(※写真はイメージです/PIXTA)

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総務省『家計調査(家計収支編)2024年平均』では、夫婦ともに65歳以上の無職世帯は可処分所得が月約22.2万円に対し、消費支出は約25.6万円と、年金だけでは不足が生じやすい構造が示されています。そこに住居の修繕費や移動コストが重なると、暮らしは想像以上に揺らぎます。国土交通省『令和5年度 高齢社会に関する意識調査(高齢期の住み替えについて)』でも、高齢期の住み替えには「費用」「医療・買い物の利便性」など現実的な条件が強く影響することが示されています。

「こっちのほうが身の丈だよ」…夫婦が選んだ古民家生活

都内近郊に住む由紀子さん(仮名・35歳)の両親、和也さん(仮名・65歳)と恵子さん(仮名・65歳)は、退職を機に地方へ移住しました。

年金は夫婦で月20万円ほど。貯蓄はあるものの「なるべく減らしたくない」と言い、空き家バンクで見つけた古民家を購入。家は築60年。価格は安く、庭付きでした。

「東京の家賃を払うより、こっちのほうが身の丈だよ」

父は誇らしげでした。由紀子さんも最初は安心していました。自然が多く、両親の表情も明るかったからです。

ところが半年後、由紀子さんが訪ねたとき、空気に違和感を感じたといいます。

「寒くない?」

玄関に入った瞬間、底冷えがしました。部屋は広いのに、暖房が効いていない。

「灯油代がね。今月、けっこういったのよ」

母が笑ってごまかします。ストーブのそばには灯油缶が並び、床は所々きしんでいました。食卓の横には、見慣れない封筒の束。修理業者の見積書、役場からの通知、保険の案内。そして、ノートに細かく書かれた支出メモ。

「…これ、何?」

由紀子さんが聞くと、母は少し黙ってから言いました。

「直すところが、次々出てくるの。屋根、配管、シロアリの点検…“古民家だから仕方ない”って」

父が口を開きます。

「家自体は安かった。でも、住める状態にするのに金がかかった」「補助金も少し出たけど、足りない分は手持ちだ」

さらに、意外に効いていたのが“移動”にかかる費用でした。買い物は車で片道20分。病院はさらに遠い。ガソリン代と車の維持費、タイヤ交換。雪の日はスタッドレスも必要でした。

「ここ、車ないと詰むんだよ」

父が冗談っぽく言いますが、母の顔は笑っていません。

「人は優しい。でも…」増えていく“見えない負担”

違和感の理由は、地域の付き合いにもありました。

「班の集まりが月1回あって、草刈りもあるの」

母がぽつりと言います。

「最初は助かったよ。野菜もくれるし、声もかけてくれる」

父も頷きました。けれど「ただ、断りづらい。出ないと“どうした”と思われるしな」と続けます。

由紀子さんは気づきました。この暮らしは“孤独”ではない。けれど両親の生活は、余白のない形で回り始めている。

帰り際、由紀子さんは両親に尋ねました。

「ねえ、東京にいたときより、楽?」

母は少し迷って、「気持ちは楽。でも、暮らしは…思ったよりギリギリ」と答えました。

父はいつもの調子で「やっていけるさ。年金の範囲でな」と言うものの、その声には張りがありませんでした。

住まい選びは、憧れだけでは成り立ちません。大切なのは、暮らし始めたあとに毎月どんな費用が加わり、それがどのペースで増えていくかという現実です。

古民家の暮らしそのものが問題なのではありません。想定していなかった修繕費、暖房費、移動費、地域の付き合いに伴う支出――そうしたコストが年金生活の余白を静かに削っていく。由紀子さんが感じた違和感の正体は、そこにありました。