駅の転落事故「3割が10歳未満」届かない注意喚起。JR西日本があえて「怖い妖怪」で子どもの命を守る訳
駅のホームと電車のわずかな隙間。実は転落事故の約3割が10歳未満の子ども(JR西日本近畿統括本部調べ)だという事実をご存じでしょうか。隙間に引っかかったり、頭まで落ちてしまったり…。そんな「ヒヤリ」では済まない事故を防ぐため、JR西日本が導入したのは妖怪「スキマモリ」でした。
【写真】「怖いけど、かわいい」SNSでも話題のスキマモリの正体「実はダンス好き!?」細かい設定も面白い(全12枚)
これまでのポスターや注意喚起が「風景の一部」となり、子どもに届いていなかった現実。その課題を克服したのは、企業の垣根を越えた大人たちの熱意と、子どもの「怖いけど気になる」好奇心を逆手に取った驚きの戦略でした。「危ない!」と鉄道会社が注意するだけに留まらず、親子でできることは何か。お出かけを安全に変える「合言葉」の秘密に迫ります。
JR西日本安全推進部担当室長の山下智さん、プロジェクト担当の平山薫さん、大阪市立デザイン教育研究所教員の平井里奈さんにお話を伺いました。
転落事故の3割が10歳未満。わずか15cmも「危ない」
── 電車とホームの隙間に潜む危険を妖怪のキャラで呼びかける「こども隙間転落防止プロジェクト」。2021年にJR西日本が大阪市立デザイン教育研究所、大阪公立大学とタッグを組んで始動したこの取り組みは、子どもの転落事故を防ぐために誕生しました。実際に、事故はどのくらい発生しているのでしょうか?
平山さん:弊社では、隙間に足を踏み外す、あるいは転落してしまうケースを「転落事故事象」と定義しています。弊社の集計では、22年度から24年度の近畿エリアでの事故の発生件数は223件。そのうち10歳未満の転落件数は66件(約29.5%)にのぼります。10代まで含めると約4割を占めており、私たちが認知できていない件数を含めると実際にはさらに多いと考えています。
子どもの事故では、ランドセルを背負ったまま転落して隙間にひっかかってしまったり、頭まですっぽり落ちてしまう、深刻なケースも報告されています。
── 親としては、想像するだけでヒヤリとします。
平山さん:転落事故はわずか15cmの隙間でも起こりえます。鉄道のホームは構造上、隙間を完全になくすことは難しく、ご利用いただいているお客さまに存在自体が認識されづらいのが実情です。これまでもホームにゴムを取り付けて隙間を埋める物理的な改善や、ポスター掲示などの啓蒙活動を行ってきましたが、なかなか効果が出ていませんでした。
「怖い」が目を引く。風景化した注意喚起を打ち破る妖怪の力
── 深刻な現状を打破するため、大学、専門学校と連携してプロジェクトが始まったのですね。
平山さん:開始早々、学生さんからは「注意喚起のポスターは誰向けですか?」「足元のサインはみんな見ているんですか?」と非常に鋭い指摘をいただきました。そこで初めて、これまでの注意喚起が風景の一部として馴染んで、乗客のみなさまの目に留まらなくなっていたことに気づかされたんです。この「風景化」の問題を改善し、子ども目線で隙間の危険を伝えるために誕生したのが、スキマモリというキャラクターでした。
── なぜかわいいキャラクターではなく、あえて「妖怪」にしたんでしょうか?
平山さん:子どもはかわいいものだけではなく、お化けや少しダークな世界観にも強い関心がありますよね。その「こわいけど気になる」という好奇心を喚起することで、隙間の危険性を認知してもらえると、大阪市立デザイン教育研究所の学生さんたちが試行錯誤の末に生み出してくれたデザインです。
平井さん:当時2年生だった学生たちが、世の中に無数にいるキャラクターの中で埋もれないよう試行錯誤し、色使いや造形でインパクトをどう出していくのかこだわったそうです。
── たしかにひと目で忘れられない造形です。怖いだけでなくかわいらしい印象も受けますが、スキマモリは子どもの味方なんでしょうか?
