「報道カメラマン」「山岳救助隊」を経て「トレイルランニング」のトップ選手に 「秋山穂乃果」が語る過酷なレース事情「大事なのは命が一番ということ」
険しい山道や林道、丘陵地帯など、舗装されていない道を走り抜けるトレイルランニング。美しい自然の風景を楽しみながら走れることが人気を呼び、国内にも愛好者が増加しているスポーツだ。
そんな日本のトレイルランニングを牽引するトレイルランナーが、秋山穂乃果選手である。秋山選手は、2月14日にニュージーランドで開催された世界大会「Tarawera Ultra-Trail by UTMB」の102km(T102)女性の部で、3位に入賞するという快挙を成し遂げた。併せて、秋山氏は今年6月にアメリカで開催される、100マイルの「Western States Endurance Run (WSER)」の出場権も獲得。同大会は、世界有数の権威と歴史をもつ大会の一つだ。

秋山選手は1993年に兵庫県で生まれ、現在は長野県に拠点を置く。その経歴はとてもユニークだ。神戸大学を卒業後、毎日放送に入社して報道カメラマンとして活動。2019年、報道の現場で目にした警察官の仕事に興味を持ち、退職。長野県警に入り、のちに山岳遭難救助隊として3年にわたって活動。現在はプロのトレイルランナーとして独立している。
トレイルランニングは時には過酷な自然環境にさらされる。実際、秋山選手が3位入賞したレースも、当日は生憎の悪天候。土砂降りの雨の中、ぬかるんだ道を走ることになり、転倒者が続出するレースとなった。常に危険と隣り合わせで、肉体のみならず精神面にも負担が大きいことは間違いない。それでも、秋山選手がトレイルランニングに惹かれる理由とは何だろうか。【取材・文=山内貴範】
【写真】2025年に行われた世界選手権での秋山穂乃果選手の走行風景
興味が赴くままトレイルランナーに
――秋山さんは日本を代表するトレイルランナーですが、注目したいのは、その経歴が多彩であることです。マスコミから警察官、そしてトレイルランナーと、まるで興味の赴くままに行動しているようですね。
秋山:興味の趣くままというのは本当にその通りでして(笑)。大学を卒業後、吉本新喜劇をやっているという理由で、毎日放送に入社したのです。配属は報道局でしたが、カメラマンとして警察署に出入りするなかで、警察官という仕事に興味を持ちました。気づいたら、長野県警に転職していました。
――トレイルランニングにはいつ頃から興味を持ったのでしょうか。
秋山:毎日放送で仕事をしていたときです。カメラマンとして山を撮りたいと思っていて、撮影技術を向上させるため、NHKのドキュメンタリー番組を見たのがきっかけです。富山県から静岡県まで、日本アルプスの山々を縦走しながら415キロを走り抜ける、日本最難関といわれる山岳レースの大会、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)を記録したものでした。臨場感のある映像に引き込まれてしまい、いつしか走る方に興味を持ってしまったんですよ。
――だからこそ、警察官のなかでもかなり特殊な職務といえる、山岳救助隊に入隊したわけですね。
秋山:山が好きだし、警察官になるなら、山岳遭難救助隊に入りたいと思って志願しました。毎日放送を退職する頃はトレイルランニングにどっぷりはまっていて、仕事終わりには大阪城公園で走ったりして練習していましたからね。
そもそも、トレイルランニングは常に危険と隣り合わせの競技。実際に遭難や滑落などの事故も起きます。そうした事故に遭った人を救助したり、トラブルを未然に防いだりする仕事ができたらいいなと思いました。
山岳遭難救助隊の試験は一発で合格しました。ただ、入隊してから3年間在籍したものの、仕事をしているうちに山が怖くなってしまって。何しろ、滑落や遭難の現場を目にするわけですからね。在職中は、トレイルランニングに積極的に挑戦することはできませんでした。
挑戦よりも安全を常に意識する
――それでも、山岳遭難救助隊の仕事から受けた影響は大きいのではないでしょうか。
秋山:ものすごく影響を受けました。挑戦するか、安全牌をとるかというバランスを重視するようになりましたね。基本的に、トレイルランナーは挑戦する性格の方が少なくありません。できるだけ荷物を軽量にして、体力ギリギリまで走ろうとするのです。
でも私は、自分が滑落したときを想像してしまいます。だから、重くなってもいいので安全に、そして危険を感じたら引き返そう、という気持ちがある。最悪の現場を何件も見てきたからこそ、感じることだと思います。
――実際のコースで、恐怖を感じることはありますか。
秋山:もちろん怖いですよ。スペインの大会で、鎖もない瓦礫場のコースを走る機会がありました。私は、そういったところで人が滑落した現場を見ているので、怖くて、試走のときは引き返してしまいました。
もし救助隊の時に行ったら、ロープを出せと言われるような現場です。そんなとき、いつも思い出すのは、滑落したときに救助隊の上司に怒られないか、ということですね。
