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メルセデス・ベンツEクラス

メルセデス・ベンツEクラスの4マティックモデルは2世代にわたってオーストリアのマグナ・シュタイアで生産された。最初は1996年に同工場で生産開始したW210型で、セダンとステーションワゴン合わせて9万7500台生産されている。

【画像】シュタイア・プフが支え続ける世界的人気のオフローダー【メルセデス・ベンツGクラスを詳しく見る】 全36枚

2002年に登場したW211型の4マティックは、2006年までに9万3300台が生産された。その後、4マティックの生産設備はメルセデス・ベンツのジンデルフィンゲン工場に移管され、ドイツ国内での生産が継続された。


メルセデス・ベンツEクラス

メルセデス・ベンツGクラス

メルセデス・ベンツの象徴的なGクラスと、オーストリアのマグナ・シュタイアは切っても切れない関係性にある。マグナ・シュタイアはGクラスの生産を初期から手がけているだけでなく、1972年の段階から開発にも携わってきた。グラーツ工場にはビジター体験施設があり、歴代のGクラスを見学できるほか、オフロードコースを実際に試乗することもできる。

グラーツのGクラス工場は、このモデル専用に建設されたものだ。またマグナ・シュタイアはギリシャ軍向けに、ノックダウン方式(CKD)でギリシャ国内でも生産している。


メルセデス・ベンツGクラス

ミニ・カントリーマン

親会社がドイツ企業であることから、ミニのモデルはドイツで生産されていると思われがちだ。しかし、初代カントリーマンとペースマンの生産は、マグナ・シュタイアに委託された。同社が選ばれた理由は、需要に応じて生産量の調整が容易にできる柔軟性にある。さらに同社は四輪駆動技術に豊富な経験を有しており、これもBMWを惹きつけた要因だ。

2代目カントリーマンでは、別の委託生産メーカー、今度はオランダに拠点を置くVDLネッドカーに移された。


ミニ・カントリーマン

プジョーRCZ

プジョーは2010年、スポーツクーペのRCZを投入した。その際に称賛を集めたのは、プジョーだけではなかった。オーストリアのマグナ・シュタイアは、2年足らずでRCZをコンセプトカーから量産車へと完成させた。バーチャル技術を開発に活かし、プロトタイプ製作の必要性を大幅に削減したのである。

その後、RCZは2015年までマグナ・シュタイアのグラーツ工場で生産された。


プジョーRCZ

ポルシェ356

グミュントの町は、ポルシェの歴史において特別な場所である。ポルシェの名を冠した最初のクルマがこの地で生産されたからだ。ポルシェは第二次大戦でシュトゥットガルトへの空襲を避けるため1943年にグミュントへ移り、旧製材所に工場を構えた。ポルシェの記念すべき第1号車は『356.001』で、ミドシップエンジン搭載のロードスターだ。この車両は唯一無二の存在となった。2台目は356クーペで、フォルクスワーゲン由来のエンジンがリアに搭載され、40psを発生した。

初期の356の生産は、1950年にシュトゥットガルトに戻るまでオーストリアで続けられた。この時点で44台のクーペと8台の356/2カブリオレが生産されており、これらは今やコレクターの聖杯となっている。


ポルシェ356

プフ500

プフは第二次大戦後、フィアット車のライセンス生産によりオーストリアでの活動を再開した。しかし、500は少し毛色が異なる。フィアット500のボディを使用しているが、イタリア製の並列ツインエンジンを避け、プフ独自の水平対向ツインエンジンを採用したのだ。

空冷エンジンは当初16psだったが、高速仕様の660cc版は最大40psを発生し、ヒルクライムやサーキットで高い競争力を示した。プフ500は1957年から1969年で約5万4000台が生産された。


プフ500

サーブ9-3コンバーチブル

サーブ9-3コンバーチブルは当初、フィンランドのヴァルメト社のウーシカウプンキ工場で生産されていた。2003年に2代目モデルに切り替わると、生産はオーストリアのマグナ・シュタイアに移った。9-3コンバーチブルは、サーブとして初めてスカンジナビア以外で生産されたモデルだ。

マグナ・シュタイアは9-3コンバーチブルの生産だけでなく、その設計にも携わった。グラーツ工場からは9万9535台のコンバーチブルが生産された。


サーブ9-3コンバーチブル

シュタイア50

シュタイアは今日では他社向けの自動車生産で知られるが、第二次世界大戦前の1936年から1940年にかけて、自社開発の50というモデルを生産していた。50はフォルクスワーゲン・ビートルと同様のコンパクトカーであり、水平対向4気筒エンジンを採用している。ただし、エンジンはフロントマウントで水冷式だ。

1938年にはより強力な55モデルが追加された。こちらはホイールベースを延長し、後部座席のスペースを改善したものだ。両モデル合わせて約1万3000台が生産された。


シュタイア50

シュタイア・プフ120

シュタイア・プフの120、およびそこから発展した125と220は、1935年に発売されたスタイリッシュなコンパクトセダンである。120は、従来の100で使用されていた小排気量の4気筒エンジンではなく、2.0L 6気筒エンジンを搭載して登場した。1936年にはエンジンをわずかに大型化し、最高出力50psを実現した125スーパーに置き換えられたが、このモデルはわずか200台しか生産されなかった。1937年には2.3Lエンジンで55psを発生する220が登場した。

220はシュタイア車の中で圧倒的に人気が高く、1942年までに5900台を売り上げた。これに対し、120は1935年から1936年の間に1200台しか売れていない。


