗を流していた》(『スポーツ報知』2020年11月25日配信)

桑田真澄本人のコメントもある。

「一人で行ったんです。取手二の皆さんとは全日本の韓国遠征で一緒になって、仲良くなって。『見に行っていいですか?』と頼んだら『いいよ』って。(中略)どんな環境で練習していたら“のびのび野球”になるのか、見たかったんです。目標が同じでも、様々なプロセスがあるというのをあの時、知ったんですよね。僕がそれまで知っていた野球が全てではない。いろんな方法があると」(同)

1984年夏の甲子園決勝で、延長10回表に桑田本人から勝ち越し3ランを放ち、マウンドから引きずり下ろした捕手の中島彰一も「桑田君ならではでしょう。普通の高校生だったら、そんな破天荒なことはしません」とコメントを寄せている。

桑田真澄が甲子園で決勝を戦った直後、取手二高の練習内容に関心を抱いたのは、例の韓国遠征の折、専門誌『週刊ベースボール』(1984年9月24日号)が組んだ石田文樹、吉田剛、桑田真澄、清原和博による「ライバル特別座談会」でのやりとりからも判然となる。

本誌「ところで、石田くん、調子がいいみたいだけど、大阪で練習をあまりやらなかったのがよかったのかな」(笑)

石田「そうですね。オレらはやんない方がいいです」

吉田「休み明けが一番やな」

桑田「休んだ方がええのう、オレらも」(笑)

清原「休んだ方が、コイツ球、速いですよ」(笑)

桑田「休んだ方がよう打てるし」

吉田「じゃ、取手二高タイプだよ。ナ、考え方までなってきたんじゃない」

石田「うつってるな」

清原「帰ったら苦労する」(笑)

最後の清原の発言は示唆的なのだが、桑田自身「だったら、練習内容を変えたらいい」と思っただろうことは容易に想像がつく。

「ディズニーランドに行きたい」

夏の甲子園決勝で桑田から2ランを放ち、直後の日韓親善高校野球大会における大阪合宿では相部屋となり、ソウル遠征中も行動を共にした吉田剛なら、桑田の取手訪問を知らないはずがない。そこで、吉田剛本人に「桑田真澄が取手二高を訪問したのは事実ですか」と尋ねると、彼は「うん、事実」と首肯した。

──桑田真澄本人が言うように、日韓親善野球のときに「取手まで遊びに行っていいですか」という話があったんですか。

「そう言われたかは、はっきり憶えてないけど、まあ、したかもしらんわな」

──それで、桑田真澄はいきなり学校を訪ねてきたわけですか。

「違う違う」

──え、違うんですか。

「まず、桑田からウチに電話があった」

──吉田さんの自宅に電話があった?

「だって、それまでも、あいつと電話で話したりしてたし」

──それは韓国遠征の後?

「そう、合宿のときに連絡先を交換したから。それで、奈良国体の前とか後も」

──では、電話がかかってくることは珍しくなかったわけですね。

「まあ、時々ね」

──電話は主に向こうからかけてくるわけですか。

「それはだって、あいつ寮住まいだもん。誰が取るかわからんのに、俺から富田林のPL学園の寮に電話して『あのー、取手二高の吉田ですけど』って言うわけにもいけへんやん」

──確かに。

「今みたいにスマホもないし、不便な時代だったと思うわ」

大阪合宿〜韓国遠征で親しくなった甲子園のヒーローによる会話だが、吉田の言うように「高校生の他愛もない話ばかり」だったとは到底思えない。

そうでなくても、ドラフト会議直前のこの時期、夏の甲子園で活躍した吉田剛には、プロ野球のスカウトが日参していた。最も熱心だったのは西武ライオンズで、吉田自身「西武が指名してくれるならプロに行く」と広言していた。桑田でなくても、その進路に関心を持つのは自然なことだったかもしれない。

──では、桑田真澄本人から「取手二高の練習を見たいんです」と言われたんですね。

「最初はそうじゃないんよ」

──え、違うんですか。では、最初は何て言ってきたんですか。

「『吉田さん、ディズニーランドに行きたいんです』って」

【後編記事を読む】PL学園時代の桑田真澄が女子と一緒に「ディズニーランド」へ…初めて語られる「16歳の青春」

【連載の過去回を読む】

●第1回前編【「高校球児はネクラ集団」…タモリが揶揄した高校球界に突如現れた「ネアカ軍団」の快進撃】

第1回後編【「桑田にすまんという気持ち」清原和博が2年夏の甲子園決勝で敗れたあとに明かした「胸の内」】

●第2回前編【KKコンビを破った取手二高の主将が59歳になったいま語る「桑田を打てた理由」】

●第2回後編【桑田真澄に「二刀流」の選択肢があったら…高校時代に桑田と相部屋になった選手が語る「ケタ違いの野球センス」】

【つづきを読む】PL学園時代の桑田真澄が女子と一緒に「ディズニーランド」へ…初めて語られる「16歳の青春」