走る前に自身の装備を考えるのも重要です。いわゆる必携品は決まっているのですが、何をプラスし、何を削るかは自分で考えるんですよ。標高の高いコースでは防寒着を持てば安心ですが、そのぶん重量があるので体に負荷がかかります。
一方で、防寒着を持参しなかった選手は低体温に陥ってしまうことがあるのです。なので、装備はかなり気を使って選びます。大事なことは命が一番であるということ。最低限の安全を守れているかと確認しながら、競技に取り組んでいます。
恥ずかしさをばねに順位を上げる
――秋山さんが初めて大会に出場したのは、2019年に開催された「2019 World Championships」です。結果は女子40位でした。
秋山:警察学校に在籍していたときに出場した大会です。当時はプロになりたいという意識はなく、純粋に海外の山を走りたいという思いがありました。なぜ、この大会に出場したのかというと、警察官の立場で出られるものがこれしかなかったためです。
なかなか、警察官は長期休暇が取れないのですが、世界選手権であれば取得しやすいんですよ。だからこそ、いきなり世界の大会に出ることになりました。大会が終わると、組織の中で順位を常に聞かれました。さすがに40位では上司に報告するのが恥ずかしかったので、頑張っていくモチベーションに繋がったのではないかと思います。
――練習はどのように行っていましたか。
秋山:交番勤務が終わった後や休日に近くの山を走りながら訓練し、スキマ時間も有効活用しました。例えば、デスクワークのときは職場が10階だったので、トイレ休憩の時は敢えて1階まで行き、階段を上り下りしましたね。
実は、プロの指導者についていただいたのは、昨年12月なんです。今は世界的にレベルが上がっているので、指導者のアドバイスを受けつつ科学的にトレーニングをしないと、世界には行けません。当時は、教本やビデオもほとんどありませんでしたから、練習のメニューを自分で考えるしかなかったのです。
――そうした試行錯誤が功を奏したのか、その後はめきめきと成績が上がっています。2022年に開催された「2021 World Mountain and Trail Running Championships」では、ロング女子14位と好成績を収めています。
秋山:世界選手権の枠組みができた最初の大会だったので、選手もみんな力が入っていました。タイで行われた猛暑の中でのレースでしたが、満足のいく結果が出せたのは良かったです。ただ、とても嬉しかった反面、もうちょっと上までいけたんじゃないかなとも思いました。
――トレイルランナーの経歴を見ると、陸上選手だったり、登山家だったりと、異なる経歴をもつ選手がいるのが興味深いです。それゆえ、選手によって得意不得意のコースが分かれるのではと思います。秋山さんはどんなコースが得意なのでしょうか。
秋山:選手にとっても得意不得意があると思います。ロード出身のランナーはテクニカルじゃないコースが好きな傾向があったり、山好きは岩場が得意だったりと、様々です。私が好きなのは山登りが続くコースで、特に岩場が得意ですが、逆にダウンヒルや平地は苦手ですね。
私はしっかりと累積標高がある、上りがきついコースでライバルに差をつけています。ただ、海外の大きな大会はコースの内容を選べませんから、あらゆるコースに対応できるよう、強化していく必要があります。
過酷なコースで3位の快挙
――そして、このたび2月に行われた「Tarawera Ultra-Trail by UTMB」で、女子3位という快挙を成し遂げました。どんなコースだったのでしょうか。
秋山:どちらかといえば平地が多いため、私は苦手なコースだったのですが。12月から平地を走るスピードを強化すべく練習していたので、その成果が出たと思いました。林道の砂利道で、アップダウンが続く道を、1kmあたり4分10秒くらいのスピードで走るのです。
当日は雨が降っていたため、地面がやわらかく、途中で躓くアクシデントもありました。上りの道もぬかるんでドロドロ。足をついても泥が落ちてきて進めない状況で、下りはスキーのようにシューズが滑り落ちていくんですよ。
――海外の選手の様子はどうでしたか。
秋山:今回優勝したルース・クロフト選手は、力強い走りが強みで、雨が激しくなり前が見えない条件でも、緩やかな上りを難なく走っていました。世界のトップランナーの背中を見られただけでも、大きな刺激になりましたね。
世界の壁を感じましたが、あまり遠すぎるということもないんじゃないかな、とも思ったのです。練習を続け、コースの条件が整えば、日本人でも優勝に手が届かないことはない、と思えたのは収穫だったと思います。
第2回【けわしい山道を疾走する「トレラン」に脚光! 世界大会3位のトップ選手が「勝負の明暗を分けるほど重要」と語る“意外な2文字”】では、世界的な大会で次々と好成績を残すトレイルランニング界期待の星・秋山穂乃果選手に、トレランの魅力、レースで勝ち抜くために大切な事、そして彼女がこれから先に目指すものについて伺っています。
ライター・山内貴範
デイリー新潮編集部