シュタイア・プフ120

シュタイア1500

シュタイアは商用車と軍用車で高い評価を得ており、1500もその優れた血統を受け継いでいる。軽量かつ強靭なシャシーは指揮車としてだけでなく、フル装備の兵士の輸送にも理想的だった。空冷式3.5L V8エンジンは85psを発生し、さらに四輪駆動も備えている。

1941年に生産が開始され、ドイツ軍に採用されると、砂漠環境下での高い信頼性とオーバーヒート耐性が評価された。1500は、かのロンメル将軍のアフリカ軍団でも活躍した。


シュタイア1500

シュタイア・プフ・ハフリンガー

この小型軽量オフロード車のハフリンガーという名称は、チロル山脈原産の馬ハフリンガー種に因んだものだ。馬の名に恥じず、四輪駆動と優れた最低地上高により、荒れた地形を巧みに走破した。重量はわずか600kgながら、4名の乗員と最大500kgの積載が可能だ。

シュタイア・プフにより1959年から1974年まで生産されたハフリンガーは、プフ650と共通のシンプルな643cc水平対向2気筒エンジンを搭載している。1万6647台が生産され、現在も多くの車両がオフロード走行に使用されている。


シュタイア・プフ・ハフリンガー

シュタイア・プフ・ピンツガウアー

ハフリンガーに着想を得て、シュタイア・ダイムラー・プフはより大型のピンツガウアーを開発した。その名はオーストリアの牛の品種に由来する。主に軍用車両として設計され、ランドローバー・シリーズIIIやフォワードコントロールといったモデルに対抗する存在だった。キャブオーバー設計により、ホイールベース内の空間を最大限に活用しつつ、オフロード走行に適したアプローチアングルとデパーチャーアングルを確保している。

エンジンは2.5Lの空冷式で、後に2.7Lに拡大された。1980年には2代目モデルが登場し、フォルクスワーゲンの6気筒ターボディーゼルエンジンを搭載した。ピンツガウアーは2000年までほぼ変更なく生産され、その後生産は英国に移管された。


シュタイア・プフ・ピンツガウアー

トヨタGRスープラ

最新のトヨタ・スープラはBMW Z4と多くの共通点を持ち、マグナ・シュタイアによってオーストリア・グラーツの工場で共に生産されている。スープラの生産はZ4よりやや遅れて2019年3月に開始された。ラインから最初に出荷された車両は、マットグレー塗装、レッドのドアミラー、レッドのレザー内装にカーボンファイバートリムを施した特別仕様だった。

さらに、エンジンカバーにはトヨタの豊田章男社長の直筆サインが入っている。この第1号車は米国でオークションにかけられ、210万ドル(約約3億3000万円)で落札された後、その全額が慈善団体に寄付された。生産は2026年3月に終了する予定で、BMW Z4と同時期に幕引きを迎える。


トヨタGRスープラ

トゥシェク

スロベニア人レーシングドライバーである創業者アリョーシャ・トゥシェクの名を冠したトゥシェク社だが、オーストリアの旧飛行場に拠点を置いている。TS900アペックスはハイブリッドのハイパーカーで、合計出力1370psと最大トルク171kg-mを発生し、最高速度380km/h、0-100km/h加速2.5秒を実現する。

同社は新型イオンの開発を進めている。2500psの電動ハイパーカーで、重量は1600kg未満となる予定だ。


トゥシェク

フォルクスワーゲン・ゴルフ・カントリー

フォルクスワーゲン・ゴルフ・カントリーは、フィアット・パンダ4×4よりも落ち着いた雰囲気を醸し出している。パンダの四輪駆動システムはシュタイア・プフが供給しているが、フォルクスワーゲンがゴルフ・カントリーの生産を委託したのもこの会社だ。パンダ4×4がフィアット社内で生産されたのに対し、ゴルフ・カントリーはオーストリア・グラーツのシュタイア・プフ工場で組み立てられた。

ベースとなったのは標準仕様のゴルフCLシンクロ。シュタイア・プフはサスペンションを強化してリフトアップし、アンダーボディプロテクションやブルバー、そしてリアテールゲート外側にスペアタイヤキャリアを追加した。これにより最低地上高を確保し、意外なほど優れたオフロード性能を発揮する。ゴルフ・カントリーは1990年から1991年にかけて、合計7735台が生産された。


フォルクスワーゲン・ゴルフ・カントリー

フォルクスワーゲン・トランスポーターT3シンクロ

1980年代、予算に余裕があり、フォルクスワーゲンの四輪駆動ピックアップトラックやキャンピングカーを求めていた人にとって、T3シンクロはまさに理想的な選択肢だった。このモデルはフォルクスワーゲンの正規ディーラーで販売されたが、生産の大部分はシュタイア・ダイムラー・プフがグラーツ工場で担当した。その理由としては、ハフリンガーやピンツガウアーの生産で培った四輪駆動技術があったほか、フォルクスワーゲンがピンツガウアー用のディーゼルエンジンを供給していたことも挙げられる。

シュタイア・ダイムラー・プフでの作業が完了すると、T3は最終仕上げのためにフォルクスワーゲンのハノーファー工場へ送られた。キャンピングカー仕様の場合は、ヴァイデンブルクのヴェストファーレン(ウェストファリア)工場へ送られた。こうした一連のやりとりの結果、T3シンクロは高価になってしまったのだ。


フォルクスワーゲン・トランスポーターT3シンクロ