平山さん:私たちからは断定していません。子どもをさらったり、食べたりする怖い存在ではありませんが、スキマモリと出会った子どもたち自身に「どんな物語があるのか」を想像してほしいんです。その想像が、結果として足元の隙間への意識を高め、事故防止につながるという狙いです。
── あえて想像の余地を残すのは、面白いですね。社内での反応はいかがでしたか?
平山さん:攻めたデザインに対し、当初は「全世代に愛されるキャラクターにすべきでは」という反対意見もありました。しかし、天王寺駅で実証実験を行うと、SNSなどで好意的な反響が広がり、乗客の方々の「かわいい」という声が私たちの背中を押してくれました。誕生から5年経った現在は、ポスターや足元の注意喚起のサインの掲示のほか、事故防止のための子ども向けワークショップも展開しています。
「安全」にライバルはいない。勘違いが産んだ企業の垣根を越えるタッグ
── もともと近畿エリアを中心に展開していた「スキマモリ」の活動ですが、今では東急電鉄や京王電鉄など、関東の鉄道会社へも広がっています。
平山さん:現在は、関東の私鉄や交通局を含めた4社が加わっていますが、そのきっかけはある勘違いでした。2022年に東急電鉄様からプロジェクトの手法について問い合わせをいただいた際、「一緒に活動したいという申し出だ」と誤解をしてしまったんです(笑)。しかし、その勘違いをきっかけに一気に連携の話が具体化していきました。
── 関西のJRと関東の私鉄が組むというのは、異例のケースではないでしょうか?
山下さん:非常に珍しい取り組みです。従来は同じJRグループや関西エリア内での企業同士での協力が主でした。しかし、子どもの安全を守るという目的において、エリアや企業の線引きは関係ありません。
平山さん:隙間の危険を一人でも多くの子どもに知ってもらうためには、スキマモリの「生息地」が広ければ広いほどいいと思っています。みなさまの危険を減らせますし、学生さんたちの作品も世に広まります。今の時代、安全に関する取り組みは競争を越えて、一緒に取り組むべきだと考えています。
── 他社との連携によって、どのような変化がありましたか?
平山さん:各社が持つ事故防止のノウハウを共有し、情報交換できるようになったことは大きな収穫です。京王電鉄様の取り組みに刺激を受けて、弊社でもスキマモリのヘッドマーク車両を運行するなど、いい影響を与え合っています。
平井さん:学生にとっても、複数の企業それぞれのルールや環境の中で、事故防止にどのようなデザインが有効かを考える経験は貴重な学びの場になっています。
「合言葉はスキマモリ」親子で会話することが最大の事故防止に
── スキマモリの活躍によって、事故防止の手応えは出ていますか?
平山さん:おかげさまで、現在は弊社内での隙間転落発生件数は減少傾向にあります。ある駅長からは、遠足で駅を訪れた子どもたちがスキマモリの話をしていたという報告もあり、キャラクターの認知が隙間への意識に繋がっているのではないかと考えています。しかしながら、発生件数はゼロになることが目標でありますので、引き続き大阪公立大学様に分析をいただきながらプロジェクトの進化に努めていきたいと考えております。
── 春休みで子どもと電車に乗る機会が増えてくる時期です。事故を防ぐために、家庭でもできる対策はありますか?
山下さん:ぜひ、ご家庭でスキマモリのことを話題にしてみてください。事故を防ぐには、親が一方的に「危ない」と危険を伝えるよりも、子ども自身が「隙間の存在を認識すること」が非常に有効です。子どもが隙間を自覚していれば、「あそこにスキマモリがいるよ」「隙間があるよ」と子どもが親に教えてくれるようになり、結果として周囲の安全意識が底上げされます。
平山さん:「合言葉はスキマモリ」をひとつのキーワードにして、駅のホームでの声がけに活用してください。子どもたちの好奇心を味方につけることが、何よりの安全対策になります。
…
子どもたちの好奇心や想像力をかきたてることで事故を防ぐユニークなプロジェクト。そこには企業の垣根や競争を越えて、安全を守りたいという熱い思いが込められていました。この春、駅のホームで「合言葉はスキマモリ」とお子さんに声をかけてみてください。その一言が、大切な我が子の足元を守る、何よりの習慣になるはずです。
取材・文:阿部祐子 写真:JR西日本

